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別冊正論26「南京」斬り(1)書籍紹介

2016.08.13.15:12

別冊正論26号 3月22日発売!

「大虐殺」は蔣介石と中共の〝国共合作〟
「南京」斬り
―ウソと実像を見極める―

【発行所:産経新聞社 発売所:日本工業新聞社】
定価1000円(926円+税)

中国が世界記憶遺産に登録した「南京大虐殺」。日本の研究では一般市民の大虐殺はなく、捕虜の処刑が2万人か数千人かという議論が残る水準になっています。この日本側究明内容を紹介するとともに、そもそも南京攻略戦とはどういう戦いで、それを指揮した松井石根大将とはどういう人物だったのかを探ります。半面、ウソとプロパガンダで松井大将ら多くの将兵を処刑した蒋介石が、大陸や台湾で行った住民殺戮や恐怖独裁政治を暴き、決して「以徳報怨」の日本の恩人ではないことなどを明らかにします。

【コンテンツ】

79年目の『南京のハロウィン』「詐の国」の詭道と「誠の国」の武士道 漫画家 黒鉄ヒロシ

南京攻略戦の経緯と結果 軍事史学会顧問 日本軍の誤算、中国軍の壊乱 原剛

米中プロパガンダとしての「南京事件」「事実の重さ」は命の尊さ同様国境なし 早稲田大学教授 有馬哲夫

城門陥落後のシナ兵処刑をどう見るか ―戦時の国際視線と今日の〝平和目線〟 亜細亜大学教授 東中野修道

「南京事件」と戦時国際法 日本軍の遵法姿勢と支那の「暴虐」主張 青山学院大学名誉教授 佐藤和男

自民歴史議連が明確にした南京の捏造 国際連盟も一蹴した中国の政治宣伝 元自民党歴史議連事務局長 西川京子

左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか 中国のいいなりで日本側記録検証せず 軍事評論家・元防衛大学校教授 柿谷勲夫

日中共鳴の「南京大虐殺」虚構史 進展する日本側の実証研究 月刊「正論」編集部

中国に洗脳された中帰連の宣伝と協力者 日本軍「残虐行為」はどう創作されたか 昭和史研究家 田辺敏雄

「南京」遺産登録に見える中国の病理 誣告の横行―「谷寿夫死刑判決書」 立命館大学名誉教授 北村稔

習近平、鄧小平も信じない「大虐殺」 それを事実にしてしまう日本側分子 近現代史研究家 阿羅健一

蔣介石の住民虐殺に浮かぶ支那の心性 「日本軍の暴虐」創作の背景は何か 評論家・文明史研究家 黄文雄

蔣介石の視点からみた「南京」 浮かぶ日中のさまざまな「ズレ」 敬愛大学教授 家近亮子

日本は蔣介石中国に莫大な賠償を行った 「以徳報怨」の賠償放棄とは何だったか 近現代史研究家 岸本昌也

日本軍の「残虐」は中国自身の「翻訳版」 中国こそは大虐殺の常習犯だ 評論家 石平

大虐殺は「中華のファンタジー」 娘とともに見続けた南京の虚像と現実 作家・ジャーナリスト 山田順

悲劇の司令官・松井石根の無念 仕立てられた悪役は真の支那思いだった ノンフィクション作家 早坂隆

興亜観音と昭和殉難者たち 今も受け継がれる大東亜の理念 興亜観音責任役員 黒岩徹

刑死した七士遺骨を奪還した義憤 東京裁判―極東軍事裁判の実態と 東京裁判主任弁護人 三文字正平

殉国七士廟と三ケ根山 殉国七士奉賛会 父三文字正平の遺志を継いで 殉国七士墓前祭祭主 福留佳子

国民一丸だった軍事裁判受刑者名誉回復 消えぬGHQ占領工作の残滓 元論説委員長 中静敬一郎

遺書「百人斬りは断じてない」 陸軍少佐 野田毅、向井敏明

そうだ「南京」しよう! ホワイト(善意)プロパガンダ画家の反撃 漫画家 はすみとしこ

あとがき

http://seiron-sankei.com/wp-content/uploads/2016/02/9f86cc8370d2b84cc5dfba17910badf4.jpg
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朝日が明かす中国の嘘(上)書籍紹介

