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抗日連合会(1)正式名称は世界抗日戦争史実維護連合会

2016.11.28.02:25


抗日連合会(Global Alliance)、正式名称「世界抗日戦争史実維護連合会(せかいこうにちせんそうしじついごれんごうかい、Global Alliance for Preserving the History of WW II in Asia」の公式サイトでは、昭和12年(1937)の日本軍南京入場やあからさまな南京事件捏造写真を掲載しています。英語表記のため解説は読めませんが、日本の歴史を捻じ曲げるロビー活動を米国を中心として世界に繰り広げる反日団体であることがわかります。


山手治之氏「第二次大戦時の強制労働に対する米国における対日企業訴訟について(京都学園法学 33/34,2001-03-20)」によると、抗日連合会には、提携団体として国際NGO「アジアでの第二次世界大戦の歴史を保存するための地球同盟」(サンフランシスコ)があり、対日集団訴訟への呼びかけに強い影響力持ちます。


その背景として、アイリス・チャンの著書「ザ・レイプ・オブ・南京」の影響、つまり「南京大虐殺=第二次大戦の忘れられたホロコースト」の誤った認識が米国で広まっているとの指摘があります。さらに、集団訴訟の原告側の弁護士は2001(平成13)年に上海で開かれた慰安婦問題シンポジウムに参加しています。


在米中国系反日団体 日本の「残虐行為」への謝罪と賠償をなお要求 2009.6.29 産経新聞【ワシントン=古森義久

カリフォルニア州クパティーノに本部をおく在米中国系住民主体の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会と略)-。-同抗日連合会は1994年に在米中国系の活動家らによって結成され、戦争中の日本軍の残虐行為に対し戦後の日本はなお謝罪も賠償も十分にはしていないとして、それらを求めることを活動の最大目標としてきた。日本の戦時中の残虐行為などは戦後、一連の軍事裁判でいちはやく裁かれたほか51年のサンフランシスコ対日講和条約で賠償や謝罪もすんだとするのが日米両国政府の見解だが、同抗日連合会は日本政府がこれまで謝罪も賠償もしていないという立場をとり、日本を非難してきた

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大東亜会議七十周年(下)大東亜共同宣言全文

2016.07.03.13:32

大東亜共同宣言全文

大東亜会議、11月6日に採択された大東亜共同宣言

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ増進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス


朝日が明かす中国の嘘(下)狂う支那軍の大破壊 外人の専門家呆れる

2016.06.28.19:41

『狂う支那軍の大破壊 外人の専門家呆れる』大阪朝日新聞(昭和12年12月10日)

「(ニューヨーク特電8日発)ニューヨーク・タイムズ紙南京特派員は、まさに陥落せんとする南京にある専門家の視察を8日次の如く報道している。すなはち南京に踏み止まっている外国軍事専門家は最近4,5日間にわたって城外並びに近郊の支那軍の防備状態を視察したが、その暴状には度膽をぬかれている形である。すなはち支那軍は何等の軍事的目的もなく、ただやたらにありとあらゆる事物をぶち壊し焼き払っているのであって、専門的見地からすれば全く無意味な了解に苦しむもので、これは支那軍を豪も益せぬと同時に日本軍に対しても大した痛痒を与えぬとみるのが至当である。

ただ建物が一軒もないので日本軍はこれを宿営に当てることが出来ず、テントを使用せねばならないという不利があるのみだ。
それならば何故こういう無謀が敢えて行われつつあるのか。残された唯一の説明は、支那軍がこの破壊行為によって僅かにその鬱憤を洩らしているという恐るべき事実である。すなはち支那軍の上下を通じて存在する『日本軍にはかなわぬ』という劣勢意識は、彼らを駆って狂気の如き残忍行為をなさしめ、その犠牲は単に町や村落のみに止まらず市にさえも及んでいる。

その昔成吉思汗の大軍がかっては栄華を誇った数々の大都市を一変して焦土と化せしめて以来、現在揚子江下流沿岸地方において行われつつあるが如き、組織的な破壊が支那軍自身の手によって行われたことは未だないのである。
日本軍の空襲砲撃の与えた損害は殆ど軍事施設に限られており、これを全部合わせてもなお支那軍自身の手によってなされた破壊の十分の一にも足らぬであろう。

これは中立国の一軍事専門家が余(ニューヨーク・タイムズ特派員)に語ったところで同氏は更に語をつぎ、支那軍が今やっていることから推して自分は次のような結論に達せざるを得ない。即ちシナは今後百年或いはそれ以上その土地の支配権の回復を全然予期していないもののようだ。それだから彼らは仇敵の所有に帰すべきこの土地を思う存分荒廃せしめているのである。今支那の取りつつある焦土政策は敵に対する最善の挙とは決して考えられぬ。なんとなればその敵は確かに一時的には侵入者であることに違いはないが、決してこの土地を植民地にして了おうとは考えていないのだから。

