日本軍「残虐行為」はどう創作されたか? 中国に洗脳された日本人(1)「中国の旅」と同類の「天皇の軍隊」
2018.09.23.21:48
日本軍「残虐行為」はどう創作されたか? 中国に洗脳された日本人 別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より 田辺敏雄(昭和史研究家)
https://ironna.jp/article/3522
「中国の旅」で集団ヒステリーに
わが国をめぐって中国が喧伝する「歴史問題」をつきつめれば、日本軍による残虐行為、残虐事件の存否と程度の問題に帰着すると思う。となれば、これらを乗り越えないかぎり問題の好転は期待できない。
中国における残虐行為は二つの経路でわれわれ国民にとどいた。一つは朝日新聞を筆頭とするメディアによる現地ルポであり、一つは終戦後、中国に囚われた日本人いわゆる中国戦犯の「証言」であった。昭和四十年代後半、両経路による日本軍断罪が同時にはじまった。朝日の本多勝一記者による「中国の旅」と「天皇の軍隊」である。
昭和四十六年八月から十二月まで、朝日は本多記者の「中国の旅」を約四十日間にわたって連載。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」など手持ちの媒体も総動員して、日本軍断罪の一大キャンペーンを開始したー。いずれもー、日本軍および民間人が行った残虐非道な行為であふれかえっていた。連載は平頂山事件にはじまり、万人坑、南京事件、三光政策とつづいた。このルポは日本側の裏づけ取材がなく、中国の説明を鵜呑みにしたものにもかかわらず、いずれも事実とされ高校用歴史教科書(一部は中学校用も)、百科事典に採用された。連載は単行本、文庫本となり、さらに『中国の旅』の写真版という『中国の日本軍』(創樹社)が出版された。人骨累々の写真が教育に有効として『中国の日本軍』を「必読文献」に推薦した高校用教科書もある。連載に触発されたのだろう、メディアは競うように中国に出かけては日本軍の悪行を聞き出して報じた。
「中国の旅」連載とほぼ同時期、月刊誌「現代の眼」に「天皇の軍隊」と題した取材報告が連載された。著者名は熊沢京次郎とあるが、筆者は本多勝一と長沼節夫(時事通信記者)である。連載は同名の単行本(現代評論社)となり、後に二人の実名をもって朝日文庫に加えられた。内容はといえば、中国山東省に駐留した第五十九師団による数々の残虐事件、残虐行為を「日本兵の証言」をもって糾弾したものである。軍紀は死語同然、やりたい放題の日本兵の姿があった。『中国の旅』に加えて『天皇の軍隊』を読めば、国民はかつての日本軍に嫌悪感をつのらせ、同師団にとどまらず日本軍全体が同様であったと考えるだろう。
ところが「日本兵の証言」というのが曲者で、登場人物を調べたところ予想どおり、残虐行為の証言者はことごとく中国戦犯だったのである。
『天皇の軍隊』の証言者たち― 隠された取材源 ―/脱・洗脳史講座
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/tenno-no-guntai/tenno-guntai-index.html
1 鬼畜以下の日本兵
『天皇の軍隊』は日本軍が中国でいかに暴虐のかぎりをつくしたか、山東省に駐留した第59師団 (藤田 茂・師団長)所属の将兵の「証言」 によって明らかにされました。およそ、軍の規律などないも同然、上から下までが目茶苦茶の部隊でした。ー師団といえば、シナ事変の前まで、内地における編成上の最高単位であったことからも分かるように、独立して戦略単位の兵を動かせる規模を有していました。ですから、第59師団がこのような滅茶苦茶な部隊なら、ー日本軍全体が無法ー、どうしようもない悪の集団ととるのが、まあ当たり前というものでしょう。
2 証言者は「中国戦犯」
第59師団は1942(昭和17)年4月、独立混成第10旅団を基幹に編成されたもので、司令部を山東省の済南に置きました。ーこの師団から、師団長の藤田茂中将と2人の旅団長(少将)を含め、約260名という大量の「中国戦犯」を出しました。抑留者(=戦犯)は全部で1000人強でしたから、4人に1人はこの師団の将兵というわけです。藤田師団長は帰国後に抑留者で組織した「中国帰還者連絡会」、略して「中帰連」の初代会長に就いています。中帰連はメディア、とくにNHK、朝日新聞 の情報源として活用されることになり、多くの学者もまた同様に情報源としています。
『天皇の軍隊』記述について、少し冷静に考えればその異様さゆえに逆に疑問がでてくると思います。ー大分前ですが、登場する将兵全員の出身を調べたことがあります。結果は予想していたとおりでした。つまり、「残虐行為の証言者全員が中国戦犯 」 だったという事実です。ですが、この『天皇の軍隊』には「撫順戦犯管理所」に抑留されていたことを明記している証言者もありますが、まったく書いていない人も数多く登場します。一般の読者は抑留者についての知識はあまりないでしょうし、あったとしても抑留者以外の将兵も証言しているようなので、記述は信用できると思うでしょう。
まさに、『天皇の軍隊』は「中国戦犯」の語った59師団の姿だったのです。