2016.06.28.19:04

書籍「朝日が明かす中国の嘘」田中正明編著
定価  1,728円:本体1,600円+税
出版社 高木書房

高木書房「朝日が明かす中国の嘘」表紙

朝日新聞は30万人の南京大虐殺があったという。だが、当時の朝日新聞には、それについて何も書いていない。むしろ微笑みが戻った南京を報道している。当時の新聞記事を紹介しながら南京の真実に迫ります。

ジャーナリストの水間政憲氏は指摘する。「中国が南京大虐殺を持ち出したのは1970年代に入ってから。1972年の日中国交正常化に向け、外交を有利に展開しようと歴史認識問題の利用を思いついたのです。これに乗じたのが朝日新聞をはじめとする左翼メディアだった。1971年に始まった本多勝一氏の連載『中国の旅』で大キャンペーンを張り、日本軍による南京大虐殺を国内外に喧伝しました」

中国の嘘の最大のヒット作「南京大虐殺」証拠写真こそ捏造 / 南知隊 2015.06.25
http://mayuryou1025.blog76.fc2.com/blog-entry-637.html

石平氏著「私はなぜ「中国」を捨てたのか」を見る(1)『私は「毛主席の小戦士」だった』を改訂改題

2016.05.21.04:57

「私はなぜ「中国」を捨てたのか」(Wac bunko 200908月発売)は 『私は「毛主席の小戦士」だった』(飛鳥新社、H18)を改訂し、改題したものです。

 

―――――

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

「日本に来たことが私の最大の幸運」共産党による思想教育、文化大革命、天安門事件を経て祖国に幻滅し、日本に帰化した著者の“魂の変遷の記録”。「中国は共産党の“政治的道具”でしかない」と、著者が絶望した中国の内情とは?そして、著者が見惚れ安息の地を求めた日本の美しさとは?祖国を捨てた男の覚悟と哀しみに触れる。

―――――

【目次】(「BOOK」データベースより)

第1章    私は「毛主席の小戦士」だった(私は「民主化運動世代」の一年生/ウソの教義に毒される子供たち ほか)/第2章 いかにして「反日」はつくられるのか(帰国して驚いた中国人民の「日本憎し」/「原子爆弾で日本を滅ぼせ」 ほか)/第3章 中国を覆う「愛国主義狂乱」(「反日」という怪物と、もう一つの怪物/女優の運命を変えた一枚の服 ほか)/第4章 日本で出会った論語と儒教の心(大学の教職を追われた両親/小学校では「国語の師匠」 ほか)/第5章 わが安息の地、日本(美意識の集大成「唐詩宋詞」/「高尚と優雅」が去って「腐敗と堕落」が来た ほか)

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■■ Japan On the Globe(487) 国際派日本人養成講座 ■■■■

 地球史探訪 : 中国の覚醒(上) 中国共産党の嘘との戦い

                      「毛主席の小戦士」から「民主派闘士」へ、

                      そして「反日」打破の論客へ。

■転送歓迎■ H19.03.11 34,560 Copies 2,461,531 Views

             

■1.「毛主席の小戦士」■

 

石平氏は、1980年に北京大学に入学した。そこで人生最大のショックに打ちのめされた。物心ついて以来、「人民の幸福を願う慈悲の救世主である毛主席」の小戦士として育てられてきたのに、その毛主席がどんな悪事でも平気でやり通す権力亡者だ、と非難する人が大学には大勢いたのである。

 