支那軍によって破壊されたところのものは、彼らの祖先が額に汗して孜々勉励刻苦何代かにわたって蓄積したものなのである。狂気沙汰としか思われないこの都市村落の焼き払いを主張する人々はかくすることによって現在までに蓄積された数十億の富が根こそぎに抹殺され、若し破壊されなかったならば近い将来支那政府がこの地方から租税を取り立てることが出来て戦後国力回復のための財源を求め得るものであるということを考えようともしない。この地味豊饒でしかも世界で最も人口稠密な地方は、国家財政に取り有力なる財源供給地であるが、今や猛火の下に消え失せつつある。この地方の復興のためには巨額の経費を必要とするであろう。現在の支那軍の行為を納得させる唯一の説明とも言うべきものは、例の古来の東洋思想たる『面子を救う』ということを持ち出すことであろう。すなはち支那軍は退却にあたり不毛の原野や残煙立ち昇る廃墟をあとにのこしてこれを日本軍に占領させた方が、ただ虚しく退却するよりは彼らの威信を高めるものだと信じているのだ。この考えは戦闘地域に住む数百万の支那住民の福祉を全然無視するものだ。

今や日本軍の進撃を前に奥地に殺到する避難民は数百万に達しているが、支那政府が彼らを救済しようとしても何事もなし得ぬ今日、彼らは如何にこの冬の衣食住を得んとするか、これは想像に余りあるものがあろう。

〈「マッカーサーの告白」なる文章について。〉

2016.05.18.17:04

井口玲子さんのFacebookより-
http://m.facebook.com/story.php?story_fbid=277302169097696&id=100004537445962&guid=ON
 
-以下転載-
 
「マッカーサーの告白」なる文章について。

・原文書き起こし
【Strategy against Japan in World War II】
Senator Hicknlooper. Question No.5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?
General MacArthur. Yes, sir. In the Pacific we by-passed them. We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands. It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on. They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
There is practically nothing indigenous to Japan except the silk worm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

The raw materials -- those countries which furnished raw materials for their manufacture -- such countries as Malaya, Indonesia, the Philippines, and so on -- they, with the advantage of preparedness and surprise, seized all those bases, and their general strategic concept was to hold those outlying bastions, the islands of the Pacific, so that we would bleed ourselves white in trying to reconquer them, and that the losses would be so tremendous that we would ultimately acquiesce in a treaty which would allow them to control the basic products of the places they had captured.
In meeting that, we evolved an entirely new strategy. They held certain bastion points, and what we did was to evade those points, and go around them.
We came in behind them, and we crept up and crept up, and crept up, always approaching the lanes of communication which led from those countries, conquered countries, to Japan.
By the time we had seized the Philippines, and Okinawa, we were enabled to lay down a sea and Navy blockade so that the supplies for the maintenance of the Japanese armed forces to reach Japan.
The minute we applied that blockade, the defeat of Japan was a certainty.
The ultimate result was that when Japan surrendered, they had at least 3,000,000 of as fine ground troops as I have ever known, that laid down their arms because they didn't have the materials to fight with, and they didin't have potential to gather them at the points of importance where we would attack. We hit them where they weren't; and, as a result, that magnificent army of theirs, very wisely surrendered.
The ground forces that were available in the Pacific were probably at no time more than one-third of the ground forces that Japan had available; but, as I say, when we blockaded that way, when we disrupted their entire economic system, they could not supply the sinews to their troops that were necessary to keep them in active combat and , therefore, they surrendered.

【Similarity of Japanese situation in World War II to Chinese situation Today】

Now, the problem with China is quite similar, only China has not got anything like the resource the Japanese Empire had.
It would be easier to blockade them. A blockade along their coasts would be avery simple problem if all the nations of the United Nations joined in.
The only other way in which China can get logistical support is from the Soviet. As I explained this morning,


〇拙訳
【 第二次大戦時の対日戦略 】
ヒッケンルーパー上院議員(質問5):中共に対する海空封鎖という貴殿の提案は、米国が太平洋戦争で日本に勝利をおさめた時の戦略と同じではないですか?