そして、これら「語られた事実」に対して「裏づけをまったくとっていないこと」 がもう一つの特徴でしょう。となれば、証言者が日本人と中国人という違いがあれ、『天皇の軍隊』は『中国の旅』の同類というわけです。
https://ironna.jp/article/3522
「中国の旅」で集団ヒステリーに
わが国をめぐって中国が喧伝する「歴史問題」をつきつめれば、日本軍による残虐行為、残虐事件の存否と程度の問題に帰着すると思う。となれば、これらを乗り越えないかぎり問題の好転は期待できない。
中国における残虐行為は二つの経路でわれわれ国民にとどいた。一つは朝日新聞を筆頭とするメディアによる現地ルポであり、一つは終戦後、中国に囚われた日本人いわゆる中国戦犯の「証言」であった。昭和四十年代後半、両経路による日本軍断罪が同時にはじまった。朝日の本多勝一記者による「中国の旅」と「天皇の軍隊」である。
昭和四十六年八月から十二月まで、朝日は本多記者の「中国の旅」を約四十日間にわたって連載。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」など手持ちの媒体も総動員して、日本軍断罪の一大キャンペーンを開始したー。いずれもー、日本軍および民間人が行った残虐非道な行為であふれかえっていた。連載は平頂山事件にはじまり、万人坑、南京事件、三光政策とつづいた。このルポは日本側の裏づけ取材がなく、中国の説明を鵜呑みにしたものにもかかわらず、いずれも事実とされ高校用歴史教科書(一部は中学校用も)、百科事典に採用された。連載は単行本、文庫本となり、さらに『中国の旅』の写真版という『中国の日本軍』(創樹社)が出版された。人骨累々の写真が教育に有効として『中国の日本軍』を「必読文献」に推薦した高校用教科書もある。連載に触発されたのだろう、メディアは競うように中国に出かけては日本軍の悪行を聞き出して報じた。
「中国の旅」連載とほぼ同時期、月刊誌「現代の眼」に「天皇の軍隊」と題した取材報告が連載された。著者名は熊沢京次郎とあるが、筆者は本多勝一と長沼節夫(時事通信記者)である。連載は同名の単行本(現代評論社)となり、後に二人の実名をもって朝日文庫に加えられた。内容はといえば、中国山東省に駐留した第五十九師団による数々の残虐事件、残虐行為を「日本兵の証言」をもって糾弾したものである。軍紀は死語同然、やりたい放題の日本兵の姿があった。『中国の旅』に加えて『天皇の軍隊』を読めば、国民はかつての日本軍に嫌悪感をつのらせ、同師団にとどまらず日本軍全体が同様であったと考えるだろう。
ところが「日本兵の証言」というのが曲者で、登場人物を調べたところ予想どおり、残虐行為の証言者はことごとく中国戦犯だったのである。
『天皇の軍隊』の証言者たち― 隠された取材源 ―/脱・洗脳史講座
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/tenno-no-guntai/tenno-guntai-index.html
1 鬼畜以下の日本兵
『天皇の軍隊』は日本軍が中国でいかに暴虐のかぎりをつくしたか、山東省に駐留した第59師団 (藤田 茂・師団長)所属の将兵の「証言」 によって明らかにされました。およそ、軍の規律などないも同然、上から下までが目茶苦茶の部隊でした。ー師団といえば、シナ事変の前まで、内地における編成上の最高単位であったことからも分かるように、独立して戦略単位の兵を動かせる規模を有していました。ですから、第59師団がこのような滅茶苦茶な部隊なら、ー日本軍全体が無法ー、どうしようもない悪の集団ととるのが、まあ当たり前というものでしょう。
2 証言者は「中国戦犯」
第59師団は1942(昭和17)年4月、独立混成第10旅団を基幹に編成されたもので、司令部を山東省の済南に置きました。ーこの師団から、師団長の藤田茂中将と2人の旅団長(少将)を含め、約260名という大量の「中国戦犯」を出しました。抑留者(=戦犯)は全部で1000人強でしたから、4人に1人はこの師団の将兵というわけです。藤田師団長は帰国後に抑留者で組織した「中国帰還者連絡会」、略して「中帰連」の初代会長に就いています。中帰連はメディア、とくにNHK、朝日新聞 の情報源として活用されることになり、多くの学者もまた同様に情報源としています。
『天皇の軍隊』記述について、少し冷静に考えればその異様さゆえに逆に疑問がでてくると思います。ー大分前ですが、登場する将兵全員の出身を調べたことがあります。結果は予想していたとおりでした。つまり、「残虐行為の証言者全員が中国戦犯 」 だったという事実です。ですが、この『天皇の軍隊』には「撫順戦犯管理所」に抑留されていたことを明記している証言者もありますが、まったく書いていない人も数多く登場します。一般の読者は抑留者についての知識はあまりないでしょうし、あったとしても抑留者以外の将兵も証言しているようなので、記述は信用できると思うでしょう。
まさに、『天皇の軍隊』は「中国戦犯」の語った59師団の姿だったのです。
そして、これら「語られた事実」に対して「裏づけをまったくとっていないこと」 がもう一つの特徴でしょう。となれば、証言者が日本人と中国人という違いがあれ、『天皇の軍隊』は『中国の旅』の同類というわけです。
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