石少年の学んだ四川省成都市の中学校は「思想教育の重点模範校」に指定されていて、「毛沢東思想の徹底した教育によって毛主席の忠実な戦士を作ること」を基本方針としていた。学校の玄関から入ったところには、毛沢東の石像が聳え立ち、至る所に毛沢東語録を書いた看板が立てられていた。毎朝一時限目の授業では、クラスの全員が起立していて毛沢東の顔写真に敬礼した後、さらに3人の生徒を立たせて、毛沢東思想を勉強したことによる「収穫」を述べさせるのが日課であった。担任の女性教師は、教室の中で毛主席や共産党の「温情の深さ」を語る時、いつも喉を詰まらせながら泣き出してしまうのだった。そして毎週一度、生徒全員が「毛主席への決心書」を書かされるのだが、石少年は文章が上手だったので、時々模範文に指定され、クラス全員の前で朗読させられた。その一つは「敬愛なる毛主席は私たちの心の中の赤い太陽」というタイトルだった。

 

■2.やり場のない怒り■

 

ところが、北京大学のキャンパスには、敬愛する毛主席を非難する人間がたくさんいた。誤った大躍進政策で数千万の人民を餓死させ、自分の地位が危うくなると文化大革命という争乱状態を作り出して、多くの罪もない人びとを死に至らしめた独裁者だった、と彼らはいう。

 

 最初は勿論、絶対に信じたくはなかった。私は小柄であるにもかかわらず、「毛主席の悪口を言うやつ」に対しては、何度も食ってかかって、殴り合いの喧嘩をした。しかし、徐々に信じざるを得なくなった。示された根拠は、あまりにも説得力のあるものであり、被害者とその家族たちの訴えは、あまりにも切実であった。

 大学の学生寮で同じ部屋に住むC君は、お祖父さんが無実の罪で処刑されたのも、お父さんが無実の密告で自殺に追い込まれたのも、お母さんがそれで気が狂って精神病院に入っていることも、C君自身は帰る家もなく夏休みも冬休みもずっと、この学生寮で暮らしていたことも、紛れもない事実であった。[石平『私は「毛主席の小戦士」だった』,p32]

 

そう言えば、と石氏は思い出した。中学生の頃、近所に乞食のお婆さんがいた。通りかかる生徒たちにいつも笑顔で「勉強がんばってね」と声をかけてくれた。そのお婆さんが、トラックで市中を引き回された後に、処刑場で銃殺されたのである。その罪は、毛主席の顔写真が掲載されている新聞紙を使って、拾った大根を包んだ事だという。今になって思えば、これこそ毛沢東政治の狂気と残虐性を示す一例だったのだ。自分が子供の頃から完全に騙されて育ってきた、と知ったのは、19歳の青年にとっては、あまりにも過酷な体験であった。

「新・地球日本史」

2016.05.11.12:38

新・地球日本史〈1〉明治中期から第二次大戦まで

西尾 幹二【責任編集】

産經新聞出版(2005/02発売)


内容(「BOOK」データベースより)

日本を犯罪者国家扱いした戦勝国のワナにはまって、国民は「自虐」史観から抜け出られなくなった。また、例え軍事的に負けたとしても、道義的には勝利していたと主張すべきではなかったのか。その根源を遡れば、日清・日露の戦から歴史観を見直さねばならないことが、本書によって明らかにされる。第一級の歴史家による、近代日本の栄光と苦難の道程が検証される。


内容(「MARC」データベースより)

明治中期から第二次世界大戦までに時代を限定し、ー様々な分野の専門家20人が、視点を変え主題を異として、日本史の新しい見方を示す。平成167~174月『産経新聞』連載の単行本化。



