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大東亜会議七十周年(上)渡部昇一氏講演「私の記憶する大東亜会議、その意義」

2016.07.03.13:27

私の記憶する大東亜会議、その意義
渡部昇一(上智大学名誉教授)

大東亜会議が開催されたとき、私は中学校一年生でございました。日本はアジアの資源がほしくて戦争を始めたと、戦後はよく言われておりますが、そんなことはありません。勿論資源も一つの理由ではありましたが、もっと大きな目的があったことは、その2年前、私が小学校5年生の時に大東亜戦争が始まったのですが、始まるとすぐに歌を教えられたんです。そこには「東亜侵略百年の 野望をここに覆す」という詩がちゃんとありました。それは昭和16年10月に教えられた歌です。ですから初めからあの戦争のときは、我々子供も、これは東亜の解放戦争であるということを教えられておりました。

しかし戦後、不思議なことに、大東亜会議という名前は誰も口にはされなくなり、言葉も出なくなりました。ー私もいろいろ記憶を蘇らせてみて、調べてみまして、戦後日本では立派な百科事典が出ておりますけれど、そこには大東亜会議は項目として出てきません。2,3行触れられることはあっても、敵側の会談や会議はそれこそ何十ページも出て来るのに、大東亜会議はほんの2,3行。ああ、これが戦後というものだなと思いました。ー最近までずうっと広辞苑には大東亜会議の事は触れられていなかったんです。それが、第6版になって、ようやく項目に入りました。しかしそこには、まあ3,4行の簡単なものですが、日本とアジアの親和的な国々の会議、日本と仲のいい国が集まった会議という、そんな意味のことが書いてある。しかし、考えてもみてください。当時日本と仲のいい政権、いや、仲の悪い政権でもいい、そもそも政権と名の浮くものは蒋介石政権以外にはほとんどいないんですよ。後はほとんど植民地だったんですからね。

そして、ひとつ面白いことがあるんです。広辞苑はようやく大東亜会議の事を入れてくれたんです。しかし、大東亜会議のメンバーが書いていないんです。しかしですよ、これは調べてくれた人も言っていましたし、僕もチェックして確かめましたが、真田十勇士、猿飛佐助だとか三好青海入道とか、まあ僕も子供のころは名前を全部覚えていましたけど、そういうのは載っているんですよ。しかし大東亜会議のメンバーは載っていない。僕は真田十勇士の名前は少し忘れてしまったけど、大東亜会議のメンバーは覚えていますよ。東條さん、そして北から云いましょうか、満州国の張景恵さん、中華民国の王清衛さん、フィリピンのラウレルさん、タイのワイワイタイヤコーンさん、ビルマ、ミャンマーのパー・モウさん、そして独立は当時していませんでしたけど、オブザーバー参加ですが、最後の、トリの演説をしましたから、それなりに重要視されていたと思いますね、インドのチャンドラ・ボースさん。インドネシアはスカルノさんが日本に来たんですが、まだ独立をしていなかったから参加できなかったんですね。それでも天皇陛下は、わざわざ、スカルノさんを呼んでくれたんです。それ以後、まあそれ以前からと思いますけれどもね、スカルノさんは日本を愛し、非常に感動しておりました。そして日本の女性をお嫁さんにしたことは、皆様よくご存じのとおりであります。

ー大東亜会議をだれが発案したかと言いますと、重光さんという人です。重光葵さんという方で、東條内閣の三代目の外務大臣になりました。そして重光さんは、大東亜戦争の戦争目的と理想をちゃんと表明しないといかん、と言ったんですね。そしたら、東條首相も、そうだそうだと同意して、そして、昭和天皇陛下も大変に喜ばれた。資源がほしいとか、そういうことで戦争をしたんじゃないことを明らかにしようと。他の国は、植民地というのは資源がほしい、資源を獲るためだけですから、日本もそのために戦争を始めたと考えている。そうじゃないんだ、我々中学生まで歌の中で、「東亜侵略百年の野望をここに覆す」という風に歌っていたんですよ。

