アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった(15)ヴォートリンは大強姦を知らなかった

2014.09.17.21:42

アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった
松 村 俊 夫


ヴォートリンは大強姦を知らなかった
“Eyewitness to Massacre” の副題になっている残虐行為についても考えてみたい。その代表的な事件はアイリス・チャンが自著の題名としているレイプであろう。その象徴として、アメリカ、中国が南京事件を映画化するとき必ず長々と描写するのが、難民のうち女性だけを1万名以上収容していた金陵女子文理学院への日本兵侵入と大強姦事件である。1937年12月17日、兇暴な日本兵が逃げまどう多数の女性を強姦する様子は、見る人をして日本兵に対する最大の嫌悪感を抱かせ、反日感情をかき立てる。しかしその光景が単なるフィクションとすれば、映画の製作者の日本兵に対する侮辱はこれに過ぎるものはないであろう。

ヴォートリンの日記によれば、金陵女子文理学院は12月16日に敗残兵が逃げ込んでいないかとの疑いを持った日本軍による学内の捜索を受けたことは事実だったが、そのときも兵達による乱暴な行為は無かった。

ところが12月17日深夜、真っ暗闇のなかを日本兵を自称する一隊によって、少女6人が連行されていったことも事実だった。そのとき陳という学園の職員も連行されていった。ところが彼等は翌朝までに無事で戻ってきたのである。以下はヴォートリンから金陵女子文理学院理事会に提出されたレポートである。

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9時から10時の間に、彼等は側門から12人の女性と?女とを連れ出し、私達のと ころにいた将校はMr.Chenを連行していった。彼等が去ってから、このトリックは女 を連れですためだったことがわかった。私はMr.Chen は銃殺されるか刺殺されるに違 いないと思って、再び会えないだろうと観念した。この最後の場面を私は決して、決 して忘れることはない。メアリー(トワイネン)、Mr.Chenと私は門の近くに立ち、使用人達は私達の後にひざまずいているとき、Mr.Chenが将校と何人かの兵によって引き立てられていった。落ち葉のなかを遠くの側門を過ぎてゆく人影、誰ともわからぬその人々の低い叫び声。Mr.Chen は上海路と広東路との交差点で釈放され、6人の少女達は翌朝5時に無傷のままで戻ってきた。両方共に、祈りのお蔭だと私達は信じている。(336頁)
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ヴォートリンは、12名が連れ去られたと聞かされていたが、実際は6名だった。しかも全員(ほかの6人について心配している様子がないので、実際は6人だったと分かったのだろう)が無事に戻ってきたという結末はこの資料にしかない。

しかし12月17日夜にフィッチにさそわれて金陵女子文理学院に出かけたスマイスが見た「日本兵」の蛮行の記録が著名だから、映画でも取りあげられる程の大事件と受けとられている。しかし、12月17日夜の事件はアメリカ人達に日本軍の乱暴を見せつけようとした謀略の臭いがするのである。なぜなら、もし日本軍によるそのような大強姦事件があったのなら、ヴォートリンはあとになっても以下のようなレポートを書くことはなかったであろう。

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もっと貧しい人々は寝具や小銭さえも盗まれ、安全区にあってもとても安全だった。裕福な家の敷物やラジオや家具も盗まれつつある。私達は、12月17日頃から1月17 日迄(この日に私は最後の火事を見た)の大規模な焼却は見ない。現在の 最も大きな悩み事は、「老百姓」即ち普通の人々による略奪が続いていることである。 法の無い秩序も無いこの市のなかで、貧しいそして無法者は、どの家に入って欲しい 物を持ってきても全く自由だと思っている。旧安全区の外では、多くの家が戸や窓や 床までもすべてが盗まれている。最近の数日中に。私は良質の戸と窓が売られている のを見ており、それは破壊が進んでいることを意味している。当然のこととして私の 中国人の友達はこの件に心を痛めているが、どうすることも出来ない。(346頁)
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この市の無法状態の間、キャンパスはとても平和だった。「人々」は略奪や盗みにやってくる時間が無かったのだ。私達の衛兵が1月14日にいなくなり、再び来ることはなかった。長い間私達は、何事が起きるのでないかと心配していた。しかし私達で
はどうしようもない事態は起きなかった。兵士達がいたずら心でやってきたことが3回あったが、説得されて戻っていった。私のカレンダーに、高級士官から兵士までの17グループの訪問者の印がある。彼等の多くは、キャンパスとキャンプの見学のためだった。私達は常に、最初に難民達で占領されている1つか2つの建物を見せ、そして全く普通の状態にあって検査のために開放してある図書館管理棟へ案内する。彼等はそれらを見て常に喜び、私達は彼等に清潔な建物を見せることが嬉しかった。(347頁)
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「この期間」とは、この報告記事の表題にある1月14日~3月31日を指している。その間のキャンパスは平穏だったことがよくわかる。また、「人々」、即ち難民が略奪犯人だったこともこの文によって明らかになっている。日本兵による虐殺も強姦も無く、略奪の犯人さえ難民となれば、ベイツのメモや法廷に提出した証言の信憑性は全くなくなるものとなると言わざるを得ない。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
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