目次


日本人の自尊心の試練の物語


明治憲法とグリム童話

「教育勅語」とは何か

フェノロサと岡倉天心

西洋人の見た文明開化の日本

大津事件政治からの司法の独立

日本の大陸政策は正攻法だった

日露戦争西洋中心史観への挑戦

明治大帝の世界史的位置

日清日露の戦後に日本が直面したもの

ボーア戦争と日英同盟

韓国併合

韓国人の反日民族史観のウソ

昭和天皇の近代的帝王学

中華秩序の破壊とその帰結

米国に始まる戦争観の変質

大正外交の萎縮と迷走

歴史破壊者の走り津田左右吉

日本に共産党はどう忍び込んだか

徳富蘇峰の英米路線への愛憎



新・地球日本史〈2明治中期から第二次大戦まで

単行本 – 2005/6

西尾 幹二 (編集)


内容紹介


国民国家の立ち上がりから怒涛の昭和へ!アジア解放の努力と、苦難の昭和史から学ぶ。近代百年でつちかった、日本の美徳と志操とは


目次


対談 国民国家の立ち上がりから怒涛の昭和へ(三浦朱門 西尾幹二)

アメリカ国民の中国理解の低さ

孫文に裏切られた日本人たち

日本の満州政策に大きな問題はない

中国戦線におけるコミンテルンの戦略


南京大虐殺は存在せず

「世界を駆けめぐった米紙の特ダネ」

「米国人特派員は目撃していなかった」

「毛沢東は「虐殺」を否定していた」

「人口と同じ人数が殺害された?」

「告発の書は中国国民党の宣伝本だった」

「極秘文書にも「虐殺」の記述はない」


ノモンハン事件とスターリンの狙い

汪兆銘政権は日本の傀儡ではない

大正・昭和初期のエリートへの疑問

現人神の真実

保護貿易と日本

京都学派の世界史的見方

日独伊三国同盟

東条英機の実像

ルーズベルトの覇権思想

翻弄される最後の外交

日米開戦やむなし

大東亜会議の栄光と悲惨

戦後の日本を決めた米国務省文書

GHQ焚書図書開封(27)「征野千里」18:杭州湾の敵前上陸4

2016.05.05.14:32

写真は城壁を乗り越えて敵陣へ
seiya11.jpg

敵の陣地が一度に大火薬ででも炸裂したように、ダーンダーンと幾十とも知れない機銃が喚きつづけた。このすさまじい銃砲火の狂乱の後になにが来るかを私たちは長い戦闘の経験で知っていた。私たちの壕の中には忽ち生々としたものが甦って来た。「野郎いよいよ逃げ出すな――」とみんながつぶやく。そして早速背嚢を背につけて、いつでも壕を飛び出せる用意をした。戦場では兵隊というものは実に不思議なほど瞬間瞬間で変化をする。豆が出来て、もう一歩も歩けないという兵が散開すると、歩けぬ筈の足で立派に畑を蹴って突撃するし、眠気なぞ何処にあるかという顔で走りわめいていた兵がちょっと休止すると、もうぐうぐう眠ってしまったりする。いまもそうだ。焦躁と疲労の極ドロドロの壕の中におのおのの生気を溶かしこんでしまつた兵たちが、猛烈な銃火が敵の敗走準備を意味すると知るや、とたんに、シャンと張りきってきた。そして、口惜しくて口惜しくてたまらない敵だ。全滅してもいいからこの壕を飛び出して敵の機銃座へ銃剣を突きつけたいと思った。こんどこそ、どんなに逃げても必ず追いついて突き刺してやろう、とみんな考えた。果して夜中近くになると敵の銃火が、人の足音にピタリと鳴き声を静めるコオロギのように、寒々と衰えて来た。・・・・