しかし、この大東亜会議が、昭和17年だったらもっと良かっただろうと思うんですね。一年遅れました。昭和18年の春ごろにようやく重光さんが外務大臣になって、すぐにこの大東亜会議を画策、画策というと悪いみたいですね、計画されたわけです。そして当時そのころは戦場がソロモンでして、アッツ島が玉砕しているわけです。それでもまだ絶対国防圏の外ですから、まだ敗色が出てき始めたという感じで、まだ全然勝っていたわけですが、それでも敏感な諸国は、例えばタイ国とかは本当はビブン首相が出てくるところなんですけれど、ワイワイタヤコーン殿下が来るとか、ちょっと危ないなと思い始めたと思うんです。集まったアジアの人たちはみんな政治家ですから、ちょっとそろそろ日本も危ないかなあと思い始めていたかもしれませんが、やはり使命感に燃えてみんな集まってきたわけです。

そして、このせいでしょうか、二週間ちょっとくらい経ったら、アメリカとイギリスがあわてまして、カイロ会談をやったんです。カイロ会談というのは、チャーチルとルーズベルト、それから呼んだのが蒋介石でしょう。大東亜会議には蒋介石入っていませんから、蒋介石が降伏されたら困ると思って、あわててカイロ会談というおべんちゃらの会議を開いたわけです。そちらの方は、戦後の辞書にも大きく載っています。

重光さんがこの会議を計画して開いたこと、そして東條さんが賛成し、天皇陛下が喜ばれたこの会議がいかに重要かということを、世界に知らしめられると、勝った方の国は困りますから、絶対にそれを知らせないような政策が勝者によってとられたんだと思います。要するに日本の左翼も含めて、絶対にこの会議を知らせないようにしたのだと思いますね。重光さんは敗北の時に、ミズリー号で、敗戦の署名をやったわけです。その時造られた歌が、「願くは御国の末の栄え行き 吾名さげすむ人の多きを」という、敗戦の署名をしたような私を、あいつは駄目な奴だとそしる人が沢山出るくらいに、将来日本がさかえてほしいという意味の歌を歌っているんです、本当の愛国者でいらっしゃいました。

さらに重光さんの重要性を言いますと、この方は、東京裁判有罪です。有罪ですけれど死刑じゃなかったので、復活して、ーお爺さんの鳩山内閣の副総理、外務大臣として、日本が1956年国連に加盟した時に国連に行って、日本が世界の懸け橋になると言って、万雷の拍手を受けた、そして、これで私の日本に対する務めは終わったと言って、帰ってくると、バッタリ倒れて亡くなったのです。それを聞いた国連が、黙祷をささげた。これは何を意味するかというと、東京裁判の戦犯なんてものはないんですよ。東京裁判のA級戦犯だった人が国連で黙祷をささげられているんですから。重光さん一人だけでも、東京裁判史観を覆すのは十分ですけれど、まだ日本人の中でも、東京裁判史観で、A級戦犯がどうだとかごちゃごちゃ言っている人がいる。

ー大東亜会議は語られることは今もほとんどありません。私の世代は思い出してくれる人がいるというだけです。しかし、加瀬さん、頭山さんのご尽力によって、70周年記念大会がこうして開かれ、盛大に行われたことはまことにうれしいことです、私も中学一年生の時のあの記憶、あの感動がまた蘇ってきたような気がします。そして日本のこれからの外交方針では、すぐに直接出すといろいろ問題あるかもしれませんが、外交をやる人は腹の底で、この大東亜会議の精神を治めて、世界と交渉してもらいたいと思っております(終)



2013/11/11 に公開

今年は、昭和18年11月5日から6日にかけて行われた「大東亜会議」から70周年の節目の年にあたる。当時は、欧米列強による植民地支配からの解放と人種差別撤廃が目指されたが、現在の世相は、その当時の暗い雰囲気が再現されつつある。それは、チベットやウイグルなどを侵略し、民族浄化を図る「遅れてきた帝国主義国家」中国の存在と、「顔のない独裁者」グローバリズムの猖獗である。今再び「大東亜会議」の精神が必要とされている国際情勢と、その為にも必要となる正しい歴史認識の必要性について、当時の関係者の縁者も交えて意見が交わされた『大東亜会議七十周年記念大会』の模様をダイジェストでお送りします。

