アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(1)9人の『南京虐殺の目撃証人』

2014.09.11.06:19

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫

序 言
「南京大虐殺」とは、1937年12月13日の南京陥落直後から、日本軍が起こした住民の大量虐殺を含む悲惨な事件であると認識しているアメリカ人は多い。その根拠として、著名なアイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』がある。しかしその内容は事実とするには極端に過ぎるとの批判もある。そこで公平に判断をしたいという人は、目撃証人であったアメリカ人の記録はないものかと考えるに違いない。ここに、その期待にこたえるべく刊行された絶好の資料があるのである。左の写真に見る通り、その名はズバリ、『南京虐殺の目撃証人』(Eyewitness to Massacre)である。副題を『南京に於ける日本軍の 残虐行為の目撃証人のアメリカ人宣教師』という。この書の原資料は、エール大学神学部図書館に所蔵されている文書で、M.Eシャープ社、ニューヨークが1984年に出版した。そこには、事件当時南京に在住していた宣教師などのキリスト教関係者が、南京から避難していた家族や友人へ送った手紙などが収められている。外部に向けた、言わば宣伝目的の文書とは異なり、家族にあてた私的な文書なので、かなり本音が表現された資料であると見ることが出来る。では、どういう人々が本書に登場するのか、先ず、これらの人々の経歴を、本書から抜粋して記すことにする。


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ヴォートリン=1912年イリノイ大学卒業、キリスト教伝道の宣教師となって中国へ派遣され、南京の金陵女子文理学院の教師となる。その後、同学院の実務上の責任者学長になった。
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ベイツ=1920年にオックスフォード大学の文学博士の称号を得て、宣教師として南京大学の政治・歴史学教授となり、後に副学長となった。
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ウイルソン=1906年南京生まれ。プリンストン大学、ハーバード医科大学出身、1935年に指名されて翌年南京のキリスト教系鼓楼病院に着任した。
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スマイス=シカゴ大学で社会学の博士号を取得し、1934年にキリスト教協会から指名されて南京大学社会学教授になった。
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マッカラム=1917年オレゴン大学出身。エール大学の神学士号とシカゴ神学学校の修士号を持つ。1937年冬から、南京大学病院の経営に携わった。
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マギー=1901年エール大学卒業、1911年にアメリカ聖公会神学士となり、1912年に伝道団宣教師として南京に赴任。
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フィッチ=1883年蘇州生まれ、キリスト教長老派伝道団牧師の子息、1906年ウースター・カレッジ卒業後ニューヨークの神学院に属し、1909年上海のYMCAで働く ことになって中国に戻った。
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ミルズ=1912年にコロンビア神学院から神学士を授与され、同年から1931年ま で中国のYMCAで働く。1933年から49年まで南京の長老教会外国伝道団の一員。
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フォースター=1917年プリンストン大学卒、1919年渡支し、聖公会伝道師として教鞭をとった。南京陥落の約1ヶ月前に南京のセントポール聖公教会に転勤となった。
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このように、記載者の全員がキリスト教の高等教育を受け、伝道師として南京に滞在していた人々であった。もし、これら教養のあるキリスト者9人の人々が実際に日本軍による虐殺や暴虐を見たとの記録を残していれば、南京事件は事実だったとの有力な証拠となる。

ところがおどろくべきことに、400頁以上あるこの資料が収めている膨大な彼等の記録には、事件が起きたとされる12月13日から翌年にかけて、日本軍による住民虐殺を目撃したという記述は全く無いのである。強姦、略奪などの残虐行為も、難民からの訴えを聞いて現場へ駆けつけても犯人は逃げたあとで、実際に日本兵の犯行を見た人はいなかったのである。つまり「書名」とは全く逆にアメリカ人の虐殺(残虐行為)の目撃証人は1人もいなかったということなのでなる。

実は極めてミスリーディングな書名の本なのである。

 

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