〈「南京大虐殺」「戦後補償」……日本人が踏まえるべき「事実」は何か〉を読む(2)

2012.07.06.18:27

◆かくも杜撰な「三十万」の根拠

まず、中国が主張する「三十万大虐殺」の根拠から検討したい。

 中国が「三十万大虐殺」を主張し始めたのは、戦後の戦争裁判においてである。東京裁判に提出した「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」(以下、敵人罪行調査報告)なる文書には「三十四万」という殺害者数と、それを裏付ける証拠として、「五件の集団屠殺に関する中国人の証言」と「二つの慈善団体による埋葬記録」が記されていた。

 だが、そもそも虐殺現場の目撃証言による殺害者数と、その後の遺体の埋葬数を単純に足して犠牲者総数を弾き出すという算出方法はペテンというしかない。

 さらに問題なのが、これらの証拠の中身である。まず、五件の中国人証言はすべて事件から八年も過ぎた後に集められたもので、そもそも証拠能力がきわめて疑わしい。しかも、その内容も著しく合理性を欠き、法廷での反対尋問も受けていない。例えば魯甦なる人物は、五万七四一八名の虐殺を目撃したとして、こんな趣旨を述べた。

 「日本軍は、五万七四一八名もの難民と兵士を十二月十六日夜、ワイヤーロープで二人ずつ括り、下関・草鞋峡まで追い立て、機関銃で掃射しつくした後、銃剣でやたらめったら突き刺し、最後に石油をかけ、火をつけて焼き、残った人骨をことごとく揚子江の中に投げ入れた」(『南京大残虐事件資料集 第1巻』)。

 この人物が仮に出廷して反対尋問を受けていれば、闇夜の中でどのように五万七千もの死体を数えることができたのかと質され、返答に窮したに違いない。全く信憑性のないホラ話といってさしつかえあるまい。

 また、東京裁判に出廷して、あちこちで虐殺現場を目撃したと証言した中国人の証人がいたが、パール判事は、「この証人は本官の目にはいささか変わった証人に見える。日本人はかれを各所に連れてその種々の悪業を見せながらも、かれを傷つけずに赦すほどかれを特別に好んでいたようである」と、痛烈な疑問を投げかけている。

 では、二つの慈善団体が十五万体を埋葬したという証拠の方はどうか。東京裁判に提出された埋葬表では、崇善堂が「十一万体」、紅卍字会が「四万体」を埋葬したとされる。

 紅卍字会が埋葬作業に加わっていたことは当時から知られていたが、しかし崇善堂が提出した埋葬表は、なんと事件から九年後の一九四六年に作成されたものであり、とても崇善堂が埋葬作業に従事したことの証拠になるものではない。そもそも崇善堂が埋葬作業に従事したということ自体が実はきわめて疑わしいのである。

また、紅卍字会の「四万」という数字も、賃金を多くもらいたいために水増しされた報告に基づくものであることが判明している。

 この埋葬事業に関わった元南京特務機関員の丸山進氏の証言によれば、一日当たりの埋葬数はせいぜい六百から八百体であり、埋葬表に記された実働日数から計算すると、埋葬数は一万前後にしかならない。さらに『南京戦史』が分析した戦闘詳報に照合すると、埋葬された一万前後の遺体の大半は、中国軍の戦死者だったと推測できるのだ。

 このように、中国側の証拠を検討してみると、「三十万大虐殺」どころか「一万人虐殺」でさえ立証できないわけである。

 ちなみに、南京陥落時の人口は民間人が二十万人、それが翌年一月には二十五万人に増えていることが南京安全区国際委員会(南京に残留した民間の欧米人たちで結成)の文書などから知られている。これは「三十万大虐殺」とは明らかに矛盾する。


名前の挙がった丸山進氏の語りを田中正明著「南京事件の総括」より抜粋します。
そこには戦争の渦中で仕事を成した民間人の生き様さえ見えてきます。

南京特務機関(満鉄社員)丸山進氏の回想(上)

―――お送り頂きましたお手紙によりますと南京には1年ほどいらっしゃったそうですね。 
「満鉄上海事務所調査課から南京の特務機関に派遣されたのは昭和12年の12月28日頃でした。それから13年の12月まで南京にいたことになります。南京に派遣されることになったのは要するに中国事情の分かる人が欲しいと言う理由からでした」
 
