スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

尾張河村家と第101師団

2012.08.13.11:35

【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 河村氏への反響に時代の変化が(2012/03/13)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/549362/

名古屋市の河村たかし市長は2月20日、市役所を訪れた中国共産党南京市委員会の幹部に「通常の戦闘行為はあったが、いわゆる南京事件はなかったのではないか」と語った。さらに、「歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」と呼びかけた。

河村氏ーの問題意識の原点には、父親から体験談を聞かされていたということがある。
河村氏は衆議院議員時代の平成18年6月13日に、「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を政府に提出している。

この質問主意書によれば、氏の亡父、河村鈊男氏は歩兵伍長として、終戦直後の昭和20年8月16日に、南京に到着し、翌年1月まで同じ部隊の約250人のメンバーと同市郊外の寺に滞在した。鈊男氏はこの間、彼の地で大変手厚く遇されて、それによって生きながらえることができたと感謝していた。そこで、戦後50年の年に、戦友たちは当時の南京市民のもてなしへの感謝の気持ちとして寄付金を募り、同市に1000本の桜を寄贈した。その植樹から10年目に当たる平成18年には、河村たかし氏自身が南京を訪れ、改めて感謝の思いを伝えている。その際に南京事件記念館も訪問したという。


河村たかし名古屋市長の父・鈊男氏は、かつて大日本帝国陸軍第101師団歩兵第101旅団指令部伍長として中国大陸にいました。(Wiki.参照)

1937年(昭和12年)7月支那事変(日中戦争)勃発。日本軍は常設師団の他に特設師団を編成し、中国大陸に差し向けます。
第101師団もその特設師団の一つであり、上海派遣軍司令官松井石根大将の要請により、第9師団および第13師団とともに第二次上海事変の増援軍として上海戦線に赴きました。
12月の南京攻略戦では攻略部隊を側面から支援するため、揚子江沿いに西進、鎮江で渡河し対岸の揚州攻略に従事した。

鈊男氏は、1945年(昭和20年)の終戦時には南京市の栖霞寺に滞在し、1946年(昭和21年)帰国します。
帰国後、1948年(昭和23年)に河村紙業合資会社を設立し、初代社長となりました。
河村家は尾張徳川家に仕えた尾張藩士書物奉行の家系であり、学問の家柄として知られ、古くは多くの国学者を輩出した名家でもあります。

河村氏の政治家の発言としての覚悟は、親族や祖先に支えられた正論なのです。

河村氏の疑問はそんな自身の経験から発している。
「彼の地において(昭和12年に)大虐殺が行われていたのであれば、そのわずか8年後にこのような心温まる交流が実在し得るとは思えない。そこで、いわゆる南京大虐殺事件について再検証すべきではないかと思うに至った」というのである。
スポンサーサイト

theme : 名古屋・愛知
genre : 地域情報

comment

Secret

プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
南知隊ブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
通州事件の真実
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。