「南京事件」の総括 (小学館文庫) 4 第四の論拠 国際委員会の日軍犯罪統計

2013.09.06.05:51

第四の論拠 国際委員会の日軍犯罪統計

日本軍の南京占領後の状況を、12月13日から翌年の2月9日まで、その間のありとあわゆる事件を、伝聞や噂話や憶測までまじえて報告した公文書がある。
前述の「国際委員会」の61通の文書がそれである。
この日本軍非行の告発書ともいうべき公文書の背景には、次の4つの要素のあることを留意しておく必要がある。

一、前述したように、この委員会を構成する15人の第三国人は、いずれも当時の言葉でいう「敵性国人」で、日本の中国進攻に憎悪と敵意を抱き、中国に軍事援助その他物心両面の支援をしている国の国民であるということ。
二、彼らの作成した多くの資料は、ほとんど伝聞ないし噂話によるものであるということ。
三、日本軍の非行に関しての監視は、たんに安全区だけではなく、城内全般に及んでいること。
四、国際委員15人を中核として、その輩下に紅卍字会やYMCAおよび中国側の第五列の抗日宣伝部第二康沢の別働隊の青年が活動の網を張り巡らしていたこと(注(1))

国際委員会は、これらの重宝網によってもたらされる日本軍のあらゆる非行情報を、寧海路五番地の事務局に集めた。
連日、あるいは一日に二回も文書が発刊された。
その中には、日本軍の非行告発以外に、食糧補給や治安に関する訴えや要求等もある。

かれらの数名はいつも一ツ屋根の下で寝食を共にし、情報収集するとともに、こうした要求その他を協議してこれをタイプした。
日本軍の非行に関しては、なんら検証することなく、すべてを事実と認定してこれを記録した。

こうした要望や告発の日本側の窓口は、当時外交官補の福田篤泰氏である。
福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、筆者とも昵懇(じっこん)の間柄である。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している』。或いは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフィッチなど3、4人がぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ(注・フィッチ牧師は、反日朝鮮人活動家金九を自宅に匿った前歴がある)
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』といくども注意した。時に私は彼らをつれて強姦や略奪の現場にかけつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事から私に抗議があった。『下関にある米軍所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の9時ころである。
現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。
『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが連日山のように来た。

ティンパーリーの例の『中国における日本軍の暴虐』の原資料は、フィッチかマギーかが現場を見ずにタイプして上海に送稿した報告があらかただとぼくは思っている(注(2))
(編注・ティンパーリーは中国国民党中央宣伝部の顧問だったことを鈴木明氏が『近代来華外国人名事典』より明らかにした)
ちなみに、国際委員会書記長スミス博士も、「ここに記された事件(日本軍非行425件)は検証したものではない」と述べている。
前述したように、この61通の書簡の中に日本軍の非行行為425件が記録されており、この文章は、ティンパーリーの『戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐』と、徐淑希の『南京安全区當(本では當の左に木へんがついてます)案』に分けておさめられている。
福田氏は現地で、実際に中国人や国際委員会の抗議を吟味してその内容の多くがでたらめであることを知っているが、毎日続々と送られてくる日本軍の暴行に対する国際委員会の抗議を受け取った当時の外務省東亜局の驚きはどんなであったか。

東亜局長石射猪太郎は、回顧録『外交官の一生』(読売新聞社出版部)の中で次のように書いている。
昭和3年1月6日の日記にいう。
「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳細に来る。略奪、強姦目もあてられぬ惨情とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ(中略)これが聖戦と呼ばれる皇軍と呼ばれるものの姿であった。私はその当時からこの事件を南京アトロシティと呼びならわしていた」(前掲同書305~306)
この文章は虐殺派がよく利用する。
石射氏がこのようなでたらめな抗議を信用し、軍に反感を抱くにいたったには、それなりの原因がある。
昭和12年12月14日(南京占領の翌日)に開かれた「大本営連絡会議」で、軍と衝突し、次のように憤激している。
「こうなれば案文などどうでもよし。日本は行く処まで行って、行詰らねば駄目と見切りをつける(同日の『日記』より)
私はむしろサバサバした気もちになり、反逆的な快味さえ感じた(前掲同書300~303ページ=赤字強調の所は田中)

このように、「反逆的快味」すら感じていた石射氏にとって、南京における陸軍の失点は反撃のチャンスでありザマミロということになる。「南京アトロシティ」は石射氏にとって陸軍を攻撃する格好の材料であったのだ。
石射氏の陸軍に対する憎しみは反日的情念にまで結びついた感がある。
なにしろ、石射氏のこの回顧録を見ると、始めから終わりまで、日本と中国の関係を「日中」ではなくて「中日」と記述しているのである。すなわち中国を主として、日本を従とする思考様式である。
日本国天皇からもらった勲章には「愛想をつかしていた」(同459ページ)が、中国からもらった勲章は、「光栄とし愉快とする」(同460ページ)などと臆面もなく書いている。
このような人物が当時の日本外務省の東亜局長だったのである。
脇道にそれたが、最近、一橋大教授藤原彰氏が『南京大虐殺』(岩波ブックレット)という本を書いているが、その論拠に石射氏の回顧録を何よりの証拠としているので、あえて石射氏の思想的背景を紹介した次第である。

さて、国際委員会が抗議した425件の日本軍非行の中には、非行でも何でもない事件もあり、前述のように伝聞、噂話、憶測が大部分であるが、これらをすべてクロとみて分類すると次のとおりである。


殺人 49件
傷害 44件
強姦 361件 多数3件 数名6件
連行 390件 多数1件 数名2件
略奪その他170件


殺人わずか49件である。大虐殺などどこにも見られないのである。
渡部昇一教授によると「”南京大虐殺”は英文の文献によるとRaping of Naiking(南京強姦)となっているのが普通であり、massacre(大虐殺)という単語を使っている例はまず見当たらない」(渡部昇一著『萬犬虚に吠える』173ページ)という。
ともあれ上記の数字が12月13日から2月9日までの約2ヶ月間にわたる、伝聞、噂話し、憶測まで含めた南京における日本軍非行を記録した国際委員会の総トータルなのである。


【注】
(1)郭沫若の『抗日戦回顧録』によると、国民党政治部は陳誠を部長に、周恩来、黄琪翔を副部長とし、その下に四つの庁をおいて、抗日宣伝、情報収集等を行った。
康沢第二部長の別動隊は、南京で活動し、多数の資料を集めたと記録されている。
(2)ティンーパーレーの『戦争とは何か』については第13の論拠参照。
(3)石射氏に関する記述は谷口巌著「南京大虐殺」にみる虐殺派の虚構づくり』(「ゼンボ!」61・2月号)を参照した。
(4)このトータルは板倉由明氏が作成せるもの。


(p38~44)
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