張作霖事件 巻の4

2012.07.04.18:43

『謎解き「張作霖爆殺事件」』の記述より

山形中央図書館に保管されている張作霖事件の証拠写真について
「この写真を密かに保管していたのは、山形県藤島町(現鶴岡市)に住む元陸軍特務機関員で70歳(発見当時)になるSさんだった。彼は写真の束を河野又四郎という特務機関の上司から預かったという。写真の謎を解くもう一つの手がかりは、写真の裏に書かれていた「神田」と言う文字にあった。「神田」と言えば事件の当事者として名前が出てくる神田泰之助中尉がいる。二人には明らかに接点があることが判明した。」(p.77-80)

もう1組の同じ写真が防衛研究所戦史部に保管されているということで、
「考えられる結論は、関東軍がやったことをあとで政府の調査委員会に認めさせるための証拠品として、河本が特務機関の人物に撮らせた。そのプリントが最低でも2組あって、出てきたというところではないか。」(p.223)

現場検証をした斎藤恒関東軍参謀長が参謀本部に提出した所見より
「爆薬の装置位置に関しては、各種の見解ありて的確なる慿拠なきも、破壊せし車両及鉄橋被害の痕跡に照らし橋脚上部附近か、又は列車自体に装置せられしものなること略推測に難しとせず。
殊に六十瓩(キロ)内外の爆薬の容積は前記の如く僅かに〇.五立方米なるを以てこれが装置は比較的容易なればなり。」
(p.206)
「何故かくも速度を落し且つ皇姑屯にも停車せざりしや、その理由に苦しむものにしてこの点を甚だしく疑問とせざるべからざる。すなわち内部に策応者ありて、その速度を緩ならしめかつ非常制御を行いし者ありしに非ずや。緩速度たらしめし目的は、要するに所望地点にて列車を爆破せむと欲せるものにて非ずや。前記の如く薬量の装置地点は、橋脚上部か又は列車内と判定せるを以て、陸橋上部とせばその位置に張作霖座乗車来る際、時を見計らひ爆破せるものに非ずや。列車内より橋脚上部の爆薬を爆破せむと欲せば、列車内に小爆薬を装置し、これを爆破し逓伝爆破に依りて行へば容易なり。」(p.208)

奉天の内田五郎領事が首相兼外務大臣田中義一に宛てた昭和3年6月21日付の報告書より
「調査の結果被害の状況程度より推し相当多量の爆薬を使用し、電気仕掛にて爆発せしめたるものなるべく。爆薬は橋上地下又は地面に装置したものとは思はれず、又側面又は橋上より投擲したるものとも認め得ず、結局爆薬は第80号展望車後方部ないし食堂車前部附近の車内上部か又は(ロ)橋脚鉄桁と石崖との空隙箇所に装置せるものと認められたり。外部より各車輛の位置を知ることすこぶる困難にかかわらず、爆発がほとんどその目標車両を外れざりし事実より推察し本件は列車の編成に常に注意し、能く之を知れるものと認められる点は本件真相を知る有力なる論拠たるべしと思考せられたり。右に対し支那側は爆発装置箇所に付いては明確なる意思表示を避けたり。」(p.217-218)

確実な証拠写真と、報告書から読み取れる事件の不審さ、そのギャップに真実があると著者は語ります。

「この写真は事件直後には参謀本部に上がっていて、それを日本軍がやった「動かぬ証拠」だとし、それ以来多くの昭和研究史家が疑いを挟むことなく関東軍謀略説の「証拠品」としてきたのだ。だが皮肉にも「証拠写真」は、河本がやったことをも否定する「逆証拠写真」となっている。河本たちが仕掛けたという線路脇からの爆破では、写真のように橋脚真下での列車大爆発は起こし得ないからだ。「河本首謀説」の絶対矛盾が露呈し、「史実」は覆されたといっていい」

「河本は桐原中尉を使って橋脚上部壁面に誘爆火薬を仕掛けたのではないか。そして機関車の中から押されたスイッチにより天井裏の爆薬が爆発、同時に橋脚壁の爆薬も誘爆して架橋内でエネルギーが増大され、あの大爆発につながった――」

著者がモスクワの書店で見つけらた『GRU百科事典』の張作霖事件の項
GRU:旧ソ連赤軍参謀本部情報総局「フリストフォル・サルヌイニの諜報機関における最も困難でリスクの高い作戦は、北京の事実上の支配者張作霖将軍を一九二八年に殺害したことである。張作霖は一九二七年以降も明確に反ソ・親日政策を実行していた。ソ連官吏に対する絶え間ない挑発行為のため、東清鉄道の運営はおびやかされていた。将軍の処分は日本軍に疑いがかかるように行われることが決定されたのである。そのためにサルヌイニのもとにテロ作戦の偉大な専門家であるナウム・エイチンゴンが派遣された。…一九二八年六月四日、張作霖は北京-ハルビン(引用者注・正しくは奉天)間を行く特別列車で爆死した。そして張作霖殺害の罪は、当初の目論見通り日本の特殊部隊に着せられた。」(p.242-243)

「天皇はあれだけ激怒していながら、なぜ「軍法会議を開いてはどうか」と一言質さなかったのだろうか。田中義一首相は元老西園寺公望や牧野伸顕内府に対し、関係者を軍法会議に付すと一度は言明した。それは木下道夫侍従次長の「側近日誌」や原田熊雄の口述による「西園寺公と政局」などからも裏付けられる。ところが結果的に田中首相は軍法会議を開けず、天皇に対する食言の責任を負った。開けない理由は陸軍や小川平吉鉄相らの強硬意見に抗えなかったからだとされる。そのため事件は形式的な政治処分で済まされ、真相は闇に包まれたまま終戦を迎えた。いうまでもなく東京裁判の検察側起訴理由は、「一九二八年の張作霖事件から一九四五年の終戦までの日本国の戦争犯罪を裁く」ものだった。発端となった張作霖爆殺事件は、極めて不明瞭な結末のままで幕が引かれていた」

東京裁判、田中隆吉少将の尋問調書の張作霖事件秘話の部分について
「田中が挙げた証人となりそうな軍人は戦死していたものも多く、実際には役に立たなかった。何よりも、河本自身が中国山西省で中国共産党軍に逮捕されていたにもかかわらず召喚されていない。田中証言の奇怪さとともに、河本がなぜソ連側検事によって皇帝溥儀のように出廷させられなかったのかも疑問が残るところだ」

あらゆる項が1つの真実に繋がっていきつつあります。

参考ブログ
しばやんの日々/「満州某重大事件」の真相を追う~~その2/(2012年04月30日)
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/189/
甦れ美しい日本/第967号「大東亜戦争の真実を求めて323」(2011/06/30)
http://chatky.iza.ne.jp/blog/entry/2419222/
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