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黄文雄氏に学ぶ日支事変史(01)日本に“内政干渉”を続ける中国の狙い/ 欧米諸国には押し黙る狡猾な中国人

2018.05.20.15:51

序段として、Wiki.参照により「日支事変」を明記し、通史としての呼称として代用させていただきます。
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支那事変とは、1937年(昭和12年)に日本と中華民国(支那)の間で始まった、長期間かつ大規模な戦闘である。なお、盧溝橋事件(1937年7月7日)は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾している。その後の中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ(7月15日)、及び蒋介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明(7月17日)により、中国軍の日本軍及び日本人居留民に対する攻撃、第二次上海事変が連続し、戦闘が本格化した。したがって、日中戦争(支那事変)の端緒を、盧溝橋事件と考えるか、国共合作による抗戦‐と考えるかにより、同戦争の歴史的な評価は大きく変わることになる。

ただし、両国ともに宣戦布告がないまま戦闘状態に突入したので、戦争ではなく事変と称する。「支那事変」という呼称は、当時の日本政府が定めた公称であるが、初めは北支事変と呼ばれ、‐た。新聞等マスメディアでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われるほか、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれるなど、呼称の揺らぎがある。
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虐殺史に浮かぶシナの心性 「日本軍の暴虐」はどう創作されたか 黄文雄(評論家・文明史研究家)別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より

https://ironna.jp/article/4110

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支那の伝統文化としての虐殺

歴史や生態によって社会の仕組みも異なり、風習も文化も異なるのは、ごく当たり前のことだ。国共内戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争が起きた近隣諸国と違い、戦後日本が70年も平和を守り続けていることは、世界では稀有な例である。もちろん「憲法九条」があるからではなく、誰かの努力でも、英明な指導者のおかげでもない。それは社会の仕組みのおかげだと私は考える。

江戸や平安の世にも数百年の平和な時代があり、縄文時代の平和はもっと長い。それは自然生態から生まれた社会の仕組みそのもの。日本の神々には、古代ギリシャの「神々の戦い」もない。戦争のない年はなかった支那と、日本は社会も文化も異なる。戦争は生活や風習の延長でもあり、文化の一つでもある。日支の戦争様式(かたち)が違うのは、戦争文化が異なるからだ。

日本の戦争は古来武士が主役だった。支那は全民戦争が多いので、日本の賤ケ岳の役や関ケ原の戦いのように、百姓が山上で観戦する余裕などない。京師(けいし)(王朝の都)は二重、三重の城壁に囲まれ、村落も学校までも囲まれていた。決して万里の長城だけではないのである。

戦争のかたちが異なる支那では、「虐殺」は伝統、風習になり、戦国時代から「屠城(とじよう)=市中皆殺し」が戦勝の一大行事だった。長安、洛陽、開封などの京師では、歴代王朝による大虐殺がよく知られる。戦史によく「穴埋め」も出てくる。秦将・白起(はくき)が趙の40万人以上の投降兵を生き埋めにしたことは史上有名である。武将が戦功を誇るために、敵の遺体を集めて「京観(けいかん)」を造ることが盛んに行われた。その遺跡が「万人坑」(万人塚)である。

村対村、部落対部落の集団武力抗争が「械闘(かいとう)」で、史前から人民共和国の文化大革命期を経て現在も続く。地域の長老だけでなく党書記まで先頭に立ち、武器を持ち出して行う虐殺は民間の風習にもなっている。

ことに民間の武術集団は、匪賊(ひぞく)退治だけでなく異教徒の皆殺しも行う。19世紀末のイスラム教徒大虐殺(洗回(シイホエイ))や、20世紀初めのキリスト教徒大虐殺の北清事変(義和団の乱)は歴史的大事件となった。文革期はあらゆる宗教が絶滅された。1989年の6・4北京天安門虐殺に世界は震撼したが、それは「木を見て森を見ない」支那観である。
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中国こそ逆に日本に謝罪すべき9つの理由―誰も言わない「反日」利権の真相 単行本 – 青春出版社, 2004 /3  黄 文雄 (著)

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第1章 日本に“内政干渉”を続ける中国の狙い

中国による理不尽な教育への干渉に対し、日本が今までのように不作為に徹し、さらには譲歩、迎合を積み重ねるならば、「勝者にこそ歴史の解釈権がある」という中国の信念はますます強固なものになっていくことだろう。それにしても中国人の歴史観は、さすがに政治の道具だけあり、歪曲、捏造に満ちたものである。(p39)

