「南京事件」の総括 (小学館文庫) 5 第十一の論拠 国際連盟も議題にせず

2013.09.06.05:56

第十一の論拠 国際連盟も議題にせず

中・高校の教科書には、「当時国際的非難をうけた」とか「世界の非難をあびた」と書いてある。
本当に国際的非難をあびたか、この点を検討してみよう。

当時、国家間の問題を解決する機関として、現在の国際連合の前身である「国際連盟」が第一次世界大戦後設立されていたことはご存知の通り。国際連盟はアメリカは最初から列外におり、ソ連は加盟せず、日本が満州事変で脱退してのちのドイツも、やがてイタリアも相次いで脱退する。
しかしアメリカはオブザーバーとして出席しており、紛争に関する国際会議などが開かれると参加していた。
また日本にもいろいろな国際会議への参加の呼びかけがあり、ソ連も1937(昭和2)年の南京事件のころは参加していた。

例えば、1937年8月から開かれていた国際連盟総会は、支那事変を「二十三カ国東亜諮問委員会」に付託したが、アメリカはこの委員会に列席しており、日本にも参加の呼びかけがあった。また当該委員会の決議として、11月ブラッセルで会議が開かれたが、これにもアメリカは列席し、日本にもベルギー政府から招請状が来ている。しかし日本は双方ともにこれに参加を拒否している。

当時、国際連盟の部隊は、国際的な諸問題の華々しい討論の場であった。支那事変のはじまるころには加盟していたソ連の協力なあと押しもあり、蒋介石政権にとって国際連盟は日本に対する重要な外交交渉の舞台であった。南京攻略の直前、日本の和平条約にかんする提案を、ブラッセル会議の進展とてんびんにかけ、返答が遅れらことはよく指摘されるところである。

当時、支那の国際連盟の代表は顧維均である。彼は1919年のパリ会議のときすでに支那代表をつとめ、国際連盟創設以来の支那代表で、コロンビア大学出身、アメリカの政界にも力をもつ国際的な「支那の顔」であった。

昭和12年8月13日から10月6日まで国際連盟第18回総会が開かれる。
このとき支那は北支事変を提訴した。本件は23カ国東亜諮問委員会に付託され、この委員会は支那を支持することと、ブラッセルで会議を開くことを決めた。つづいてブラッセル会議が開かれるが、この会議で「日本に抗議する対日宣言文」が採択されている。さらに支那は、南京・広東に対する「日本の空爆を非難する案」を提訴し、これまた委員会・総会で採択されている。
このように、当時支那は日本の軍事行動に対していちいち提訴し、これに対し、国際連盟はこの支那のいい分をうけ容れて、日本に対しそのたびに、非難決議をおこなっているのである。

南京陥落の翌13年1月26日から第100回国際連盟理事会が開かれる。
英・仏・ソ・中の四カ国代表による「支那事変問題委員会」も同時に開かれ、支那に対する国際的援助問題が付議されるが、非加盟国の米の態度が消極的なため、支那の思うようにならなかった。
しかし、2月2日の理事会では、二カ国棄権の外は全員一致で、支那を支援する決議案が可決された。
顧維均代表の八面六臂の活躍ぶりが次々と巧を奏し、まさに顧維均は当時の国際連盟のスターであった。

もし伝えられるごとき南京アトロシティがあったとするなら、日本軍の略奪、強姦、暴行などの非人道的行為があったとするなら、まして「広島・長崎以上の大虐殺事件」があったとするなら、当然この会議にかけられ、日本非難の決議になったにちがいない。しかるに支那代表顧維均によるその提訴すらなかったのである。

この年の5月9日から第101回国際連盟理事会が開かれるが、支那はこの理事会で、日本軍の空爆と、山東戦線における毒ガス使用を非難する提案を行い、これが満場一致で可決されている。すなわち、日本軍の南京空爆の非難や、山東における毒ガス使用の非難決議はあっても、”南京虐殺”の非難提訴はなかったのである。議題にさえのぼってないのである。
この一事を見ても、”南京虐殺”がいかに東京裁判によって作られた虚構であったかが分かるだろう。
いいかえれば、東京裁判以前には、南京事件は存在しなかったのである。
(編注・第100回期国際連盟理事会(1938年1月26日~2月2日)で顧維均中国代表は、採択を前にして「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があったと演説し、国際連盟の「行動を要求」したが、1937年10月6日の南京・広東にたいする「日本軍の空爆を非難する案」のように採択されなかった。
この数は、東京裁判での20万人や中国側が2006年までに主張していた公式見解30万人と桁が違う。

また、第100回期国際連盟理事会の議事録を翻訳した1938年2月18日日付、外務省機密文書「第100会期国際連盟理事会における日支問題討議の経緯」を戸井田とおる衆議院議員 と水間政憲 が連携して発掘した。
この機密文書を総覧すると、日本非難決議が通らないことを承知していたにも関わらず、顧維均中国代表は執拗に国際連盟の「行動を要求」していたのである。

これは中国の「南京大虐殺」の政治宣伝の原点がこの国際連合の演説であったと見ることが出来る。
しかし、この外務省機密文書には、「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行」という記述が抜けており、しかも2007年6月10日現在まだ非公開である。


(p90~93)
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