―――お1人で南京に赴任されたんですか?又、ご身分はどうなったんですか?
「私を含め6人の満鉄社員が出向を命ぜられましたが、給料や出張手当等は満鉄から支給されておりました。ですから、身分上は、あくまで満鉄社員でした。ー一番の若輩(24才)でしたが、それでも正規の俸給が160円、それに1日当たり10円(1ヶ月にして300円)の出張旅費が加算されましたから、月々460円になりました。多分、危険手当の意味もあったのでしょうが、それ以上に重要なことは、南京政府の部長級に対しても引け目を感じなくて済むようにとの配慮があったのだと思います。満鉄上海事務所長の伊藤武雄さんという人は南京国民党政府の要人や文化界の大物達とも親交のあった大御所のような人でした。伊藤さんが選んで派遣するからには、派遣された者が中央政府の部長級とも互角に交渉できるよう、それには俸給の面でも見劣りしないよう、と言うのは相手から招待された時は当方も招待しないと相手の下手に立つことになるといったことがありますから。伊藤さんは中央政府部長級の俸給をだいたい500元(1元=1円)程度と踏んだ訳です。これは巡警の月給を5円としてもその100倍です。そのお陰で私どもは維新政府の綏靖部長の任援道氏や南京自治委員会が発展的に解消して出来た督弁南京市政公署の高冠吾氏にたいしても対等に交渉出来ました。余談になりますがね大西一特務機関長の俸給が360円でしたから、いつも『貴様ら若造のくせに』と高給をからかわれたものです」
 
―――随分と破格の高給だったんですね。
「ええ。ですから私どもの最大の特徴は特務機関長の配下にありながら、給料が満鉄から支給されていたことです。生え抜きの特務機関員ではありませんでした。満鉄が手塩にかけて育て上げた日中の架け橋として殉ずる気概のある人物の集まりでした。上からの命令で動いていた特務機関員とは、その点、若干違っていた訳です。勿論、中国のことにかんしては政治・経済・慣習等について専門的な知識を有しており、中国語についても殆ど専門家の域に達しておりました。私どもがシナ服を着て一般民衆の中に入り込んだら、まず日本人であることを見破られることはありませんでした。ところで、6人の給料を合計すると1ヶ月に約3000円になりましたから、これは大きかったですね。私どもは特務機関長の頭脳集団として、誰に気兼ねすることもなく、皆で知恵を出し合って、特務機関長に意見を具申し、政策の実行に移って行きました。具体的には、政治班、経済班、宣撫班を組織し、避難民の救済と南京市の行政機構の確立に当たりました。まかり間違ったら、皆で自腹を切る覚悟でした」
 
―――自腹を切る覚悟でいたとおっしゃいますと。
「つまり自分たちの俸給を出し合って、赤字を補てんするという意味です。たとえば私どもが特務機関長の決済を経て惑る仕事をしたとする。いざお金を払うという段になって特務機関の経済担当者が反対し、支払いが滞ったとする。そのときは私どもが俸給から出し合って決済する覚悟でした。3千円あれば何かと解決できましたから。もっとも実際には自腹を切る必要は一度もありませんでしたが」
 
―――危険手当の意味もあったとおっしゃいましたが、お仕事の上で何か危ない目に遭われたことはありませんでしたか?
「それはありませんでした。ただ、話は一寸変わりますが、当時既に日本から一旗上げるためにやって来たような男達が南京に来ていて、中国人に威張り散らしたり、又は何か上手い話はないかといった気持ちしか持ち合わせていなかったため、中国人の習慣や気持ちが分らず、かえって害の方が多かった。私どもは頻繁に中国人と接触しながら日本からの浪人を常に蚊帳の外に置いていましたから、利益を独り占めしているのではないかと彼らから誤解されたこともありました。たとえば刀を抜かれて脅された事もありました。私はその時どうせ生命は捨てたつもりで南京に来ているんだから、どうぞ斬ってくれと答えたものです」
 
―――南京の特務機関では何をなさったのですか?特務機関はスパイ活動をするのではなく占領地の支那の行政を支援する所ですね。
「ええ。しかも我々が表に立って支援活動をしたのでは南京の行政を行う中国人が日本人の傀儡――漢奸――と非難されますから、あくまで陰から内面的援助を彼らに行うという活動でした」

―――具体的には何をなさったのですか?
「昨年(平成6年)の7月にホテルニュー鹿児島で講演した時の資料「南京事件の実相について」をここに持ってきたのですが、そこに書いていますように、昭和12年24日から良民票の発行が始まりましたが各部隊まちまちの形式で発行していましたので、その形式を自治委員会で一定にして整理統合することになり、私が影の事務責任者となりました。良民票というのは型紙を利用したモノではなく、木綿のきれを使って作ったんです。ー中国人には筆の達者なのがいますから、墨で型版を押した木綿のきれに住所氏名年齢を筆で書き込んで、それを以て《良民の証》としたんです。それを自治委員会と特務機関が認証して住民に交付した訳ですが、その発行原簿はのちに市政公署の戸籍科に保管されました」

―――何のために良民票を作ったのですか?占領政策を行う為ですか?
「いいえ、占領政策のためと言うよりは、むしろ南京市の行政運営を円滑化するための基盤作りとして住民票の作成に着手したんです。課税、物品配給等、全ての基本になります」


丸山進氏の南京での活躍、そして生きてなをその実態を証言していただき、南京大虐殺の虚構が暴かれたわけですが・・続きは次回にて。

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