中国が警戒するといってやまない「日本軍国主義の復活」という文句は自国の軍拡の道を正当化したいがための言いがかりだ。そのような言葉を謙虚に承ろうとする、あるいはそれに唱和する愚かな日本人がいかに多いことか。(p43)

戦後の首相による靖国神社参拝は、1951年秋に吉田茂首相が再開し、52年の大祭以来、・・・歴代首相は、みな例大祭には公式参拝している。75年以降は、八月十五日と例大祭に参拝している。ところが85年に中国から抗議されると、当時の中曽根首相は参拝を取り止めた。‐どうしてここに至って抗議を開始したのであろうか(p45)

反撃できないおとなしい相手に対し、とことん、際限なくつきまとい、脅迫し、利益を引き出そうというのが、易姓革命国家のヤクザ体質の特徴である。李登輝氏はしばしば、中国人の特性として「柔らかい土を掘る」と指摘しているが、まさにその通りである。(p67)

中国人の凶悪犯罪が横行するようになってからは、警察官までが一番恐れているのが中国人だ-。最近の警察官は中国人の危険性から一人では巡回しないのだそうだ。‐中国人は凶器を持っている者が多く、危険なため、なかなか近寄れないのだ(p75)


第2章 欧米諸国には押し黙る狡猾な中国人

戦後中国の国共内戦にしても米ソの代理戦争であることは否定できないが、中国内戦に関与した列強の中で、なぜ日本だけが侵略国として非難され、米英ソだけが中国防衛戦争を支援したと評価されるのだろうか。(p109)

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書籍「侵略の世界史」(5)おわりに 2、日本には白人型植民地支配は一つもない 西欧植民地支配と日本との最大の違い

2017.08.15.12:42

スペイン、ポルトガルの16世紀の空前の大繁栄は、本国の何十倍もの中南米やアジアの植民地からの掠奪と奴隷貿易、奴隷酷使の結果であった。
ところがその繁栄の原資の植民地を次の植民地泥棒のオランダや英仏に奪われると、たちまち衰亡してしまった。また大東亜戦争後、ヨーロッパ列強のすべてはその虎の子の植民地を失い、いずれも往年の繁栄を失い、斜陽国に転落している。

ところが日本のみ、植民地を失ったにもかかわらず、独り空前の繁栄を誇っているのは、なぜだろう。
それは逆に植民地をすべて捨てさせられたからである

既述のごとく日本にとって植民地は掠奪の対象でなく、国費持ち出しの対象だったからであるそのお荷物を降ろさせられて、かえって日本は大繁栄することかできたのだ

これによって日本の言うところの植民地支配は西洋のそれとは全く異質であったことが、はからずも実証される結果となったのである。

日本には植民地大学はないが拓殖大学があって、新しく国土に編入された土地人民をいかに開明するかの努力が果たされてきた。
北海道を植民地と言わず、北海道拓殖と言うように、台湾も樺太も朝鮮も表面上植民地であったが、実際は北海道と同じく国家の拓殖の対象だったと見るべきである。

書籍「侵略の世界史」(4)おわりに 2、日本には白人型植民地支配は一つもない 台湾の繁栄を韓国はどう説明するのか

2017.08.15.11:51

白人の植民地とは、地球の反対側まで遠征してきて、武力により白人以外の有色人種の人と土地と資源を略奪する対象の土地のことだ。それは自国の国益のためだけで植民地住民の利益、国益など眼中におかないものだ。
英国のインド植民株式会社(東インド会社)の例のごとく、株式会社方式だから利益の追求が目的で、原住民の開明、福祉など考える必要はなかった。英国だけでなく仏、蘭などの植民地経営も、まったく同じ株式会社方式であった。

これに対して日本のいう所の植民地は、すべて日本に隣接の土地で、同じ顔のアジア人の土地である。台湾も樺太も朝鮮も、軍隊を派遣して力ずくで奪ったものは一つもない。
台湾、樺太は敵の侵略に対する自衛戦争の勝利の結果、賠償として国際条約を結んで合法的に自国に組み込まれたものであり、朝鮮も二国間の条約に基づくチェコスロバキアのような併合である