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/

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DVD「参戦勇士九人が語る南京事件の真実 南京陥落七十年国民の集い全記録」上

2015.01.16.05:50

平成十九年(2007)12月6日、東京・九段会館で行われた「南京陥落七十年国民の集い」。
集会では南京攻略戦に参戦した稲垣清氏が記録したフィルムが上映されました。
この貴重なフィルムを含め、集会の全記録がDVD「参戦勇士九人が語る南京事件の真実 南京陥落七十年国民の集い全記録」です。

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(DVD)WAC-D594
通常販売価格3,024円(税込)

「南京大虐殺」は捏造である!語り続けなければならない歴史の真実がここにある!
【商品内容】DVD1枚(93分)
【収録内容】2007年12月6日、東京・九段会館で行われた「南京陥落七十年国民の集い」。そこに南京攻略戦に実際に従軍した9人の元日本兵が参列した。そして当事者によって語られた「南京事件」の真実の状況。本作品は、その貴重な証言の全てを収録している。後世に語り継がなければならない歴史の真相がここにある。

2007年12月6日、東京・九段会館で行なわれた“南京陥落七十年国民の集い”の模様をパッケージ化。実際に従軍した9人の元日本兵が参列、それぞれ南京事件の真実について語る。(CDジャーナル データベースより)

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「南京事件はなかった」茂木弘道氏H25年講演録(5.完)

2014.11.16.16:52

平成25年8月25日『「南京の真実」パネル展』講演会
南京虐殺は中国国民党の戦時謀略宣伝である
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道

~~~~~

13、国民党中央宣伝部国際宣伝処の宣伝工作(中央宣伝部国際宣伝処工作概要より)

・目的: 中国にいる敵軍、敵国内の人民、および世界各地に居住する敵国の人間に対して、 幅広く敵の軍閥の残虐なことを宣伝する。

・方法: 中央宣伝部が決して表に出ることなく、国際友人を使って行う。

・ベイツ(国民政府顧問)、ティンパーリー(国際宣伝処顧問)、そして国際友人フィッチを主な協力者として仕立てた対日戦時謀略宣伝、これが南京虐殺の本質であった。


14、ティンパーリに騙された人々

 1、松本重治(同盟通信上海支社長)

 2、日高信六郎(上海総領事館、参事官)

 3、宇都宮直賢少佐(上海派遣軍司令部付軍特務部、情報担当)
   いずれも、「正義感の強い中立的なジャーナリスト」と信じ込み、
   『戦争とは何か』の意図を察知できず。

 *ティンパーリの流した情報、国際委員会情報に影響された人々
  ・外務省(石射東亜局長、岡崎久彦等)
  ・陸軍(加登川幸太郎『偕行』元編集長等)


15、歴史学者、歴史家、政府、マスコミ

謀略宣伝の捏造情報を批判するのではなく、擁護、合理化、正当化し、歴史偽造をする「歴史学者」「歴史家」たち
 例: 洞富雄、藤原彰、笠原十九司、吉田裕、他
 
そして歴史学会の大部分の人たちこんなウソの歴史学会の考えを受け入れ、教科書に載せる文部科学省の愚かさ

それを全く批判しないばかりか、援護、支持するマスコミ


~~~~~

「南京事件はなかった」茂木弘道氏H25年講演録(4)

