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アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(5)ベイツのメモ

2014.09.12.22:28

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫

南京陥落後の第一報
12月13日に南京が陥落したとき、5名のアメリカ、イギリスの報道関係者がとどまっていた。しかし陥落後は通信手段が無くなったと考えた彼等は、12月15日午後アメリカ砲艦オアフ号に乗艦して、自発的に南京から退去してしまった。そのとき、シカゴ・デイリーニューズのスティール記者は、ベイツから上海のアメリカ総領事館に宛てたメモを預かった。

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、1938年1月5日、上海のアメリカ総領事ガウスから国務省官宛に書簡が出されている。そこには南京大学のベイツ教授が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを送ること、そしてそれはシカゴデイリーニューズ記者のスティール氏が等総領事館の館員に手渡したものであると書かれている。(『南京事件資料集 アメリカ資料編』、p。105)

また、ベイツが1938年4月12日付で上海から「諸友人宛て」に送った手紙(Eyewitness to Massacre p.34)には、「その本には12月15日に南京を離れようとしていたさまざまな特派員に利用してもらおうと、私が同日用意した声明が掲載されています。」とメモを特派員向けに書いたことが明記されている。
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それはアメリカ国務省に転送され、その内容はニューヨークタイムズのダーディン記者等にも伝えられた。このメモのことは、ティンパーリー編の『戦争とは何か』に筆者を隠して掲載されているが、その後作者はベイツであることが、明らかとなっている。

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このメモをもとにして、似たり寄ったりの日本軍暴虐の記事を書いたのが、スティールであり、ニューヨークタイムズのダーディン、そしてパナイ号には乗っていたが南京には足を踏み入れてなかったロンドンタイムズのマクドナルドと言う記者たちであった。
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このメモを参考としてこれらの新聞に掲載された記事が12月16日、17日のこれらの新聞紙面を飾って、それが日本軍による暴虐事件の第一報になった。

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・12月15日(日本時間16日)の『シカゴデイリーニューズ』(スティール)
…南京陥落の物語は、落とし穴に落ちた中国軍の言語に絶する混乱とパニックとその後の征服軍による恐怖の支配の物語である。何千もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない人達であった。…それは羊を殺すようであった。…以上の記述は包囲中の南京に残った私自身や他の外国人の観察に基づくものである。…

・12月18日(日本時間19日)の『ニューヨークタイムズ』(ダーディン)
…南京における大規模な虐殺と蛮行により…殺人が頻発し、大規模な略奪、婦女暴行、非戦闘員の殺害…南京は恐怖の街と化した。…怖れや興奮からは知る者は誰もが即座に殺されたようだ。多くの外国人たちに目撃された。…

いずれも、ベイツのメモをもとにしていることが分かる。実際の南京の状況は、南京在住の外国人の家族への手紙に見るように、余りにもこれとは異なるものであった。
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このときのベイツのメモ(南京情報―1937年12月15日)は次のように報じている。

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南京では日本軍はすでにかなり評判を落としており、中国市民の尊敬と外国人の評価を得るせっかくの機会さえ無にしてしまった。中国側当局の不名誉な瓦解と南京地区における中国軍の壊滅によって、ここに残った多くの人々は、日本側が高言している秩序と組織に応じようとした。日本軍の入城によって戦争の緊張状態と当面の爆撃の危険が終結したかと見えたとき、安心した気持を示した住民も多かった。少なくとも住民たちは無秩序な支那軍を恐れることはなくなった。実際には、支那軍は市の大部分にたいした損害も与えずに出ていった。しかし、2日もすると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行を もむ家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなって しまった。市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告している。南京の中心部では、昨日は1区画ごとに1個の死体が数え られたほどで、死亡した市民の大部分は、13日午後と夜、つまり日本軍が侵入してき たときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものだった。恐怖と興奮にかられ てかけ出すもの、日が暮れてから路上で巡警につかまったものは、だれでも即座に殺 されたらしい。その苛酷さはほとんど弁解の余地のないものだった。南京安全区でも 他と同様に、このような蛮行が行われており、多くの例が、外国人および立派な中国人によって、はっきりと目撃されている。銃剣による負傷の若干は残虐きわまりないものだった。(4頁)
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このベイツのメモが真実を伝えているとしたら、彼は南京事件の最初の目撃証人となるわけである。彼は12月13、14日の2日間に、日本軍が行った安全区内外での大量殺人が自分及び外国人によって目撃されたと言い切っているからである。それでは、その13、14日の2日間に他の外国人はこのような大量虐殺を果たして目撃していたのであろうか?


上記のベイツメモを冷静に読んでいただきたい。
博士たるベイツ氏が自身の目撃者でもない事件をあからさまにメモ(記録)しているのです。
博士でなく真実を報告する記者であったとしても、このような記録(記事)に信憑性は見出せません。

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「南京大学教授ベイツの"化けの皮"」東中野修道 『諸君!』2002年4月号

そのティンパーリと反日的な点で同志関係にあったベイツも、中華民国政府顧問であったことも次の史料から明らかになりました。それを証明したのが、イエール大学で私が発見した小さな新聞記事の切り抜きであった。写真説明は次のようになっている。

「中国の首都南京の城門を攻める日本軍の砲撃がこだまするなか、それに怯むことなく、オハイオ州・ハイアラム出身の南京大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士(写真)は、城壁で囲まれた南京城内の自らの持ち場を離れることを拒否した。アメリカ大使館は、ベイツ博士が最後の瞬間に逃げることを許可し、彼に、城壁をよじ登って降りるさいの縄ばしごを提供した」
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ベイツ氏はこの当時より中華民国政府の顧問であり、中立な立場からの記録表現ができたでしょうか。
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