日本の植民地政策は白人のような掠奪の対象とするのでなく、原住民の生活や文化を日本人と同じレベルに引き上げ恩恵を与えようとする皇民化政策で、すべて開明、拓殖を意図したものである。
学校、道路、鉄道、港湾、病院など、社会基盤の整備に大変な努力を払った。当時の日本の国家財政の一割をその開明のために投資しつづけたのである。
朝鮮では、一面(村)一枚の学校を建て、住民は初めて基礎教育を受け、ハングルも初めて覚えた。京城帝大や台北帝人は名古屋、大阪帝人より先に造られたほどだ。


西欧の植民地では、教育など施すと利口になり独立運動の反乱分子を養成することになるからという理由で、絶対にやらない。住民を愚民のままにしておくのが白人植民政策であった。
日本の植民地教育の成果は、戦後独立した台湾と韓国かアジアで日本に次ぐ工業先進国に突出できたのを見ても明らかである。韓国は、戦後日本に次いでアジアでオリンピックを開くほどの先進国になれた。
感謝されこそすれ、怨みを買う筋合いはないはずだ。

それなのに韓国は日本の植民地支配を日本最悪の悪政として、いつまでも外交の切り札に使っている。日本側が一切反論しないのをいいことにして、日本をうさ晴らし、ウップン晴らしの対象にしているのである。
これでは永久に日韓の友好親善はありえない。
日本側が一言も反論せず、NOとも言わないことをよいことに、日本たたきの捏造、非難、怨念は、年ごとにエスカレートしている。韓国はいつになったら国際的な大人の国になるのであろう。


日帝36年が悪政なら日帝50年の台湾は、もっと悲惨な国になっているはずである。
台湾は日本統治が長かっただけ教育、社会基盤整備が進み、戦後アジア第一の外貨を持つ近代国家に成長している。これを韓国はどう説明するのか。
台湾はマッカーサー占領政策に侵されなかったお陰で、大東亜戦争を正しく評価し、日本人として大東亜解放の聖戦に参加したことに誇りを持っている。
いま靖国神社に、台湾人の英霊が2万7000人も祀られているのだ。
なお韓国人も2万1000人祀られている。

台湾のすぐ南に接するフィリピンは、スペインとアメリカの白人植民地支配下にあったお陰で、固有の文化も言語も否定され、英語、キリスト教を強制されたが、アジアでは貧しい国のままに留まっている。
私がフィリピンを訪ねたとき、識者の一人は「比国も台湾のように日本の植民地になっておればよかったのに、残念です」と述懐しておられた。

書籍「侵略の世界史」(3)おわりに 1、日本には侵略戦争は一つもない 自国民を略奪、強姦した支那兵

2017.08.15.11:36

次に日本の支那大陸侵略のまぎれもない証拠として宣伝されている支那事変も、中共軍の自作自演によるデッチ上げの謀略事件であった。
ソ連のスターリンが、敵同士、日本と蒋介石の国民軍を戦わせるために中共軍を手先として仕組んだ陰謀であった。

盧溝橋事件をきっかけとして、中共車は通州事件、上海事件と次から次へと反日、抗日のゲリラ戦を展開し、在支日本人と軍属を虐殺して、その鎮圧のため、日本軍が出兵せざるをえないよう無理矢理誘い込んだのであった。
支那事変は日本か好んで支那人陸に進攻したのでなく、無理矢理引きずりこまれた事件だった。

なお、盧溝橋事件は中共の仕掛けたことか明らかだったため、東京裁判でも、やぶ蛇になるからと、一切取り上げられなかったのである。

そもそも日本は中国に宣戦布告した覚えもなく、日中戦争など存在しない。中共軍とは直接戦っていないのだ。支那軍と日本車のまともな大会戦など一つもなく、ゲリラ掃討作戦にすぎなかった。
この長期の事変で支那民衆に耐えがたい苦痛を与えたのは日本軍でなく、支那兵だったのである。

このことについて蒋介石の米の軍事顧問・ウェッドマイアー将軍は回想録『第二次大戦に勝者なし』の中で、中国民を苦しい目にあわせたのは日本軍でなく支那兵だとはっきり証言している。
支那兵は逃亡に際して掠奪、放火、強姦のやり放題だった。それか唯一の彼ら兵士のボーナス、サラリーだったからである。

支那事変を操った存在としてソ連のスターリソと同時に、米国のルーズベルトも忘れてはならない。
米国は当初から大量の援蒋物資を送って、日本軍の大陸での長期の消耗戦を企てた。
ルーズベルトは日本打倒の日米戦争の前哨戦として支那事変を長びかせ、日本の国力を消耗させ、つづく日米戦を有利に始めようと策謀した。


