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「アメリカの鏡・日本」(7)歴史の復活

2017.06.21.19:50

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 私たちの現在の韓国政策は、実は日本軍国主義を免罪しているのだ。アメリカの「安全保障」のために秩序を維持し、ソ連を押さえ込み「共産主義の脅威と戦う」ために、韓国に軍隊を駐留させる必要があるなら、日本が韓国だけでなく、満州と中国に軍隊を駐留させることのほうが重要だった。私たちは自分たちの行為なら犯罪と思わないことで日本を有罪にしている。これは正義ではない、明らかにリンチだ。
 韓国国民の幸福と言う点でいえば、私たちの政策の方が日本より悪い。日本の韓国統治が、自由と民主主義の原則からみて悪であったにしても、平均的国民の生活と自由という点では、状況は今よりはるかにましだった。今日、韓国国民は一人の主人に代わって二人の主人をもっている。韓国経済の安定は完全にくつがえった。そして国は経済的に二つの地域に引き裂かれている。朝鮮民族はソ連とアメリカに率いられる二つの陣営に分けられようとしている。朝鮮民族は解放されるどころか、事実上、敵対するブロックの傭兵部隊にされている。

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 第二次世界大戦後は、アメリカとソ連が圧倒的な力を発揮して、世界を逆戻りさせているのである。そこで極東における国際法が改善されたかどうかを知るために、在満鉄道と旅順をめぐる争いを簡単に振り返ってみたい。

1896年:ロシアが満州とウラジオストクを結ぶ鉄道建設のための租借権を清国から得た。日本を狙った秘密条約で合意が交わされた。八十年間で中国まで鉄道を延ばすというものである。中国は共同経営者だが、運営はロシアに一任する。これが、いわゆる東清鉄道である。

1898年:ロシアは清国政府から中国東部と旅順港を結ぶ南満州鉄道の建設権を得た。旅順港は、日清戦争後、ロシアが日本の介入を防ぐのを助けた見返りに、中国から得たものである。

1905年:日本が日露戦争の賠償として、ロシアから南満州鉄道を獲得した。東清鉄道は引き続きロシアが保持した。

1931年、満州事変

1932年:満州各地区の代表が瀋陽に集まり、「独立」国家満州の建国を宣言。日本に協力と保護を要請した。ソ連が「事実の論理」を認め、日本の仲介で東清鉄道の権益を満州国へ売却することを提案する。

1935年:ソ連が東清鉄道を一億四千万日本円で満州国に売り渡した。

1943年:「三大国」首脳がヤルタで会談し、イギリス、アメリカ、ソ連が秘密協定を結んだ。東清鉄道と南満州鉄道は「中ソ合弁会社が所有すること、ソ連に最大発言権を保証すること、中国の主権が満州に及ぶことを確認した」。この点について、F.D.ルーズベルトが蒋介石の承諾を得ることになった。


 四十七年間の「進展」が、これら戦略的鉄道の環境を1896年の状態にもどした。唯一の変化は、日本が注ぎ込んだ膨大な投資を、ソ連がアメリカとイギリスの協力で、自分の物にしたことである。米英両国代表団がこの取り決めから、何を日本に教えようと考えていたかは定かでない。しかし、彼らが、この取り決めは民主主義と自由を愛する心の表れであるとか、国際関係の「新路線」の表れである、と考えていたとしたら、そのわけを知りたいものである。
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もう一つの逆戻り

 渤海湾への入り口と天津、北平(北京)への道を制する遼東半島先端の戦略的港湾、旅順港をめぐる状況はどうだったろうか。


1895年:日清戦争。日本が勝つ。中国は旅順港と遼東半島の先端部を割譲することになったが、フランス、ドイツが後押しするロシアが抗議。日本は極東平和のために要求を撤回した。

1898年:ロシアが旅順と遼東半島約1300平方マイルについて25年間の租借権を得る。

1945年:再びヤルタ。ルーズベルト米大統領、チャーチル英大統領、スターリン・ソ連首相が会談。旅順は再度ソ連に移譲されることになった。このほか、ヤルタは次の諸事項をソ連に保証している。(1)外モンゴルの現状維持。(2)・・・南樺太の割譲。大連港の国際化。「同港におけるソ連の最大発言権・・・」を保証する。(3)千島列島(どう見ても日本列島の一部である小島郡)のソ連への割譲。


 ヤルタ協定には次のような文章が入っている。
「三大国首脳は、ソ連の主張は日本の降伏後異論なく完全に達成されることで合意した」、「外モンゴル、港湾、鉄道に関する合意には・・・蒋介石総統の承諾を求めるものとする。米大統領はスターリン元帥の勧告を入れ、この承諾を得るための措置を講じる」
 アメリカの政治家たちはいまだにこうしたことを「合法的に」やっている。
 国際問題を正しく理解するには、ヤルタ協定をもっと詳細に見る必要がある。ヤルタ協定を考える場合、①満州の歴史、②私たちがパワーポリティクスと、「暴力と貪欲」を否定するに際して、イギリスとアメリカの政策立案者が発した高邁な宣言、③ヤルタの取り決めにおける中国の立場、④国際関係における「合法性」の概念、の諸点から見ると、西洋列強が「後れた」地域を「指導」する場合の教育システムの間違いが、実に鮮やかに浮かび上がってくる。
 たとえば、「合法性」についての考え方である。在満鉄道の移譲を要求するソ連の法的根拠は何であろうか。彼らは中国東部を二回にわたって「法的に」手放したのだ。一回目は、中国のために要求を放棄した。これは見事だった。二回目は、満州国に売却した。したがって、ソ連への割譲は、対日戦争に協力する見返りであったことは、一目瞭然である。

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 もう一つ「合法性」にかかわる問題がある。ヤルタ会談の時点では、ソ連は日本と戦争していなかった。そればかりでなく、日本との間で不可侵条約を結んでいたのだ。イギリスとアメリカは、具体的条件を出して、ソ連が特定の期日をもって不可侵条約を破棄するお膳立てをしたのだが、両国代表団はそれを「違法」とは考えていないのだ。その結果として、アメリカは八月六日原爆を投下し、ソ連は八月八日宣戦を布告、翌九日に参戦した。
 ソ連はこの行為によって、英米両国政府から日本の領土と財産、満州つまり中国の財産を贈られたイタリアがフランスに対して、全く同じことをした時は、両国から「裏切り行為」として激しく非難された
 アジア人は一連の出来事をパワー・ポリティクスの最もひどい見本と思っているはずだ。アメリカ人に、それがわからないなら自己欺瞞である。ソ連が日本などの領土と財産を得ることができたのはなぜか、政治意識を持つアジア人には、やがてはっきりするだろう。つまり、ソ連はたまたまいいとき(強大国が敵との戦いで味方を探しているとき)に、いい国(強大国)として友邦(つまり、いい国の側に立って戦うこと)になっただけのことなのだ。

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 今日私たちがいっているように、連が「世界の脅威」であり、日本を支援(日露戦争時代)した、かつての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満州を緩衝国家にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に無能だったことになる。そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。
 わたしたちの政策担当者は、パールハーバー以前の政策と現在の政策をどう整合させようとしているのか。何百万の生命と何十億ドルに相当する物量と人力をかけて、わたしたち自身の民主主義をぶち壊してしまう前に、政策担当者は「脅威」の実体について、もっと透徹した思索をめぐらし、揺るぎない決断を下すべきなのだ。

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