「南京事件」の総括 (小学館文庫) 2 序 日本人が虐殺された南京事件

2013.09.06.05:40

序 日本人が虐殺された南京事件

戦前派の私たちは、南京事件といえば、昭和二年(1927年)三月、蒋介石の北伐中に起きた共産派の暴徒による排外暴動を想起する。外国の権益や領事館、居留民団を襲い、虐殺、暴行、略奪のかぎりを尽くした事件である。

米・英・仏の軍艦はついに城内に向けて火蓋を切った。しかるに、わが駆逐艦は中央の命により隠忍した。これをいいことに、暴動化した革命軍は、日清汽船のハルクに乱入してこれを破壊し、駆逐艦を射撃し、わが方に戦死者を出した。そのあげく、荒木大尉以下十二名の水兵が武装解除され、在留邦人は全部暴行、略奪をうけ、ある者は殺害された。わが居留民は領事館に収容されたが、この領事館も三回にわたって暴徒の襲撃をうけた。

この時の惨状を佐々木到一氏(のち第十六師団第三十旅団長として南京に入城・少将)は次のように記してる。「領事(森岡正平)が神経痛のため、病臥中をかばう夫人を良人の前で裸体にし、薪炭車に連行して二十七人が輪姦したとか、三十数名の婦女は少女にいたるまで陵辱され、現にわが駆逐艦に収容されて治療を受けた者が十数名もいる。根元少佐が臀部を銃剣で突かれ、官邸の二階から庭上に飛び降りた。警察署長は射撃されて瀕死の重傷を負った。抵抗を禁じられた水兵が切歯扼腕してこの惨状に目を被うていなければならなかった」

その惨状は筆舌に尽くしがたいひどいものであった。日本軍は発砲を禁じられて何の抵抗もせず、居留民保護に当たるどころか、簡単に武装解除されて、監禁・暴行されるありさまであった。反撃なしと見るや、中国兵はますます日本兵に対して凶暴さを増すのみであった。

佐々木氏は、これが日本の平和外交の現実か、結果的にはますます中国人に侮蔑されるのみではないか、と日本政府のいわゆる幣原軟弱外交を慨嘆している。

ついでながら日本人が虐殺された西南事件と通州事件についてふれておく。

南京事件のあと、昭和三年五月には、済南で多数の日本人が虐殺され、陵辱、暴行、略奪をうけた。佐々木氏はこの事件にも立ち会っており、次のような手記を残している。「ところがこの日になって、重大事件が惹起されていることが明らかにされた。これより先、居留民は総領事の命令を以て老幼婦女は青島に、残留する者は警備線内へ引き上げを命じてあったが、それを聞かずして居残った邦人に対して残虐の手を加え、その老荘男女十六人が惨死体となってあらはれたのである。予は病院に於て偶然その死体を実見したのであるが、酸鼻の極みだった。手足を縛し、手斧様のもので頭部、面部に衝撃を加へ、あるいは滅多切りとなし、婦女はすべて陰部に棒が挿入されている。ある者は焼かれて半ば骸骨となっていた。焼け残りの白足袋で日本婦女たることが分かったような始末である。・・・・・・・」

まことに残忍の極みである。佐々木氏自身も、その直前に中国兵数名にとり囲まれ、鉄拳の暴行を浴び、激しい私刑を受けている。このように続発する中国人の日本人に対する野蛮な犯罪にもかかわらず、時の日本政府は一切事なかれ主義をとり、ひたすら無為無策、平和外交(?)に終止した。佐々木氏はこれを敗北主義といって痛憤している。

この済南事件に対しても日本はほとんど抗議も行わず、泣き寝入りであった。このような日本の軟弱外交は、中国の排日、抗日運動をいよいよつのらせ、侮日思想を一層高揚せしめた。そのあげくのはてが、昭和七年の第一次上海事件にまで発展するのである。

通州事件に触れる。昭和十二年(1937年)七月七日の虚溝橋事件をきっかけに、日本と中国は全面戦争へと発展するのであるが、そのシナリオは、前年の蒋介石が張学良に監禁された西安事件以後中国共産党によって工作され、劉少奇の指揮する抗日救国学生隊によって演出されたことは、今では公然と中共みずからが認めているところである。彼らは、夜間演習中の日本軍と宗哲元の二十九軍の双方に向って発砲し、事件をまき起こしたばかりでなく、日本政府の不拡大方針、現地解決の線に沿って、現地軍と宗哲元との間で話しがまとまりかけるとこれをぶちこわし、次ぎ次ぎと事件を起こして拡大をはかった。

七月二十五日の朗坊事件―北京南方約五十キロの朗坊で、北京―天津間の電話線が何者かによって切断され、修理におもむいた日本軍が発砲をうけ死傷者を出すという事件―が起きた。

翌二十六日には廣安門事件が起きた。日本軍が中国側に事前通告をした上で、北京在留邦人保護のため部隊を派遣したところ、日本軍の先頭の一部が廣安門を通って市内に入るやいなや、中国軍は突如城門を閉鎖して、分断し、その双方に対して攻撃を仕掛け、多くの死傷者を出した事件である。

さらに三日おいた七月二十九日に起きたのが通州事件である。通州の日本人居留民約350人に対し、中国保安部隊と暴民が襲い掛かり、略奪、暴行のあげく、婦人・子どもをふくむ日本人二百余命が虐殺された事件である。
事件は真夜中に起きた。中国の保安隊はまず日本の特殊機関を襲い、応戦した細木中佐と甲斐少佐を銃殺し、喊声をあげて日本人街になだれこんだ。日本人住宅を襲い、略奪・暴行をほしいままにして、婦女子をふくむ260人の日本人を城壁のところに連行し、そこで皆殺しにした。見るも無残な殺し方であった。

街の中央にある日本人旅館近水楼を襲った中国兵は、銃声を放って闖入し、数十人の日本客や女中を惨殺した。ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に丸太を突き刺され、乳房を削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎでされて池に放り込まれた。中国人の言う「屠城」による「屠殺」そのままであった。(本編は新勢力社編『日本人が虐殺された現代史』〈新人物往来社〉を参照した)。

南京事件の僅か五ヶ月前に、中国軍民によるこのような大量の日本居留民虐殺の暴虐事件があったことを記憶しておく必要があるだろう。

このほかに、昭和十年から十一年にかけて中山水兵射殺事件、仙頭事件、萱生事件、長沙事件、成都事件、北海事件んど、一連の虐殺事件があり、満州の万宝山事件、中村大尉虐殺事件、上海陸戦隊の大山中尉、斎藤一等兵の惨殺事件等、数多くの日本人虐殺事件があったことを銘記したい。

必ずしも日本だけが一方的な「加害者」であり「犯罪者」ではないということである。


(p12~16)
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