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〈「南京大虐殺」「戦後補償」……日本人が踏まえるべき「事実」は何か〉を読む(4)

2012.07.06.19:14

◆「市民大虐殺」を否定する証拠の数々(下)

 南京戦当時、一般市民はほとんどが城内の安全区に集まっており、激戦が行われた城外には民間人はほとんどいなかった。仮に市民の大量殺害が行われたとすれば、それは城内でしか実行不可能であり、その遺体は当然城内に残されていたはずである。つまり、埋葬された遺体の大部分(九四%)が城外で収容されたという事実、また女と子供の占める割合がわずか(全体の〇・三%)という事実は、中国が主張する「市民大虐殺」とは明らかに矛盾する。

 さらに見逃せないのは、中国国民政府外交顧問の徐淑希編『南京安全区の記録』である。そこには、日本軍の南京占領中に安全区委員会が知り得た「日本軍による暴行」の記録のほぼすべてが収録されている。ところが、日本当局に送付した四百件余りの被害届を集計すると、殺人事件は二十五件(被害者四十九人)であり、そのうち目撃証言はわずか二件に過ぎない。しかも、その内の一件については、安全区委員会も「合法的な処刑」と認めている。少なくとも安全区委員会のメンバーは、日本兵による非合法殺人をほとんど目撃していなかったという重大な事実が明瞭に浮かび上がってくる。


これに関しては、当ブログの記事も参照にしてください。

火のないところに煙が立った日~南京安全区国際委員会/南京の真実を知らせ隊
http://mayuryou1025.blog76.fc2.com/blog-entry-13.html

 一方、もし市民の大量虐殺が生じていたとすれば考えられないような客観状況も存在する。まず陥落後の南京には百人以上の日本人ジャーナリストがいたが、市民虐殺につながるような目撃証言をしていない。例えば山本治氏(当時「大阪朝日新聞」上海支局員)は、南京での虐殺について「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。朝日新聞では話題になったこともありません」と証言している(阿羅健一『聞き書 南京事件』)。

 占領下の南京では、将兵への取材や報道には規制が加えられていたが、ジャーナリストたちは城内を自由に見て歩くことができた。彼らの大半が戦後になっても、「大虐殺」を見たことはないと証言している事実はきわめて重大だといえよう。

また、それらのジャーナリストたちが残した写真や映像には、例えば当時の朝日新聞が特集した「平和甦る南京」という報道写真など、むしろ南京の秩序回復を物語るような平和な情景が記録されている。むろん、そうした記録は市民虐殺を直接否定するものではないとの反論もできようが、「市民大虐殺」とは根本的に矛盾する重大な状況証拠といえる。


それでは山本浩氏の証言など「「南京事件」日本人48人の証言」より引用します。

東京日々新聞・佐藤振寿カメラマンの証言
――そのあと、どういうコースでしたか。
「・・・・常州では百人斬りの向井少尉と野田少尉の二人の写真を撮りました。煙草を持ってないかという話になって、私は上海を出る時、ルビークインを百箱ほど買ってリュックのあちこちに入れてましたので、これを数個やったら喜んで、話がはずみ、あとは浅海記者がいろいろ聞いていました。私は疑問だったのでどうやって斬った人数を確認するのだと聞いたら、野田の方の当番兵が向井が斬った人数を数え、野田の方は向井の部下が数えると言っていました。よく聞けば、野田は大隊副官だから、中国兵を斬るような白兵戦では作戦命令伝達などで忙しく、そんな暇はありません。向井も歩兵砲の小隊長だから、戦闘中は距離を測ったり射撃命令を出したり、百人斬りなんてできないのは明らかです。戦後、浅海にばったり会ったら、東京裁判で、中国の検事から百人斬りの証言を求められている、佐藤もそのうち呼び出しがくるぞ、と言ってましたが、私には呼び出しが来ませんでした。浅海が、あの記事はフィクションですと一言はっきり言えばよかったのですが、彼は早稲田で廖承志(初代中日友好協会会長)と同級だし、何か考えることがあったんでしょう。それで二人が中国で銃殺刑になってしまった」
――虐殺があったと言われていますが。
「見てません。虐殺があったと言われていますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」
――南京事件を聞いたのはいつですか。
「戦後です。NHKに『真相箱』という番組があって、ここで南京虐殺があったと聞いたのがはじめてだったと思います。・・・略・・・十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、。その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です何故日本人に聞かないで、あのような都合よい嘘を載せるのかと思いました。当時南京にいた人は誰もあの話を信じてないでしょう。それ以来、私は自宅で朝日新聞を購読するのをやめましてね。その時、配達員に朝日は嘘を書いているからやめる、と言いました。」

大阪朝日新聞・山本治上海支局員の証言
――山本さんが南京に行くのはいつですか。
「蘇州に行った時も上海に戻り、前線に行っては上海にいるということを繰り返していましたが、その時は橋本さんと一緒だったと思います。入城式の日は、上海を最初から従軍取材しているというので、陸軍の飛行機が連れて行ってくれました。着いたのは午後で、入城式の終わった後でした」
――南京の様子はどうでした?
「城壁の周りには中国兵の死体がありました。中山門から見た時、城内には何ヵ所も煙が上がっているのが見えました」
――城内の様子はどうでした?
「特別変わったことはありません。南京で印象的なのは城壁で中国兵の死体を見たくらいです」
――虐殺があったと言われてますが・・・。
「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。誰もそういうことを言ったことがありません。朝日新聞では話題になったこともありません・・・略・・・徐州作戦に従軍した後、私は体を悪くして昭和十三年夏に日本に帰ってきました。神戸へ着いたところ、神戸のホテルで、南京では日本軍が暴行を働いたそうですね、と言われてびっくりしました。なんでも外字新聞には出ていたということです。上海にいる時、私は中国の新聞を読んでいましたが『決戦光華門』などという文字が大きく載ったのは見たことがありますが、南京についてのそういうことは何も出ていませんでしたから、不思議に思ったものです。」

東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言
橋本登美三郎氏は佐藤内閣で官房長官、田中内閣で自民党幹事長を務めた。
――南京では大虐殺があったと言われていますが、南京の様子はどうでした?
「南京での事件ねえ。私は全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話しに出てるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは話しをするし、それが仕事だからね。噂として聞いたこともない。
 朝日新聞では現地で座談会もやっていたが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとかそんな話が出るはずだ。南京事件はなかったんだろう」
――当時の報道規制をどう感じましたか。
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていたよ」

東京日々新聞(現在の毎日新聞)・金沢善雄カメラマンの証言
――南京城内の様子はどうでした?
「日本軍の一部は揚子江沿いに行き、杭州湾から来た軍は、大きく迂回して南京に進みましたから、南京は完全に日本軍の包囲態勢になってます。ですから中国軍の大部分は揚子江から逃げ、チンピラ兵がおさえに各門にいて、この兵と日本軍が最後に戦ったのです。そういう状況で日本軍は南京に入りました。私も光華門から入りました。戦後、この時、何万人からの虐殺があったと言われていますが不思議でしょうがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ兵隊から聞いたこともありません。毎日新聞は、あの時、連絡員も入れて五、六十人もいたでしょうか。・・・略・・・私はここに一ヶ月ほどいましたが、戦後言われているようなことは、何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから、虐殺があったと言われていますが、ありえないことです。」


実際に現場に居たジャーナリストかく語りきです。
後追い記事で日本軍にありもしない三光作戦など広めた本多勝一とは大違いです。

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