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正論コラム(2)中国側の宣伝に乗った「中国の旅」

2011.12.08.15:20

月刊正論:4月号から
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  産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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 「支那事変」「南京」70年で過熱する反日宣伝

 中国だけでなく米国でも「大虐殺」の映画が製作され
 日本では裁判所が「百人斬り」報道で
 名誉回復を求める遺族の訴えを棄却…
 プロパガンダの拡大をこれ以上許してはならない(P122~130)

           産経新聞論説委員●いしかわ・みずほ 石川 水穂

■中国側の宣伝に乗った「中国の旅」
 
 原告の田所千恵子さんは「私が最も許せないのは、朝日新聞の本多勝一さんが戦後、『百人斬り』の記事を蒸し返したことです」と本音を漏らした。「百人斬り」は当初、昭和十二年十二月十三日付東京日日新聞に「百人斬り゛超記録″」「向井106-105野田」「両少尉さらに延長戦」との見出しで、次のように報じられた。

「南京入りまで゛百人斬り競争″といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田毅両少尉は10日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコードを作って、10日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した」

「片桐部隊」は十六師団九連隊(連隊長、片桐護郎大佐)のことだ。記事を書いた浅海一男記者は亡くなっているが、両少尉の写真を撮ったカメラマン、佐藤振壽氏は以前の産経新聞の取材に、「あれは戦意高揚のための記事で、軍の検閲も通っているが、あり得ない話。戦後、浅海君は『百人斬り』の件で市ケ谷の(連合国側)検事団に呼ばれたが、そのとき、『あれはほら話』と言えば良かったんです」と証言した。

 両少尉と同じ十六師団の通信班長(少尉)だった犬飼総一郎氏も「両少尉が属していた歩兵第九連隊第三大隊は(中国の)常州付近で、江陰から退却してきた中国軍(第百十二師)に背後を襲われた。そのとき、向井少尉も野田少尉も剣道の達人で、白刃を振るい、敵兵を何人かは切り伏せたかもしれない。紫金山でも白兵戦はあっただろうが、それは戦闘行為であり、虐殺ではない。しかし、どんな名刀でも、何十人も切れば、曲がって使えなくなり、『百人斬り』などあり得ない」と話していた。

 これらの証言から、七十年前の南京戦当時の東京日日新聞の記事は、戦意高揚のためにある程度許容されていた創作記事だったことがうかがえる。戦後、東京日日新聞を引き継いだ毎日新聞は平成元年発行の「昭和史全記録」で、「百人斬り」報道について「この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された」「ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった」と書いている。毎日は事実上、創作記事だったことを認めていたのである。

 一方、朝日新聞は昭和四十六年の連載「中国の旅」で、「百人斬り」を蒸し返して次のように書いた。「『これは日本でも当時一部で報道されたという有名な話なのですが』と姜さんはいって、2人の日本兵がやった次のような『殺人競争』を紹介した」「AとBの2人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約10キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう…」「2人はゲームを開始した。結果はAが89人、Bが78人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約15キロの間に、もう1度百人を殺せ、と。結果はAが106人、Bは105人だった。こんどは2人とも目標に達したが、上官は言った-『どちらが先に百人に達したかわからんじゃないか。またやり直しだ。紫金山から南京城までの8キロで、こんどは百五十人が目標だ』」「この区間は城壁に近く、人口が多い。結果ははっきりしないが、2人はたぶん目標を達した可能性が高いと、姜さんはみている」(同年11月5日付夕刊)新聞では仮名だったが、朝日新聞発行の単行本や文庫本では「A」が「向井敏明」、「B」が「野田毅」と実名に変わった。文庫本は平成2年発行の第十六刷から「M」「N」と頭文字に変わっている。

 田所千恵子さんは、父親が無実を訴えながら処刑された後、千葉にあった祖母と叔父の家に預けられた。周囲の人が「あの子は戦犯の子供」とささやく言葉を聞き、「戦犯って何」と聞いて困らせたこともある。結婚後、朝日新聞に「中国の旅」が連載されて以降、家庭で口論が絶えなくなった。夫は、会ったこともない向井少尉のことを悪く言い、離婚を決意したという。千恵子さんは平成15年7月に東京地裁で開かれた第一回口頭弁論で、「『百人斬り』が真実なら、どんなことでも耐えますが、うそなのです。汚名を着せられ、歴史に残るのは残念です」と訴えた。