2014.11.16.16:47

平成25年8月25日『「南京の真実」パネル展』講演会
南京虐殺は中国国民党の戦時謀略宣伝である
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道

~~~~~

10、希代のウソつきベイツ

・工作員ティンパーリに送った南京情報は国際委員会文書+ねつ造文書で、国民政府に協力するためのものだった。

・国際委員会文書では、最大でも殺人は27件であったが、ベイツは紅卍会埋葬報告書(遺棄死体の埋葬)4万のうち30%の1万2千は市民のものだという、およそかけ離れた数字を何の根拠もなく書き送った。

・これが東京裁判でベイツの虐殺証言となった。

・12月15日、南京を離れる記者たちに全くの捏造文書を渡していた。
 「2日もすると、度重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をも含む家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまった。

・市内を見回った外国人は、この時、通りには市民の死体が多数転がっていたと報告しています。・・・死亡した市民の大部分は、13日の午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたりしたものでしょう。」


11、同僚、同宿のスマイス(金陵大学教授、国際委員会事務局長)の家族への手紙と全く矛盾する内容

「12月13日(月曜日朝)宿舎へ帰る途中、午後1時に日本兵が漢中路に到達しているのを見つけた。我々は車でそこへ行き、約6名の小さな分遣隊に会った。それが最初だったが最後ではなかったのだ。上海路と漢中路の交差する角で、彼らはバスを調べたが、人々を傷つけることはなかった。」

「14日火曜日の朝。我々は目覚めて戦いは終わったと感じていた。・・・今は日本兵がいる。秩序ある体制と順調な事態が作られて、状況はバラ色になるだろう。」

≪もし、度重なる殺人などが行われていたとして、当然発砲音けたたましい中でこんな感じ方をして、家族に書き送るだろうか?≫

≪そもそも、安全区担当の第7連隊第1、第2大隊は13日午後は掃討作戦をせず、夜間に安全区を視察した後、市の東南部に宿泊している。13日には発砲など全くしていない。ベイツの言ってることは全てウソである。≫


12、結論


 1.『戦争とは何か』(ティンパーリ)の主たる情報源は、
   ベイツであった。
   フィッチ(YMCA主事で根っからの反日運動家)
   の捏造記事がこれに加わった。

 2、ニューヨークタイムズ、シガゴデイリ―ニュースなどの情報源も
   ベイツであった。
   
   『戦争とは何か』の出版予告の手紙「諸友宛」
   「その本には12月15日の南京を離れようとした
   様々な特派員に利用してもらおうと
   私が準備した声明が掲載されています。」

 3、東京裁判での架空の民間人虐殺1万2千の証言によって、

    南京虐殺を裏付ける役割を果す。


~~~~~

「南京事件はなかった」茂木弘道氏H25年講演録(3)

2014.11.16.16:41

平成25年8月25日『「南京の真実」パネル展』講演会
南京虐殺は中国国民党の戦時謀略宣伝である
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道

~~~~~

7、柱の1、ティンパーリーは国民党宣伝部の工作員だった 

・『近代来華外国人名辞典』

「ティンパーリー:1937年盧溝橋事件後、国民政府は彼を英米に派遣し、宣伝工作に当たらせ、ついで国民党中央宣伝部顧問に任命した。」   

・国際宣伝処長曽虚白自伝

「我々は手始めに、金を使ってティンパーリ本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して日本軍の南京大虐殺目撃記録として2冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。(『戦争とは何か』と『戦争被害調査』のこと)

「われわれはティンパーリと相談して、彼に国際宣伝処の陰の責任者のなってもらうことになり、トランスパシフィックニュースサービスの名のもとにアメリカでニュースを流すことを決定した。」

・国際謀略宣伝のキーマン、ティンパーリ

Trans Pacific News Service のアメリカ責任者にニセ写真をばらまき、APがこれを使ってしまい、ウソがばれてAPが謝罪した事件をThe Lowdown誌が 伝えている。

すでに戦前にニセ写真がばれていたことが分かる。


8、柱の2、ニューヨークタイムズ、シカゴデイリニュースの記事

・類似した両記事

・ニューヨークタイムズ:見出し「捕虜全員殺害、市民も殺害、南京に広がる日本軍の恐怖、陥落後の特徴は屠殺」

「日本軍は南京で大規模な残虐行為と蛮行をおかしたことにより南京住民や外国人から尊敬と信頼を克ちうる又とない機会を失ってしまった。」


・シカゴデイリーニュース:

「日本軍は中国民衆の同情を獲得できる、又とないチャンスを、自らの蛮行によって失おうとしている。・・・日本軍の機関銃隊が月明かりの中街路を走行し、走るものならだれでも…射殺した。」

ダーディンもスティールも15日には南京を離れているので、自分の目で見たこととは思われない。
(理由は後で見るようにベイツ・メモにあった)


9、柱の3、ベイのツ正体

・国民政府顧問であることが、エール大学所蔵の南京関係文書から明らかとなった。
(東中野教授が新聞切り抜きを発見)

・国民政府から戦前、戦後の2回叙勲を受けていた。


~~~~~

プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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