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書籍「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」

2012.08.10.18:37

内容(「BOOK」データベースより)

1937年12月、南京陥落直後、アメリカの大手新聞に「南京大虐殺物語」がトップ記事として掲載され、その7カ月後、南京の日本軍による暴行の目撃談をまとめた『戦争とは何か』がニューヨークとロンドンで出版される。
これが源流となって、南京大虐殺は東京裁判へと引き継がれ、歴史的事実として語られることになった。
だが、果たしてその内容は真実を伝えるものだったのか。
台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作概要』をもとに、これを検証。
数々の疑問点、矛盾点を衝き、これらの報道が、中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていく。
南京大虐殺の根拠を突き崩す画期的研究成果。




目次

第1章 極秘文書発掘—プロローグに代えて/
第2章 国際宣伝処ができるまで/
第3章 巧妙な国際宣伝/
第4章 南京大虐殺が報じられるまでの序曲/
第5章 アメリカの新聞記事も中央宣伝部の宣伝戦だったのか/
第6章 宣伝本『戦争とは何か』を改めて検証する/
第7章 中央宣伝部は南京大虐殺はなかったと考えていた/
第8章 極秘文書は玉手箱だった—エピローグに代えて


出版社/著者からの内容紹介

●戦争プロパガンダの視点から再検証

本書は、16年にわたって、さまざまな角度から南京事件の検証をつづけてきた著者が、平成15年に台北の国民党党史館で発掘した党の極機密文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』に照らして、南京事件の根拠として多大な影響力を発揮した二つの史料、(一)南京陥落直後に「南京大虐殺」を報じた『シカゴ・デイリー・ニューズ』『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事、(二)陥落から半年後の昭和13年に英米で出版された書籍、H・ティンパーリ編『戦争とは何か』(英語版)に検証を加えたものです。
『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、国民党の対敵宣伝戦を担って南京陥落の直前から活動を始めた党中央宣伝部国際宣伝処が、昭和13年から昭和16年までの三年半のあいだに、どのような工作を行ったかを総括した内部文書ですが、この新史料を得たことで、戦争プロパガンダという新たな視点から南京事件に光をあてることができたのです。

●新史料から何が判明したか

昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。
今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。
「南京大虐殺」の第一報をアメリカに発信した前述の二つの記事については、第五章で詳しく検証されていますが、極秘文書に照らしてみれば、中央宣伝部が取材に協力した記者のなかに、これらの記事を書いたスティールとダーディン両記者の名前が何度か出てくることが判明しました。
また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、記事の描写は右にあげたベイツ教授が、「12月15日に南京を離れようとしていた特派員に利用してもらおうと準備して、新聞記者に渡した声明」の内容と酷似していることが突き止められました。

●真実の報道ではなく、宣伝工作の材料

軍事面で劣勢だった蒋介石の国民党は、宣伝もまた勝敗を決する一つの要因であると考え、これを受けた中央宣伝部では「宣伝は作戦に優先する」を合言葉に、総力をあげて宣伝戦を展開していました。
極秘文書からは、それがいかに巧みなものであったかがうかがえます(第一章~第三章)。
特徴的なのは、宣伝工作にあたって、中央宣伝部は黒子に徹し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使って「わが抗戦宣伝と」していたことでした。
このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。
すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダであったということです。
『戦争とは何か』の内容説明を含めて、極秘文書のどこにも、「南京において日本軍の虐殺や殺人があった」とは出てきません。
それは国民党自身、虐殺はなかったと認識していたことの証左であると著者は分析し、このことからも、二つの史料は事実を伝えるものではなく、日本を貶めるためになされた宣伝工作の材料と見なさざるを得ないと結論づけています。
地道な検証作業がもたらした画期的な研究成果であり、本書によって、南京事件の真相解明の道筋はいっそうはっきりと見えてきたと言えましょう。



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theme : 読書
genre : 本・雑誌

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「中国のプロパガンダ」と主張する東中野修道氏の2つのトリック!

2015.02.06.14:36

「中国のプロパガンダ」と主張する東中野修道氏の2つのトリック!
『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』草思社2006年

トリック1:
国民政府中央宣伝部顧問であったティンパラーが書いた『戦争とは何か』が南京大虐殺説の源流を作り、それが東京裁判で歴史事実とされた。

反論1:
事実は、南京事件を世界に発信したのは、米国、ドイツ、英国など外交官であり、東京裁判で国際検察局が証拠と重視したのも、これらの外交文書であった。

トリック2:
ティンパレー編著『戦争とは何か』は、<中国国民党中央宣伝部が製作した><宣伝本>である。

反論2:
事実は、1938年時点では、彼は「マンチェスター・ガーディアン」紙の特派員であり、<1939年に辞めて>国民政府の中央宣伝部の<顧問に就任>した。

だから、先の著作は、<主体的に記者の立場で>記述した。

<1938年6月18日付「国際宣伝部処宛の報告書」>では、
「作者(ティンパレー)が<外国人の記録を収集>して、中国各地、<特に南京における日本軍の残虐暴行を忠実、詳細、系統的に記述した内容の充実した本>である」と説明した上で、「7月7日の抗戦一周年に間に合うように、ロンドンにおける英語版との同時出版に向けて、中国版10万冊の翻訳出版を進めている」として、その印刷、製本費用が報告されている。


更に、<中国語版の「訳者言」>には、ティンパレーの本の企画を知った訳者が<翻訳権>を買い取り、翻訳を急いだこと、中国語版は出版を急いだので、(原版、完成版であるロンドン発行の)英語版を参考にする暇がなかったことが書かれている。

そもそも、ティンパレーは、記録を収集したのであり、南京の記述の主要部分は「南京にいた南京安全区国際委員会のベイツとフィッチのレポート」であるので、ティンパレーが命令して書かせるようなものではない。

更に重要なことは、<1938年6月18日付「国際宣伝部処宛の報告書」>も、<中国語版の「訳者言」>も、当時の歴史一次史料である。


他方、<1988年発行>の『曾虚白自伝』は、南京大虐殺から<51年後であり>、当時の関係者は亡くなっており、この自伝は自画自賛で、いろいろ信憑性がない。自分がティンパレーに書かせたかのように誇張し、その成果を自分のものにしたと理解する。

更に、中国語「編印」は「<編集印刷>する、<出版>する」であり、「<企画して>作成する」という意味ではない。

要は、「<ティンパレーが主体的に編集>した本」であり、それを国民党の国際宣伝処が<翻訳権を買い取り>、原書にはない写真を<訳者が>各方面から収集して挿入して、中国版を発行した、これが事実である。

トリック3:
中国国民党が利用したから、ティンパレー編著『戦争とは何か』は、事実・史実ではない。ウソである。

反論3:
これは、「その記述内容が事実でない」ことの根拠・理由にはならない。

<充分に批判・吟味された「歴史史料」に>基づいて、事実でない事を主張しなければならない。

なお、ティンパリーはベイツと何度も手紙をやり取りし、編集方針について協議しているが、そこに日本軍に対する悪意や、事実の歪曲を疑わせるような文言はない。あくまで事実に基づいて日本軍の悪行を告発するというのがティンパリーの方針だったのである。
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南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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