「前進!」と命令が出た。一切の疲労が消し飛んだ。一足飛びに右側の機銃座へ飛び込むと、敵の死体と死体の間へグチヤグチャと足を突っ込んでしまった。抜こうとすると、一つの死体が私の足をしっかりとつかんだ。「畜生!」と怒鳴って刺そうとして気がついた。敵の死体が両手で私の足を掴んだのではない。私は死体のポケットの中へ足をふみ込んでいて、なかなか抜けないのだった。・・・・
 駅を過ぎて崑山の街へ雪崩れ込むと街の真中を幅四十メートルほどのクリークが流れていた。クリークの橋を一気に渡ろうとすると、対岸の民家からビューッビューッビューッとチェコ機銃が鳴って戦友が三人バタバタと橋の袂に倒れた。さっそく友軍の軽機が橋の袂からこの民家を射った。私たちはクリーク岸の民家の中へ陣どって窓からそこを射った。敵の弾は窓から室の中へ飛び込んでピンッピンッと壁を割ったり、跳弾になってカラカラカランと室を一と廻りしたりした。クリーク前方の民家から射って来ると思うと、左側から壁を突き抜いて弾が飛んで来たりして、何処から弾がくるかほとんど見当がつかなかった。


 室の中は酒倉らしく、酒の香がプンプンしていた。弾は酒甕に当って、甕はいくつもの破片となって室一杯に飛んだ。酒がザーッと流れ落ちる。「オ、オイ」と石原上等兵が呼んだ。「こ、この室で射つのはよせ、隣へ行こう。こりァ酒がみんな駄目になる」と慌てていった。酒倉を出た石原上等兵は橋の袂へ来て、「いつまでやったって駄目だ、飛込め!」と叫んだ。そして一気に橋を渡って対岸へ走って行く。五、六人一緒について飛んで行った。橋向うの角の民家から手榴弾が二つ飛んで来て道の向う側で炸裂した。石原上等兵が銃でこの民家の表戸を叩き破っていた。私が駆けて行くと、この民家から悠々石原上等兵が出て来て吐き出すようにつぶやいた。
「たった三人だ、チョッ!」
 方々で市街戦をやっている音が聞えていた。私たちは市街をずっと掃蕩して日も暮れだしたので、街外れの民家で宿営することになった。歩哨を立てて炊事にかかると、しきりと機銃の音がして弾がいくつかピューンピューンと民家の屋根に当たり出した。銃声はいよいよ激しくなって、どうしても戸外で炊事をすることが出来ない。家の中へはいると弾は室の煉瓦を突き抜いて飛び込んで来る。またぞろしつこく逆襲をはじめてきたのだが、もうそれにかかり合う気にもなれなかった。敵は民家の二、三十メートル近くまで押し寄せて来て、盛んに射つ。友軍の機関銃隊が何処かに陣を作ってザーッとこれを薙いでいた。すると激しい銃声の中にしきりと犬の鳴き声が聞えるように思った。
オヤ、と思ってみんなが聞き耳をたてた。確かに犬の鳴き声だ。聞き覚えのある鳴き声――「サチだろ」と、誰かが叫んだ。「サチだ、サチだ」とみんなが一斉に飛び出した。

 崑山の前衛線の燃える鉄橋で、片足を真赤に血に染めながら駆け出したきり、生きたか死んだか知らなかった『幸』だ。私たちは家を出て本部の方へ走って行った。本部の入口で見覚えのある大きな耳を立てた犬が、兵たち二、三人と戯れていた。私たちが走って行くと、『幸』は猛然と飛びついて来た。両足を私たちにかけようとしてヨロヨロッとよろめいて止める。そして嬉しそうに「クークー」と咽喉で鳴きながら首を曲げて鼻を足のところへもってゆく。よく見ると、『幸』は片足に白い包帯を巻いていた。よろめいてそれをペロペロなめる。あまりなめるので包帯は黒く汚れてしまっていた。
「オイ、生きてたかッ!」
と石原上等兵が叫んでその大きな首をしっかりと抱いた。『幸』は長い舌で石原上等兵の軍服の襟をペロペロとなめた。やがてまた「クークー」といって足に巻いている包帯を鼻で嗅ぐ。「おーお、わかったわかった、サチ、よかったなあ」そういって、みんながポロポロ泣いた。弾が本部の屋根にカンカンと当っている。

戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵谷口勝著(昭和十三年十二月新潮社発行)より
プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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