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新春企画「松井石根物語」(結)

2012.01.07.17:03

南京攻略戦後、外国宣教師たちの手により南京市内に安全区が設定され、南京市長馬超瞬は残留市民二十万人に対し国際安全区に移住するよう命じました。
日本軍はこれを尊重し、攻撃一つしませんでした。
このことはラーベ委員長より感謝の書簡が出されていることでも明白である。
南京市民は安全が確保されていたのです。

南京事件に関して、中国政府は三十万以上の虐殺があったと主張しておりますが、当時の安全区において確保されていたのは二十万人です。
後には二十五万人まで増えています。
そこにおいて二十万の虐殺さえとても考えられません。

東京裁判にて証拠とされたマギー牧師の39枚のフイルムには、病院や複数の死体はあっても、虐殺を示すものはありませんでした。
何も映し出されていません。数体の死体の情景もありますが、戦時中に死体があるから虐殺だとの理論はあり得ません。
そのフィルムもマギー師本人が東京裁判に証拠として提出したのではなく、国民党顧問ハロルド・ティンバーリ記者が最初に虐殺として利用しました。

現在も中国は犠牲者数を三十万人と主張しますが、日本でこの数字を信じている人はいません。
三十万人といえば原爆二個分です。
しかも当時の南京の人口は二十万人だったのですから。

東京裁判においてすら捕虜処刑を明言する欧米人は誰もいませんでした。世界の誰も非難していないのです。

ところが、松井石根は南京の暴行事件を完全には否定せず、「興奮した一部若年将兵の間に忌むべき暴行を行ったものがあったらしく」と、一部を認めました。
ただしそれは何処の占領地でも起こる軍規違反の犯罪のことであり、検察が主張する「大虐殺」を認めたのではありません。
それでも松井が認めた少数の「暴行事件」と検察の言う「大虐殺」の区別はよく伝わらず、反証が弱いという印象を与えてしまいました。
判決は弁護側の証拠をほとんど却下し、検察側証拠はほぼ全てを採用し、指揮官の松井に虐殺を止める友好な対策を講じなかった「不作為責任」があるとし、死刑を言い渡しました。
松井は最後まで、自分がナチスに匹敵する「人道に対する罪」を被るとは思っておらず、ただ明治の日本軍を知る古い軍人として、僅かな軍規の弛みも許しがたく、痛恨の一大事と認識していたのです。
だがその潔癖さがかえって誤解を生み、「大虐殺」を認めたかのような誤解を生みました。
松井は生涯を日中友好の為に尽くした人物であり、その礎石となるべく、この罪を背負ったのです。

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theme : 歴史小説
genre : 小説・文学

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『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
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