このように支那事変は、米ソの日本打倒の代理戦争を蒋介石にやらせたのだ。要するに、米ソが主体となった白人の極東アジア侵略戦争であった。
以上のことから、明治以来日本には、侵略戦争は一つもなく、すべての戦争か自衛戦争で、白人勢力によるアジア侵略に巻きこまれた戦争であったのだ

書籍「侵略の世界史」(2)おわりに 1、日本には侵略戦争は一つもない 満州国建国に、なんらやましい点はない

2017.08.15.11:25

近世500年、白人の歴史は侵略に次ぐ侵略の歴史であったが、その間日本は江戸時代を中心として鎖国を国是としていた時代だった。
鎖国は侵略の正反対の概念である。幕府は、外国遠征の軍隊を養成したこともない。幕末から明治維新にいたる白人列強の東洋侵略に備えて、急いで富国強兵策を採ったか、それは専ら自衛のためで、侵略戦争のための軍備ではなかった。

日本外交の一番の関心事はお隣りの朝鮮半島だった
それは日本の生命線で、防衛の第一線であるからだ。ここへ清が侵入支配しようとしてきたのを追い払ってやったのが日清戦争であり、さらにロシアが満州から朝鮮に侵入してきたのを追い払ったのが日露戦争だ
いずれも明らかに自衛戦争であった
隣国朝鮮の国土を守るために日本人は血を流しながら朝鮮の自主独立を願い、独立を認め近代化を応援したのである。日本は隣人の朝鮮が早く近代化して、日本の姉妹国として手を携えて白人の侵略に備えられるよう手を貸してきたのだ。

明治の元勲・伊藤博文は、併合には最後まで反対で、朝鮮の自力更生を願っていたのである。これが明治の一貫した対韓政策であった。
貧しい国を合併したら、持ち出しか多く、国益にならないし、相手国民の面子を傷つけることになる。これが伊藤の考えであった。
その朝鮮の恩人である伊藤博文を、安重根がハルビン駅頭で暗殺してしまうという大事件か起こった。

その反省と償いの気持ちから韓国内に李容九を中心とする一進会の併合推進運動か盛りあがり、賛同者は100万人にも上った。
韓国内の下からの運動によって成立したというのが本当のところである。いわばこの合併はEC合併のようなもので、当時は清国も欧米列強も、極東の安定のためによいことと歓迎したのである
このことは当時の資料を見れば自明のことだが、日本ではこの事実をひたすら隠し、韓国は一進会は日本の御用団体だったなどといって、自国の歴史を改ざんしているのである。

満州国は、極東アジアに初めて、アジア人が自由に移住できる地上天国を作ったものだった。広大な北方アジア大陸は、ロシア人が独占して、現地アジア人を締め出した。
当時、極東アジアでは満州のみが未開発で残されていた。これを日本が関東軍の力で匪賊や軍閥を排除して、満州族出身の皇帝を立てて、五族協和(支那、満州、蒙古、朝鮮、日本人)の王道楽土を築いたのである
極東アジアに初めてアジア人のアジア帝国、アジア人の駆け込み寺が生まれたのである。
その証拠に満州国の施政15年間ほど、居住民にとって安心して幸せに暮らせる時代はなかった。それは関東軍が治安維持に意を払い、馬賊の侵入、ロシアの侵入を防いだからである。

アジアで白人に汚染されていない最後の天地・満州を狙っていたのは、北のロシアと東からの米国であった。米国はアジアに白人支配を排除した王国を作るとはけしからんと、白人中心で構成されている国際連盟の力をかりて、満州国を承認せず、日本を非難したのである。


日本が第二次大戦に敗北するや、ロシアは待ってましたとばかり、大軍を満州に侵入させ、火事場泥棒的狼籍を重ねて、日本人60万人をアフリカ奴隷狩り同様に拉致して、シペリア極寒の地に連れ去り、苛酷な奴隷労働を強い、その結果、6万人が生命を失ったのだ。
近代史上、これほど悪辣な残虐行為はなかった。満州は一夜にして地上天国から地上の地獄に落とされてしまったのだ。

また多数の日本人残留孤児を満州人が保護し育ててくれたことは、現地人が日本人の施政に感謝し、けっして怨んでいなかった確かな証拠でもある。
だが、中国残留孤児は「満州残留孤児」といわねばならない。それは中国人ではなく、日本に恩になった満州人の温情だったのである。
プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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