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GHQ焚書図書開封(5)「征野千里」2:瀕死の瞼に浮かぶ駅頭の旗 燃える燃える草と敵屍

2013.08.06.18:47

戦場手記『征野千里』 中野部隊上等兵 谷口勝著 新潮社 昭和13年12月発行より

瀕死の瞼に浮かぶ駅頭の旗 燃える燃える草と敵屍

「ラッパラッパ、漢口へ入るときラッパなしでどうするんだ!」
 と誰かが叫んだ。クリークがあってこれに丸太が二本渡してあった。丸木橋を狙って敵はチェコ機銃の掃射をくれていたし、この弾幕を抜けてクリークの対岸に取っついても、そこの土手に飛びでるとたんにみんなバタバタと倒されて行った。土手の上は敵か味方かわからぬ死体で一杯になっていた。この死体を楯に、ほとんどその中に体を埋めるようにしていると、敵の野砲弾が飛んで来て死体を再び叩いて、コナゴナにして空へ吹き上げた。
 敵も味方もなかった。敵と味方と一緒クタにした集団の真中へ、敵は野砲弾を盲射ちで目茶苦茶に叩き込んでいた。砲弾が炸裂すると弾片が飛んで来る前に、死体の手や足や肉片やが飛んで来て、鉄兜や背嚢やを打った。この肉片と音響の雨の中で「ラッパラッパ!」と叫んでいる。ラッパ――と聞いた瞬間、私は思わず声の方を振り向いた。ヅキンと胸を突かれた。私は夢中で声の方へ駆けて行った。クリークの脇に倒れている兵隊の背をつかんで引き上げると、果してこれはラッパ手の石原上等兵だった。
「兄さんどうした」
 と私は叫んだ。石原上等兵は部隊のラッパ手の中で二年兵の一番秀れたラッパ手として本部づきのラッパ手をやっていた。私は一つ年上の石原上等兵を冗談で『兄さん』と呼んだ。これが北支、中支から漢口への長い戦場の間じゅう続いて『兄さん』というのが石原上等兵の名前のようになってしまっていた。石原上等兵は左胸から右背部を射抜かれていた。私が引き起すと石原上等兵は目を開いた。
「谷口、部隊長にようく御礼をいってくれんか。俺はもう駄目だがお前元気で行ってくれよ」といった。

 私には何もいえなかった。黙ってただ背をさすったりなぞした。長い間、生死をかけたつき合いだった。と思ったりした。石原上等兵はまた何かいおうとすると、砲弾が炸裂して飛んで来た腕が一本私と石原上等兵の顔を横なぐりに殴って、ポトリと音をたてながら私たちの前に転がった。焼夷弾を射って来たらしく十メートルほど横で支那兵の死体が焔をあげて燃え出した。
「何かあるか、いえよいえよ」と私がはじめて石原上等兵に声をかけた。石原上等兵は首を振った。そして
「煙草をくれ」と言った。
「駄目だ駄目だ。そんなもの喫んだら駄目だよ」と答えると、また首を振って
「水をくれ」といった。
「それもいかん。死んじまうじゃないか」というと黙っていた。やがてまた首を振って
「アア旗が見える、何処の駅だろ、旗が一杯あるよ」
といった。私は心臓を射抜かれたようになにかハッとした。そこへ看護兵がきた。
「駄目だ」と看護兵がつぶやいた。死体が一杯燃えて青い草さえ燃えてきた。肩から下げたラッパに手を触れるとヒヤリと冷たかった。

 私は図嚢から葉書を出して燃える死体の中で鉛筆をなめた。
『・・・・安慶を出て漢口へと向う、潜山を抜いて漢口へあと四十里。兄石原上等兵、駅頭の旗の波を見た、と叫んで立派に戦死す。煙草も喫わせたかった、水ものませたかった、二つともなしあたわず、若し幸にしてこの葉書を見得ることがあったら、兄の最後の望みであったこの二つさえなし得なかったという一事をもって、この戦闘とその最後の状況を偲んでいただきたい。死体は燃え、暑気は猛烈を極む。午後三時、弟谷口上等兵より、石原上等兵実家の皆様方へ』
 この葉書を四つに折って私は石原上等兵の財布の中へ入れた。私自身が果して生きて軍事郵便に托し得るかどうか五分先きのことが判らない。財布は、石原上等兵の遺品として必ず実家に届くだろう。葉書をしまい終わると、とめどなく涙が出てきた。石原上等兵と出発以来の長い間の生活が思い出されて来た。私の目にも涙の中に駅頭の旗の波がボーッと浮かんで来た。
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