新春企画「松井石根物語」(承)

2012.01.07.06:14

南京戦の戦死者慰霊祭で、松井石根は日中の戦死者を共に慰霊しようと提言しましたが、これは実を結びませんでした。
そこで帰国後、中日の戦死者を共に祀る「興亜観音」を建立し、近くに庵を建てて住み、毎朝観音経をあげて菩提を弔い、隠棲生活を続けました。
そんな老いたる退役軍人が「A級戦犯」として逮捕され、東京裁判にかけられたのです。
その罪名は「南京暴虐事件」、俗にいう「南京大虐殺」です。

南京攻略戦は最初から計画された戦いではない、苦戦を強いられていたのです。

方や蒋介石軍は南京包囲を恐れて、首都南京放棄派と抗戦派が拮抗し、ついに抗戦派の唐生智が司令長官として残り、蒋介石は十二月7日に南京を脱出したのです。
南京は攻防戦の目標地となり、市民たちは城内に残り、難民も首都を目差して入り込んできていました。

十二月十日頃から本格的な南京攻防戦が始まります。
十二月12日には激戦の末、日本がほぼ南京城を包囲しました。
その際中国側は南京郊外に火をつけ農家などを燃やし撤退した地域を徹底して破壊しました。
この焦土作戦遂行は、日本軍でなく、中国軍の蛮行です。
 
司令官・唐生智が十二日夕方真っ先に長江を渡って逃げてしまったため、指揮官なき軍は全滅に近い被害を受けました。
逃げる味方兵を城門の上から機関銃で撃つと言う大変な同士討ちが起き、揚子江を筏で逃げる中国兵は途中筏が砕けて溺死します。
逃げ惑う兵が揚子江を渡りきれずに逃げ遅れ幕府山の山麓に吹き溜まりのように集まってしまいます。

捕まえたのは第十三軍の六十五連隊。
しかし一万四千七百七十七人の武装した敗残兵を捕虜とできるわけがありません。
自軍より十倍ほど多い捕虜を扱えるわけがありません。
殺戮すべきを偲びず、十六日十七日の二回にわけ揚子江の中洲に逃がそうと連行する途中、捕虜暴動が起こりました。
暴動を静めるための銃撃はありましたが、明らかに故意のではなく、突発事故です。

これらは虐殺では断じてなく、戦闘行為です。
これを大虐殺の証拠というのであれば、捏造にすぎないことは明らかです。
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