マッカーサー将軍:その通りです。太平洋戦争における我が軍の作戦は、迂回し、そして包囲するというものでした。

★日本には当時、4つの島におよそ8000万人という人口が密集していました。半数が農業、あとの半数は工業従事者です。
日本という国はもともと、質量ともに非常に高い労働力を有しています。人間は怠けている時よりも額に汗しているときのほうが幸せなのだという、いわゆる労働を尊ぶ精神というものを、いつからか日本人は身に着けてきたようです。
大きな労働力を有するということは、つまり、それに見合うだけの仕事が必要なわけですが、工場を建て、労働者がいても、日本には原料がありませんでした。実際、養蚕意外、日本原産と言えるものは何も無かったのです。日本には綿も羊毛も、石油製品、スズ、ゴム、その他多くの資源がありません。そして、アジア海域にはそれらの全てがありました。
原料の供給を断たれれば、国内で1000~1200万人が職を失います。これは日本にとって死活問題でした。つまり、その危機を回避することが、日本が戦争に打って出た主たる目的だったのです。★

マレー、インドネシア、フィリピンなど、自国の製造業に必要な原料の産出国を、日本軍は周到な準備のうえ、奇襲し、占領しました。このときの日本の戦略は、太平洋の島々を陣地として確保し、我々がそれらの奪還に大きな犠牲を払うのを躊躇するよう仕向けることによって、日本が占領地から原料を確保できるようにする、というものです。そこで我々は新たな戦略を立てました。日本軍の占領した地域をわざと避け、その背後にまわり、そっと気づかれぬよう忍び寄っては、占領地と日本の間の補給線を脅かし続けました。
フィリピンと沖縄を制圧した時点で、制海権を失った日本軍は、補給路を完全に絶たれました。この時点で、日本の敗戦が決定したと言っていいでしょう。
降伏時、日本には少なくとも300万の兵力があったはずですが、既に戦争続行のための物資はなく、防衛のための兵力を結集させる余力もありませんでした。我々の前にもはや敵はいなかったのです。こうして、精鋭を誇る日本軍も遂に降伏やむなきに至りました。
当時、太平洋上に展開していた日本の兵力は、おそらく通常の3分の1にも満たない数だったはずです。つまり、封鎖され、経済網が崩壊したことにより日本軍は、その程度の量の補給物資さえも供給することが出来ず、ついには降伏するに至ったのです。

【第二次大戦時の日本と現在の中国の相似性】
(引き続きマッカーサー将軍):さて、中国に関してですが、問題としてはよく似ているものの、中国にはかつての日本帝国ほど力量は有りません。中国を封鎖するのは、より簡単と言って良いでしょう。 国連のすべての加盟国が参加するならば、中国近海を封鎖するのも難しいことではありません。
中国が後方支援を頼むとすれば、それはソビエト以外にはありませんが、今朝ご説明しました通り、欧露の大規模工業地帯から続く鉄道は、既に現状の守備隊を維持するだけで手一杯です。侵攻目的の遠征軍を送り込むためには輸送量を増やす必要がありますが、それはかなりの負担になりますし、ソ連の中共に対する援助には、当然、限界があります。私の見るところ、中共には満足な空軍も海軍もありません。彼らはそれらを自前で仕立てることもできなければ、ソ連から提供してもらうことも出来ないというわけです。
専門的見地からすれば、中共の現代戦における戦闘能力は、多分に過大評価の域を出ません。経済的圧力、封鎖の圧力、そして空爆による破壊圧力を加えれば、そう時間をかけることなく中国を屈服させることができます。中国が自国民を養うに困難を極めているという現実に、もはや疑う余地はありません。飢餓や栄養失調による死者は、年間500万から1000万人を下らないはずです。経済が貧困なのです。そこをつつけば、大衆の不満は高まり国中が混乱に陥り、やがてはその緊張状態が中国を戦争に駆り立てることになります。

< 南京事件の証人とされる外国人 >

2015.02.11.16:34

「『南京虐殺』への大疑問」の著者・故松村俊夫氏が挙げたとされる <南京事件の証人とされる外国人> 一覧をネットで拾いましたので、こちらにコピペさせていただきます。

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南京事件の証人とされる外国人 (作・松村俊夫先生)

一。昭和十二年十二月十五日、アメリカ軍艦オアフ号で南京を退去した新聞記者

(F・T・ダーディン)ニューヨーク・タイムズ。日本軍による大虐殺を報道した証人として最も有名。陥落後はアメリカの大使館で起居し、市内を廻っていた。

(A・T・ステイール)シカゴ・デイリー・ニューズ。十二月十五日にオアフ号から第一報を発信。ペイツらと同居していた。

(C・Y・マクダニェル)AP通信社、(L・C・スミス)ロイター通信社。このニ人の記事にはアメリカ人宣教師からの影響は殆ど見られない。 

 尚、他にパラマウント映画社のメンケンもいたが、映像は残っていない。

(C・M・マクドナルド)ロンドン・タイムズ。バネ-号に乗っていて遭難した。救助されて南京埠頭を通過したが、城内には入っておらず、従ってその記事はすべて伝聞。

二。南東に残留していた外国人

【ドイツ人】

(ジョン・ラ-べ)世界的兵器・電機コンツェルン、ジーメンス社の南京支社長。アメリカ権益が集中した地区にアメリカ人宣教師が設定しようとした安全区構想が出来たあと、国際委員会委員長として招かれたこ熱烈なヒトラ事崇拝者としてのナチス党員。協力者にクレTガー、スペルリングがいる。

