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新「南京大虐殺」のまぼろし(1)アウシュヴィッツと南京の違い

2011.11.05.20:14

「南京大虐殺」という言葉を、いまでは老いも若きも、日本人の中で知らない人はいない。日本人ばかりではない。中国、韓国をはじめとして、多くのアメリカ人、ヨーロッパ人でも、知的階級に属する人なら、その名前ぐらいは知っている。「南京大虐殺」は「アウシュヴィッツ」と並んで、第2次世界大戦で起ったできごととしてはズバ抜けて世界中の人によく知られている。日本とドイツの恥部に当たる事件なのである。

「アウシュヴィッツ」と「ユダヤ人浄化」についていえば、戦後ドイツの強制収容所で生き残った多くのドイツ人はアメリカその他の連合軍地域内に保護され、数え切れないほどの証言を残した。-現に、ソ連がアウシュヴィッツを解放した時のフィルムも残っており、アウシュヴィッツ収容所は原型を止める形で保存され、現在でも世界中の人たちからの訪問が絶えない。

それに対して、「南京大虐殺」といわれるものは、アウシュヴィッツのように、収容所跡が保存されているわけではなく、証拠のフィルムが残っている訳でもない。

それに、アウシュヴィッツの場合は、指導者ヒトラーは「わが斗争」のように、ユダヤ人浄化を明記した文書が残っており、その目的がはっきりしている。ヨーロッパでは「ユダヤ人蔑視」の伝統は長い歴史のあるもので、アメリカでも戦後3年目に当たる1947年に作られた有名な映画「紳士協定」には、当時アメリカ社会が持っていたユダヤ人への偏見を、ニューヨークという舞台の上で、鮮やかに描いている。第2次世界大戦中のユダヤ系アメリカ人に対する差別は、アメリカ随一の人気作家アーウイン・シヨーの「若き獅子たち」を読んでも明らかである。

ところが、日本には中国人に対する差別というものが、白人社会におけるユダヤ人に対するもののように存在していたわけではなかった。「中国人だから殺してもいい、或いは迫害してもいい」という考えは、一般日本人の中にも、或いは政府の政策としてもなかった。

それにもかかわらず、盧溝橋事件をきっかけとして「日中の全面対決は、日本の強引な侵略的意図によって始まった」という風に日本人は信じている。そして、この戦いはやがて上海に「飛び火」し、上海戦をへて、日本軍は「南京攻略」へと、戦いを進めていった、というのが、一般の人たちが考える「日支事変」(或は、日中戦争)のはじまりである。



1972年、僕が始めて「"南京大虐殺"のまぼろし」という作品を書いたときにも、基本的にはこのような認識の上に立っていた。しかし、1980年代の後半になり、日本人の中国渡航が比較的容易になると、僕もその中の1人に交じって、まず上海へ、そして南京へと旅行するようになった。無論、いわゆる「南京大虐殺記念館」(1985年完成)にも行ったが、建物はアウシュヴィッツに対して、余りにもお粗末であり、展示品は「向井 野田両少尉(当時)」の事を書いた昭和12年の「東京日日新聞」と、郭岐という署名のある「西京日報」という新聞の一部分が展示されているだけで、他にはこれほどというほどの印象的な同時代記録が並べられていたわけではなかった。

「向井 野田両少尉」については、僕は1972年に60貢近くの貢数を割いて、「向井少尉はなぜ殺されたか」を書いて向井少尉の無実を立証したつもりだったが、それは、1972年は文化大革命のさなかであり、いまや文化大革命が完全否定されているとき、まさかあの話がまだ中国の中に残って「虐殺記念館」にあのような形で展示されているとは考えてもいなかったので、何とも複雑な思いを持ったことは事実である。

また、郭岐という名前については、もう20年数年も前「日中国交正常化」が行われたとき、台湾で「南京大屠殺」という本が出版されたが、作者の郭岐は「いままでは、蒋介石総統の"怨に報ゆるに、徳を以ってせよ"という対日政策を思い出して、一個人として感情は捨てようと決心していた。しかし今回、日本の田中角栄政府は大恩を忘れ、義に背き、一方的な中日和約を行ったので、この卑怯な行為に、私は怒髪天をつき、悲憤のあまり"南京大屠殺"を書く決心をした」という序文を書いていたのが、他ならぬ郭岐であったことも、僕の頭を混乱させた。


新「南京大虐殺」のまぼろし(平成十一年年六月三日 飛鳥新社)の著者である鈴木明の「虚報の真犯人はエドガー・スノーだ 私が「新"南京大虐殺"のまぼろし」を書いた理由」(「正論」平成11(1999)年7月号)の緒論です。

ここから再びジャーナリスト・鈴木明氏の旅が始まったのです。

「虐殺論争」に終止符を打つ、衝撃の発見!『「南京大虐殺」のまぼろし』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者が、日本・中国・アメリカを結ぶ線上に発見した、不可解な「虐殺論争」解明の鍵を握る、一人の人物、一冊の書物、一通の文書とは何か?──戦後半世紀を経て浮上した驚愕の真実! 一九七三年文芸春秋刊「『南京大虐殺』のまぼろし」の続編。

この記事もまだまだ緒論です。
私たちも再び『「南京大虐殺」のまぼろし』の旅に出ましょう。

鈴木明氏のご労作です, 2009/7/5By 佐藤生 (神奈川県)
題名から受けるイメージとは、全く違っていて「南京大虐殺」そのものについては、ほとんど記述がありません。 ページ数:509という大作ですが、南京攻略戦前後における主要な人物(蒋介石/宋慶齢/エドガー・スノー等)を取上げて、生き生きと描き出しています。ドイツ軍事顧問団に訓練を受け、ドイツ国防軍をモデルにしていたと言われる「虎の子師団」の36師・87師・88師はどうなったのだろうと思っていましたが、36師と88師のそれぞれの師長が書き残した「南京防衛戦」も紹介されています。(この3師団は、上海戦で大打撃を受けていたんですね) また、安全地帯に潜り込んだ高級将校:郭岐の「陥都血涙録」も取上げられています。更に、郭末若の人格・人間性に対しては大変厳しい評価を示しています。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4870313685/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

郭岐とは安全地帯に潜り込んだ高級将校だったのですね。
この状況で、軍人としては落第であり、ゲリラに成り下がっています。
宮崎氏が”他ならぬ”とあえて記述し、頭が混乱してもいたしがたありませんね。
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