アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(4)唐生智司令官の南京市民への厳令

2014.09.12.21:59

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫

この日本側の基本方針は、1938年1月10日に国際委員会のスマイスから南京に復帰したアメリカ大使館のアリソン書記官に出された手紙の一節に述べられているものである。この約束は守られ、スマイスは12月20日付の家族へ書いた手紙で次のように言っている。

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12日は安全区に砲弾は落ちなかったので、この日の私の着弾地図はきれいだった。それが一晩中砲声がしているなかを平和裡に寝ることができた一つの理由だ。我々は日本軍砲兵が安全区に砲弾を撃ち込まないことを絶対的に信じていた。(245頁)
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なおここで、南京についていくつか基本的なことを確認しておこう。地図にみるように、南京は全長34キロに及ぶ城壁で囲まれた都市である。丁度山手線の長さと同じであるので、山手線内が南京城内と考えてよい。面積は40平方キロメートルで、ニューヨークのマンハッタン島の70%ほどの広さである。城門は13か所あり、城門を通らないと中には入れないようになっていた。安全区は、面積が3.9キロ平方メートルで、東京で最も小さい中央区の半分ほど、ニューヨークのセントラルパークと同じくらいの面積であった。

 
南 京 全 図

上海での戦いが始まる前には南京の人口は100万を数えたが、上海からの戦火が迫る形勢になると人々は市外に脱出し、11月28日の王固磐警察長官の発表によると人口は20万人に減少していた。12月8日の唐生智南京防衛軍司令官の厳命により、この20万市民は全員安全区に避難したのである。

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12月8日、唐生智南京防衛軍の布告は「全ての非戦闘員は国際管理の安全地帯に集結しなければならない」というものであった。そして、特別許可がない限り、安全遅滞外での非戦闘員の移動は一切禁じられた。
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しかも、”Documents of the Nanking Safety Zone” の記録では、陥落の翌年1月14日には人口が25万人と記録されている。
従って、30万人虐殺など起こりうる環境ではそもそもなかったのである。
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