【アメリカ人宣教師】

(マイナ-・ベイツ)金陸大学歴史学教授こ国際委員会の中心メンバーで金陵大学緊急委員会委員長を兼ね、その財政責任者でもあった。上海にいたティンパレ-に「南京情報」を流し、南京と東京の軍事法廷では自己の行動を正当化して、日本軍の暴行を糾弾するためには偽証も辞さなかった。

(チャ-ルズ・リッグス)金懐大学でペイツの片腕となり、日本軍指弾の先鋒として動いていた。

(ジョン・マギ-)本事件で最も有名な牧師。眼前に見た被害者はすべて日本兵が加害したとの思い込み強く、東京裁判でも証言した。彼が撮った十六ミリフィルムは、日本軍による大虐殺の証拠とされるが、主として鼓榎病院内のものだったからか、アメリカ国務省もマスコミも無視した。

(ジョ-ジ・フィッチ)YMCAに所属。蘇州生まれで中国語が堪能だった。安全区内に潜む便衣隊と接触していたらしい。マギーのフィルムを持って帰米し、全米を反日と宣教師の活動を宣伝する講演旅行をして廻った。

(ロバート・ウィルソン)鼓樽病院の外科医師。十二月十三日以降に担ぎ込まれたり治療を求めてきた患者が、銃創・刀傷・火傷を問わず、すべて加害者は日本兵だったと訴えたことをそのまま信じた。東京裁判で証言。

(ルイス・スマイス)金陵大学社会学教授。国際委員会の秘書として、日・米大使館などへの文書作成に従事。南京市内外の戦争被害調査を完成させたとして著名。

 以上のうち、マギーを除く五名と、マッカラム、ミルズ、ソーンを含む合計ハ名の宣教師が共同生活をしていたから、彼等
が夫々に書いた日本兵の暴行記事は殆ど重複している。マギーは同じ宗派のフォースターと共に教会に住んでいた。尚、大学病院(鼓樺病院)にトリマー医師、バウアー、ハインズ両看護婦、金陵女子文理大学院のミス・ヴオートリンが難民の世話をしていた.

三。昭和十三年・月六日に掃任したアメリカ大使館員

(エスピー副領事)一月十五日からこ十四日の間に作成された大使館通信、通称エスピー報告で有名。そこには宣教師報告の影響が随所に見える。

(アリソン三等書記官)エスピー報告はアメリカ人の記述に基づくことを附記しているアリソンも、彼等の報告に振り回され、リッグスと共に日本軍歩哨に殴打されるなどした。しかし東京裁判には出廷せず、後には駐日大使となった。

四。一月十日に帰任したドイツ大使館員

(ローゼン書記官)アメリカ人宣教師顔負けの強烈な反日的言動を続けて、ラーべも手を焼いていた。そのようなローゼン文書が、友好国ドイツさえ日本軍を非難していた証拠とされている。ユダヤ人祖母を持っていたため、一九三八年のうちに休職に追い込まれた。

(シャルフェンベルク事務官)帰任直後は日本軍をチンギス・ハ-ン軍の暴逆になぞらえていたが、やがて真相が分かったらしく、「アメリカ人宣教師に手なずけられたラーべ」と言う批判をしている。

五。上海にいた新聞記者

(H・アベンド)ニューヨーク・タイムズ。打続く日本軍の暴逆情報に、彼等は反乱状態にあるのではないかと誤解した。

(H・テインパレー)オーストラリア人でフリーランサーの記者。当時はマンチェスター・ガーディアンの記者だったが、昭和十三年一月頃から、国民政府中央宣伝部顧問になっていた。


「南京(大虐殺)事件」外国人情報の流れ

12/15午前中に安全区内を廻ったラーべの実見談がペイツによって改竄され、メモの形で新聞記者に渡って12/15以降の記事となる。

12/16以降、国際委員会と金陵大学緊急委員会から、彼等の得た伝聞情報が文書になって日本大使館に提出さる。

1/7以降、文書の提出先がアメリカ大使館に切替えらる。

2/初旬以降、以上の情報を主とする安全地帯の記録と外国人の日記・書信頼が、ベイツからティンパレーに送られ、「外国人の見た日本軍の暴逆」の資料となる。

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http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/9729/matsu1.htm
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南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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