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新春企画「松井石根物語」(起)

2012.01.05.16:01

謹んで新春のお慶びを申し上げます

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

本年もよろしくお願い申し上げます

平成二十四年 正月

南京の真実を知らせ隊



松井石根(いわね)は日露戦争に中隊長で参戦した後、陸軍大学に進み主席で卒業しました。

通例では欧米駐在武官になるところ、松井は日中友好論者として自ら中国を希望していました。

軍機粛清を唱え、軍内部の派閥抗争や軍人の政治関与を戒める松井の姿勢は、青年将校たちから古臭として嫌われ、敬遠されていました。

軍部派閥抗争が激化し、遂に永田少将刺殺事件まで引き起こし、松井は軍長老として責任を取り、一旦現役を退きます。

しかし支那事変の勃発で松井は陸軍大将として現役に復帰し、上海派遣軍司令官となり上海・南京を陥落しました。

南京事件五年前の第一次上海事件後、日中間で停戦協定が結ばれて、非武装地帯が造られたましたが、この地に中国はドイツ人の軍事顧問団を加えてトーチカ陣地を築きました。
ここには日本は海軍の陸戦隊が数千程度しかいません。
中国兵ははじめ二十万、そして後八十万に膨れ上がります。

南京事件の発端は第二次上海事件。
十二年七月七日には盧溝橋事件が起こり、これが当時北支といわれた中国北部に拡大し、さらに中部に飛び火し、上海での戦闘に発展しました。

渦中を根拠地にする蒋介石としては北まで直轄軍を遠征するのは不利であり上海に派兵しました。
そして八月十三日日本の陸戦隊の本部に攻撃がかけられます。

日本軍は在留邦人を保護するため応急動員をかけ第十一師団と第三師団の二個師団を八月末から上海に送り込みました。
しかし上海の防備は強固であったため、被害が続出します。
第九第百一第十三師団の逐次投入となりますが、不利な戦略によりさらに被害が続出すます。
十一月になって十六師団を投入し、いよいよ日本から新たに杭州湾に三個師団の投入となり、中国軍の退路を断ちます。
総崩れとなった中国軍は首都南京に向けて退却を始め、日本軍は当初南京を攻める予定はありませんでした。
しかし、中途半端な停戦では禍根を残すため、決定的な勝利を収むべしとの国内世論に押されて南京攻略が決定されました。

これが南京攻略戦です。
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theme : 短編小説
genre : 小説・文学

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~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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