「中国の旅」には、「百人斬り」のほか、撫順炭鉱などで強制労働の犠牲になった中国人労働者の人捨て場とされる「万人坑」や、旧日本軍が焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くしたとされる「三光政策」などの残虐な話が書かれている。本多記者が取材に要した期間は、昭和46年6月から7月にかけての約40日間だ。北京、瀋陽、撫順、唐山、南京、上海などを回り、中国側の一方的な話を聞いているが、日本側の裏付け取材はほとんど行っていない。「万人坑」はその後、昭和史研究家の田辺敏雄氏が撫順炭鉱に勤めていた日本人の生存者をつぶさに調べた結果、中国側の作り話であることが判明した。「三光政策(作戦)」なども日本にない言葉で、中国共産党の宣伝である。朝日に「中国の旅」が連載された昭和46年は、当時の広岡知男社長を先頭に社をあげて日中友好ムードを盛り上げていた時期にあたる。翌47年、田中角栄内閣は中国と日中共同声明を締結し、国交を回復した。本多氏は「中国の旅」の冒頭で、取材動機についてこう書いている。「戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにすることだった。それは、侵略された側としての中国人の『軍国主義日本』像を、具体的に知ることでもある。とくに日本軍による残虐行為に重点をおき、虐殺事件のあった現場を直接たずね歩いて、生き残った被害者たちの声を直接ききたいと考えた」日中友好のためとはいえ、「百人斬り」を蒸し返し、中国共産党の宣伝に加担した朝日新聞の責任は、毎日新聞に比べてはるかに重いといえる。


先人の名誉を晴らすため、この裁判に貢献した人物が政治家・西村眞悟氏です。
西村眞悟氏(昭和23年(1948)生まれ)は、元弁護士(大阪弁護士会)、元防衛政務次官、前衆議院議員(5期)、そして今はたちあがれ日本大阪府第17選挙区支部長です。衆院議員時代は北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟、教育基本法改正促進委員会、日本の領土を守るため行動する議員連盟、日本・ミャンマー友好議員連盟に名を連ねた生粋の保守政治家です。

西村氏のメルマガには裁判の経緯が記されています。

「西村真悟の時事通信 No.170」(平成16年8月9日)より

八月にはいると、例年マスコミの関心は「原爆の日」に向かう。そして、八月十五日がくる。この中で、私がしきりに思っていることは、戦後の占領中にいわゆる「戦犯」として処刑された方々のことだ。アメリカ軍は、戦犯にA級、B級、C級という等級をつけ、我が国は現在までその等級に従っているが、このような等級は本質とは無関係である。平和が訪れたと教えられた時代に、報道が完全に管制されたなかで、千名を越す方々が「戦犯」として処刑された。占領軍兵士による報道されない殺人や強盗や暴行が頻発する中で、米兵を刺殺した十八歳の少年も処刑された。

さて、ご縁あって、ここを訪れてくれた皆さんに読んでいただきたい「陳述書」をご紹介したい。それは、向井敏明元少尉の長女エミコ・クーパーさんの平成十六年四月十九日、東京地方裁判所「百人斬り訴訟」第5回口頭弁論における陳述である。この「百人斬り訴訟」は、東京日々新聞(現毎日新聞)が、昭和十二年、南京攻防戦に際して、百人斬り競争があったと報道した結果、その報道が真実であるとして戦後南京で百人斬りの犯人として戦犯処刑された向井、野田両少尉の名誉を回復する訴訟である。
 
この百人斬り報道は、戦犯裁判で真実とされて向井、野田の二人の命を奪ったただけではなく、後に朝日新聞記者の本多勝一氏の著書によっても真実であるという前提で広く伝えられている。そしていまや、向井と野田の元少尉の写真は、日本による虐殺の象徴として南京でまた書物に掲げられているのである。南京の戦犯裁判は、東京日々新聞の記事を唯一の根拠として百人斬り競争が真実であると認定した。この記事を書いた浅海記者も裁判で「嘘でした」とは言い切っていない。しかし、百人斬り競争は、真実ではない。(日中戦争といえども近代戦であり、「300メートル先の敵を撃つ戦争で、チャンバラはありえない」〔従軍カメラマンの証言〕)従って、向井、野田両少尉の名誉は回復されるべきである。よって、まさにこのための訴訟が、今行われているのだ。

この「百人斬り訴訟」の担当弁護士は、私の畏友稲田朋美弁護士である。私は、神々しい業を見る思いをもって稲田朋美さんの活躍を眺めている。この厚く垂れ込めた「戦犯の国」の虚妄の暗雲を、彼女は払いのけようと立ち向かっているのだ。西欧の歴史にてらせば、彼女の行為はジャンヌ・ダルクのようだと言ってもよい。我が国の歴史にてらせば、このような女性は弟橘媛(おとたちばなひめ)をはじめとして危機においてその姿をあらわしてくる。現在は、美智子皇后陛下、そして横田早紀江、稲田朋美・・・。

以下の陳述書は、稲田朋美弁護士のお父上である椿原泰夫先生の編集される雑誌「無窮」に掲載され、椿原先生より私にお送りいただいたものである。本年四月十九日に、公開の法定で陳述されたものであるゆえ、ここに公開させていただくことにする。読まれれば、戦犯の家族の思いは、長年無視されてきた北朝鮮に拉致された同胞の家族の思いと底で繋がっていることを感じられるであろう。これが、「戦後」という時代だったのだ。


百人斬りのウソと本多勝一、朝日、毎日の厚顔さ/酒たまねぎや ura ホームページ
http://www.tamanegiya.com/hyakuninn.html

それでは、読ませていただきましょう。
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~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
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