アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(13)南京陥落後3日目

2014.09.15.17:10

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫


南京陥落後3日目
12月15日午後に5人の外国人通信員が南京を離れた。彼等はベイツから渡されたメモに基づいて、それまでに日本軍が南京市内を荒らし回っているような記事を書いている。しかし彼等は南京城内を抜けて自動車を進めているときに、何呎にも重なった死体の上を通ったように描写したのみで、日本兵の難民への殺人、暴行現場を見たと書くことはなかった。前述したアイリス・チャンの記述にあるように、記者等が見た揚子江に向かう道路に散乱していた死体は日本軍に殺されたのではなく、大混乱に陥った支那軍兵士が自軍に射殺されたり、大火災で焼死した人々だったのである。


12月15日に国際委員会から日本側に渡された文書も、日本軍の暴虐については全く触れていない。

その内容を示すかわりに、この文書の制作者であったスマイスの家族への手紙を見てみよう。

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(12月15日、水曜日、朝)武装解除した兵について、人道と戦争法規を認識させるとの2点で理論武装をして、司令官が来たときに会えるように出かけた。しかし手紙が出来上がる前に、安全区について知るために福田が本部にやってきた。我々は彼にすべての文書のコピーを渡し、人口、食糧供給などについての彼の質問に答えた。(258~259頁)
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これでもわかる通り、国際委員会の関心事は自分達が武装解除した兵士の処置であった。難民については日本大使館の福田氏の質問に答えただけで、彼等が日本軍の迫害を受けているとの認識は全く無かったので、そのことには全く触れていない。更に、15日正午に日本軍の特務機関の係官と面会したときも、スマイスは日本兵の乱暴があるとは一言も言っていない。

先程の手紙の続きに次のようにある。

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ところで、元南京日本大使館秘書で60歳になる紅卍字会からの通訳スウエンは、この日に丁度着いた特務機関の長と正午に会えることを設定したので直ちに飛んで行った。福田が彼と共に通訳した。

特務機関の長は、市内の支那兵を調査しなくてはならないと言った。安全区の入口を整備し、人々は出来るだけ早く家に戻ること、武装解除されている支那兵に対する日本軍の人道的な態度を信用すること、警察は警棒だけを持って安全区を巡回し、
我々は安全区に持っている1万タンの米を難民に供給する。電話、電信、水道修繕のため彼はラーベと共に検査する。明日の100~200人の労働者を揃えるよう助言してほしいし金は払う。米のあり場所を検査して警備する。(259頁)
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このあとスマイスは、彼等が12月13日に武装解除した1,300人の敗残兵が日本軍に連行されていったことを残念がって、この日の手紙は終わっている。


南京市内には、兵達が軍服をぬぎ捨てて安全区内に逃亡したことが明かである以上、彼等を捕縛するべく捜索することは占領軍として当然である。スマイス等のアメリカ人も武装解除された兵士とは表現しても、このあとも含めて戦争捕虜と言うことはなかった。また、彼等の処刑についても、噂としては聞いても確認したことはなかったのである。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
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