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支那事変を知る

2015.11.27.19:17

まずはWiki. より

支那事変(しなじへん)とは、1937年(昭和12年)から始まった日本と中華民国の間で行われた長期間かつ大規模な戦闘である(ただし、両国とも宣戦布告を行わなかったため事変と称する)。
日本では初め北支事変(ほくしじへん)、後には支那事変(しなじへん)の呼称を用いた[1]。新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。日支事変(にっしじへん)とも呼ばれる。

「支那事変」という呼称は、当時の日本政府が定めた公称である。
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昭和12年9月2日閣議決定、事変呼称ニ関スル件「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」
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日中戦争は1937年から1945年までの戦争を指すことが一般的であるが、「支那事変」は1937年から1941年12月8日までとするのが代表的見解とされており、期間が異なる。

1941年(昭和16年)12月8日の日米開戦とともに蒋介石政権は9日、日本に宣戦布告し、日中間は正式に戦争へ突入していった。同12日、日本政府は「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と決定した。

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支那事変は、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端として北支(北支那、現中国の華北地方)周辺へと拡大した。8月の第二次上海事変勃発以後は中支(中支那、現中国の華中地方)へも飛び火、次第に中国大陸全土へと飛散し、日本と中華民国の戦争の様相を呈していった。ソ連は空軍志願隊を送り、中華民国側を援護した。

1941年(昭和16年)12月までは、双方とも宣戦布告や最後通牒を行わず、戦争という体裁を望まなかった。戦争が開始された場合、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対する軍事的支援は、これに反する敵対行動となるためである。国際的孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしに戦闘を継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。特に中国にとっては、アメリカの国内法である中立法の適用を避けたかったことも大きい。中立法は1935年に制定された法律で、外国間が戦争状態にあるとき、もしくは内乱が重大化した場合に、交戦国や内乱国へ、アメリカが武器および軍需物資を輸出する事を禁止するものであった。当時、アメリカでは日本に対し中立法の適用を検討したが、中国に多量の武器を輸出していた事もあって発動は見送られた。

事変の長期化と共にアメリカやイギリスは援蒋ルートを通じて重慶国民政府(蒋介石政権)を公然と支援。日本は和平、防共、建国を唱える汪兆銘を支援し南京国民政府(汪兆銘政権)を承認した。


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上海大虐殺を防いだ海軍陸戦隊の敢闘 ― 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道 2010年1月1日
http://hassin.org/01/opinion/963

一、 昭和12年8月13日、上海の非武装地帯に潜入していた中国正規軍は、外国人居住地区の租界に居住する日本人3万人を守る4千の海軍陸戦隊に対して一斉攻撃をかけてきた。航空機も含めた本格的な攻撃であり、しかもこれは一方的な攻撃であったことは、反日的であったニューヨークタイムズですら認めていることである。(1937・8・31日付ニューヨークタイムズより)上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。

二、 4千の陸戦隊に対して、中国正規軍は十倍近い3万、しかもドイツ軍事顧問団に訓練され、ドイツ式装備の精鋭部隊である。常識で考えれば、また中国側の思惑では、中国軍は圧勝したはずである。急遽2千の追加部隊はあったが、それでも戦力差は圧倒的ある。しかし、陸戦隊はここで驚異的な敢闘を行い、中国軍の租界への侵入を阻止したのである。事態の重大性を認めた日本政府は、内地より2個師団の上海派遣を決定したが、その第一陣がようやく上海の呉淞桟橋に上陸したのは8月23日であった。約10日間にわたって十倍近い大軍の攻撃を食い止めた陸戦隊の奮戦はまさに特筆大書すべき殊勲甲の偉業であった。

三、 もし防衛線が突破されていたら何が起こったかを考えると戦慄が走る。7月29日には、北京の東15キロにある通州と言う町で、日本軍が手薄になった隙を突いて中国軍保安隊が400名余りの在住日本人のうち260名を文字通り惨殺の限りを尽くすという事件が起きている。女性はことごとく強姦され、内臓はえぐられ、目はくり抜かれ、というもはばかれるような大虐殺が中国軍によって実際に行われたのである。防衛線が突破されていたなら、上海の3万の日本人民間人がこうむった被害も大同小異であったろう。260名の大虐殺の十倍、或いはそれ以上の悲惨な事件が起こっていた可能性が高いのである。これを防いだ陸戦隊の功績大であることはいくら強調してもしきれない。

四、 上海戦こそは、正確な意味での日中戦争(支那事変)の始まりである。盧溝橋事件は、中国側が仕掛けた挑発であるが、上海の攻撃は正規軍の組織的な本格攻撃である。しかも合法的に駐屯していた日本軍を一方的に攻撃してきたのである。自国の中であってもこれは侵略行為であり、したがって日中戦争は中国の侵略戦争なのである。上海周辺に2万個のトーチカ網を構築し、ドイツ式装備近代軍50万を上海に投入したが、ついに日本軍に破れ南京へ敗走したのである。日本軍も日露戦争の旅順以来という4万余の損害をこうむった。こうして日中戦争は始まり拡大したのであって、何も日本の侵略でも何でもないのである。
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