〈プロパガンダ戦「南京事件」~終章─国際宣伝戦での敗北〉

2014.07.21.16:54

 南京事件は、昭和十二(一九三七)年七月七日の盧溝橋事件から始まる日中間の戦争中に、中国によって対外宣伝工作、つまり情報・思想戦によって作られた可能性が高い。蒋介石率いる国民党は、盧溝橋事件当初から、ラジオ放送などを使ってデマを飛ばし、その結果、日本人が虐殺された通州事件なども起きており、中国側の宣伝の巧妙さを証明している。今ではその「通州事件」そのものが、あらかじめ計画されたものであったことが判明もしている。

 この宣伝工作において、八月十三日に始まった第二次上海事変から揚子江岸一体の戦闘で、日本軍は常に勝利していたものの、米国内にあった国際宣伝(情報・思想戦)という主戦場では、気づかぬうちに敗北し続けていたのである。そして、とうとう十月には『ライフ』赤ん坊写真によって、痛恨の一撃を食らうまでにいたってしまった。

 上海戦での敗退以降、蒋介石が何とか英米などの干渉を引き出そうと、あの手この手を尽くしていた様子や心理状態は、多くの関連史料の中から読み取ることができる。南京陥落の二ヶ月後の昭和十三年二月一日には、国民党は共産党と合流することで宣伝機構を統一し、軍事委員会政治部が設立されたことにより、今まで国民党の一組織によって行われていた宣伝工作(中央宣伝部)が、一気にこれら宣伝工作に数万人をも動員できるまでに増員されたことになった。これにより、さらに中国側の(主に)対米宣伝工作が活発化することとなったのである。写真集『日寇暴行実録』、ティンパーリーの著書『外国人の見た日本軍の暴行』などの対日イメージを悪化させる宣伝書がつぎつぎと発行されたのはこのためである。

 昭和十三年以降、米国における対日感情が急速に悪化しはじめた。日米開戦の遠因が日中戦争にあるというのは、まんざらウソではないといえる。国際外交上において、一度、相手国に対して不信感が生まれると、なし崩し的に急速に関係悪化が起きることは、歴史上さほど珍しいことではない。中国の抗日宣伝工作によって、米国の対日感情が悪化し、時間の経過とともに雪ダルマ式に大きくなり、そのため遂に日本は昭和十六(一九四一)年十二月八日に、真珠湾攻撃をもって太平洋戦争に突入し、昭和二十(一九四五)年八月十五日を以て終戦となる。

 その後の東京裁判では、プロパガンダ(宣伝)工作《南京事件》のイニシアチブ(主導権)は中国から米国へと移り、歴史的政治ショーであった東京裁判において、『南京事件』という一方的な断罪を受けることとなった。

 東京裁判から二十三年後には、今度は日本国内のマスコミがイニシアチブをとって中国共産党とともに、『南京大虐殺』宣伝工作を担った。その背景には、明らかに日中国交正常化に際しての中国の宣伝戦略が存在しており、いかにして外交交渉を有利に運ぶか、という目的があったことは間違いないだろう。

 そしてさらにその十年後に、再度、日本国内マスコミの大宣伝によって、遂には『南京大虐殺』という新しい呼び名が、教科書にまで掲載されるまでになり、日本国民は中国に対して民族的贖罪意識を植えつけられる洗脳書を、政府によって与えられるまでになってしまった。今では南京事件は、中国政府によって、対日恫喝カードとして使われるまでになった。

 再度述べるが、南京事件は、最初は中国(蒋介石率いる国民〈中華民国〉政府)が大宣伝を行い、続いて米国、その後に中国共産党と日本国内のマスコミ宣伝によって『南京大虐殺』が作られ、つぎつぎと主導権が移りながらも、いまだもって続く国際宣伝工作事件なのである。日本政府が、このような国際宣伝(情報・思想)戦に対し、現在もなお有効な対策を打ち出せない以上、今後も悲しい敗北をつづけるのは間違いない。
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