〈「南京大虐殺」を教科書に載せるな 藤岡信勝〉3

2013.10.06.21:55

【WiLL掲載論文】(2012/07WiLL6月号)「南京大虐殺」を教科書に載せるな 拓殖大学客員教授  藤岡信勝

●執筆者側の作戦変更

  文科省の検定のこのようなゴリ押しをかわすにはどうするか。ここで、私たちは一計を案じた。南京事件の記述を一切やめてしまうことにしたのである。この方針の背景について説明しておく。

  南京事件について、あれこれ書き直しを命じられるのは、注のかたちではあれ、「南京事件」を教科書に書いたからである。一旦書いてしまうと、とことんまで難癖をつけられる。だが、「南京事件」は歴史教科書にどうしても書かなければならない必須事項ではない。

  例えば、学習指導要領には、「摂関政治」や「鎌倉幕府」などの言葉がはっきりと書かれているから、これらを書かない教科書は失格である。

  しかし、「南京事件」という言葉は、学習指導要領のどこにも書かれていない。

  昭和戦前期についていえば、学習指導要領は、「昭和初期から第二次世界大戦の終結までの我が国の政治・外交の動き、中国などアジア諸国との関係」と抽象的に書いてあるだけである。

  その時期の無限とも言っていいほど多数の歴史事象の中から、どのような史実を選んで書くかは、教科書の執筆者の自由にゆだねられているのである。

  私は、「新しい歴史教科書をつくる会」が最初に出した平成十三年検定合格の扶桑社版『新しい歴史教科書』(初版)の執筆と検定に関与して以来、今回で四種類の歴史教科書に関係してきた。近現代の時期を専門とする教科書調査官は、今回に至るまで一貫して同じ人物である。そして、最初の検定に関わったとき、「もし南京事件を取り上げないというなら、それでも構わない。取り上げるかどうかは著者の自由だが、いったん書いた以上は検定意見に従わなければならない」という趣旨のことを言われた。

  実際、一九六○年代から七○年代にかけての歴史教科書には、南京事件などどこにも書かれていなかった。驚くなかれ、あの教科書訴訟で悪名高い家永三郎の高校の日本史教科書ですら、南京事件は全く書かれていないのだ。だから、南京事件を書かないと近現代史は成り立たないなどということは全くない。

  では、中学校歴史教科書に南京事件はいつから登場したかというと、昭和五○年(一九七五年)使用開始の教育出版の歴史教科書に、「四万二千の中国の住民を殺害するという事件がおこった」という記事が載ったのが最初である。その後、四社、五社と増え、昭和五十七年(一九八二年)に「近隣諸国条項」ができてからは全社に拡大した(小山常実『歴史教科書の歴史』草思社)。

  この変化の背景には、一九七○年代の前半に生まれた三つの要因がある。第一は、日中国交樹立の中で「日中友好ムード」が演出されたこと、第二は、本多勝一の「中国の旅」が朝日新聞に連載され始めたこと、第三に、家永教科書訴訟で東京地裁の杉本判決が出たことである(「教科書問題の論点・第三回 虚妄の『南京大虐殺』」新しい歴史教科書をつくる会会報『史』平成二十四年三月号)。 さらに言えば、中国の歴史教科書に南京事件が登場するのも、一九七九年以降のことである。日本よりも遅いことに注目していただきたい。「南京事件」、「南京大虐殺」は、中国共産党と朝日新聞の合作により、一九七○年代以降に捏造された歴史なのである。

  というわけで、南京事件はあったという前提で教科書を書け、という検定意見に対処するため、検定意見を受けて提出する修正表では「注6」の南京事件の記述自体を削除することにした。ついでに、「注4」の「通州事件」も削除することにした。南京事件の削除を文科省が認めるとすれば、通州事件もバランス上、削除を求められるだろうことが見え透いていたからである。
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