アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(11)13日も14日もマギーは1件の殺人も見ていない

2014.09.13.00:04

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫

マギーは、南京防衛軍の野戦病院になっていた国防部の建物から外交部への傷病兵を移送しようとしていた12月14日の活動振りを12月15日の妻への手紙で書いている。

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次の日の朝、私は負傷兵を満載して外交部へ救急車を走らせた。私達が担架の兵と共に歩くことのできる負傷兵を助けながら一歩踏み出そうとしたとき、何人かの野獣の如き一隊の日本兵がやってきた。私は最も苦痛の激しい可哀想な男を助けていたが、1人の兵が私から兵を引き剥がし、その傷ついた腕をひどく捻り、両腕を縛って他の負傷兵と繋ぎ合わせた。そのとき、運よく通りかかった日本の軍医に、これらの人々の血で染まった衣服を示した。彼はドイツ語を話したので私は片言のドイツ語でここは負傷兵の病院だと言ったところ、彼は兵士を放免させた。私は英語を話す上品な陸軍大佐と会って、傷兵を看護する許可を得るために司令部に行きたい旨を告げたところ、彼は私と若いロシア人とを私達の救急車(紅卍字会から借りた)で司令部に送ってくれた。私達はmoral endeavor西の中央飯店に行き、とがった頭と濃いあご鬚の小柄な男と会った。

国防部には沢山の傷兵がいるので、彼等を外交部へ移す許可を得たいと申し入れた。 彼は市内の最高指揮官がいる次の部屋に入っていき、私は数日待たなくてはならないと返事を指摘された。私は何日も彼等は手当を受けておらず、水を運ぶ者すらいないと言ったが、待てとのことだった。私達は失望して去った。

私は安全区委員会の本部へ戻り、そこの沢山の傷兵を2回外交部の負傷兵病院に運んだ。そのたびに私は兵隊とトラブルに会った。私が会った車に乗った上級将校の何人かは、私が負傷兵を運び出しているのではないかと危惧したのだった。しかし私は、彼等を遠くへ連れ出そうとしているのではなく、病院へ運んでいるところだと伝えた。彼等はもう1回運ぶことを許してくれた。2回目の運搬のあと、戻ってくるときに入口の門のところで、我を忘れたようにカンカンに怒っている将校に会った。私はこれまでそのような人間に あったことはなかった。彼の話し方は犬が吠えているようで、彼の形相はもし私が燃 えやすいものなら、忽ち燃え上がってしまいそうだった。彼はコーラに、このアメ リカ人(私のこと)を2度とこのあたりに来させるなと言った。アメリカ人は非常に悪い、と。コーラは、「私達はもう2回移動する許可を貰っています」と言い、彼は「自分は市の指揮官だ」と言い返した。大変な困難があって、私達は救急車を取り戻すことができた。(170-171頁)
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このようなマギーの行動を何故ここで詳しく書いたのか、二つの理由を示そう。

第一にこの頃のマギーの関心はあくまでも負傷兵にあり、いくら安全区の内外を動き回っても、難民が日本軍によって迫害されているとの意識は全く無かったことを明らかにしているからである。この点はスマイスやフォースターと同じであって、ベイツの言うような陥落後「2日のうちに」激しくなったという日本軍による殺害を初めとする暴行に触れることが皆無であることは、そのようなものは無かったことの証明である。

第二に、マギーが傷兵を運び込んだ病院は、日本軍によって保護されていたことである。この機会に彼等もやはり虐殺されてはいなかったということを明かしている重要な事実を示しておく必要がある。


このときから1ヶ月近く経った1938年1月11日のマギーの妻への手紙には次のようにある。

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私は外交部の負傷兵のための国際赤十字の医者と看護婦から、私が3台のトラック で負傷兵をそこへ運んだ12月14日以来、外国人は誰一人入ることを許されていないものの、男性も女性も保護されていると聞いた。(189頁)
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この病院はフォースターの14日の妻への手紙にある通り、日本軍に接収されていた。病院内に敗残兵が逃げ込んでいるのではないかと考えられる以上、接収するのは当然の措置であった。

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私達は、負傷兵のための赤十字病院として、外交部に集中させることを決めた。し かし昨日日本軍がそれを接収し、誰も出入りすることができない。私達はただ中にいる人々の運命を祈るしかなかった。(119頁)
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しかし彼等はマギーが手紙に書いている通り、日本軍によって保護されていたのだった。この事実をとっても「日本軍による大虐殺」とは、全くのフィクションであることがわかるだろう。

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マギーは、東京裁判の証人として出頭し、2日間にわたって南京で日本軍がいかにひどい略奪、暴行、強姦、殺人、放火などの限りを尽くしたかを証言した。ところが、反対尋問でブルックス弁護人から、証言した不法行為、殺人の現行犯のうち証人自身が目撃したものはどれくらいあるのか、と問われたところ、「殺人は1件を目撃した」と答えたのである。ところがマギーの妻への手紙(12月19日付)によると、この1件すらも実際には目撃していないことが分かる。
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一昨日の事、私は私たちの住んでいるところのすぐ近くで、1人の哀れな男が殺されるのを見ました。多くの支那人は臆病で、誰何されるとバカなことに走りだします。それが彼の身の上にもおきました。殺人現場は、私たちの見えるところから竹垣を曲がったところだったので見ることはできませんでした。後からコーラがいき、男は頭を2発撃たれたと言いました。
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確かに、なんらかの理由で逃げ出した男が撃たれたらしいが、しかし実際には、彼が書いている通り、彼自身は殺人現場を目撃していないのである。東京裁判で、苦し紛れに「1件は見た」と言ったことすら、嘘であったのである。

さらにいえば東京裁判の証言で、人口の事を聞かれ、安全区に約20万人が流れ込んだ、と言いながら、安全区外に大勢の人間、尐なくとも30万人はいたなどというウソを平然と述べているのである。安全区外に人はほとんどいなかったことは国際委員会の人間は誰でも知っていた。何しろ自動車で自由に市内を回っていたのだから。ところが、裁判になるとそんなことは誰も知らないだろうとばかり途方もない大ウソの数字を並べたてたのである。
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http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
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