「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」の一節 その5◆戦争プロパガンダの視点に立って

2014.10.12.17:57

◆戦争プロパガンダの視点に立って

私の研究生活において、戦争プロパガンダという視点を加えて史料を読んだことなど、いまだかつてないことであった。しかし、今日、南京大虐殺の重要な根拠とされている『戦争とは何か』が中央宣伝部の製作した宣伝本であったと判明した以上、思い切って戦争プロパガンダの視点に立って、そこから史料を見なければ、南京事件の解明は先へ進まないように思えた。しかしながら、戦争プロパガンダの視点を加えるとなると、どうしても偏った見方になりかねない。それは、意識して自戒しなければならないことであった。そこで私がみずからに課したことは、ある一つの記録にたいして、まず中央宣伝部の極秘文書という一つの資料から光をあてる、そしてそこから見えてきたことを他の史料と付き合わせながら、あくまでも、こうとしか考えられない解釈だけを選択していく、ということであった。こうして極秘文書を座右に置いて、始めた検証作業であった。するとどうであろう。白と黒が同時に混在するという矛盾が(戦争プロパガンダの視点を加えることによって)消えていったのである。

たとえば、国際委員会委員としてのベイツ教授は、匿名では、日本軍が捕虜三万人と市民一万二千人を殺害したと批判していた。ところが、公の場では、そう批判したことは一度もなかった。また、中央宣伝部は「南京陥落一周年」と題して一九三八年(昭13)十二月十四日の『中央日報』〔中央宣伝部に隷属する国民党の機関誌〕に「二十万人」の虐殺を発表させていた。ところが、その中央宣伝部は、みずからの極秘文書においてはまったく南京大虐殺に触れていなかった。彼らがほぼ毎日のように開いていた記者会見でも南京大虐殺発生というニュースを発表したことはなかった。

このように、同一人物があるときは白と言い、あるときは黒と言っていたのだが、これまでの史料群に一線を引くことによって、それを分水嶺として白と黒が画然と分かれ始め、結局、一方が事実からかけ離れた戦争プロパガンダであることが判明したのである。また、戦争プロパガンダの視点を加えることによって、次のことも生じてきた。これまでばらばらに点在していた個々の疑問点が、徐々に相互に関連性を持ち始め、一本の線で繋がり始めたのである。

たとえば、(一)南京陥落後、市民殺害の目撃は一件もなく、処刑されたのは戦争捕虜(prisoners of war)にはなれない不法戦闘員であったにもかかわらず、アメリカの二人の新聞記者、ダーディンとスティールは、陥落後の三日間に市民と捕虜が殺されたという記事を書いていた。なぜなのか。それが最初の疑問であった。そして、(二)ベイツ教授はみずから書いた「レポート」をこの二人を含めた特派員に渡していたことが判明した。ここで、なぜベイツ教授はそうしたのかという次の疑問が出てきた。更に(三)ベイツ教授の「レポート」を検証してみると、これも事実からかけ離れていることが分かった。一般にレポートとは事実の報告なのだが、なぜ事実からかけ離れたレポートが用意されたのか。これもまた大きな謎であった。

ほかにもあるが、ともかくこのような三つの疑問がばらばらに点在していたのである。そこへ、極秘文書から光をあててみた。すると、中央宣伝部は極秘文書に(四)「各国新聞記者を使ってわが抗戦宣伝とする」とか「われわれが発表した宣伝文書を外国人記者が発信すれば、最も直接的な効果がある」と記していた。また、(五)お茶会や記者会見を頻繁に開いていた。(六)「記者団を招待する」とか、「記者の取材に協力する」という記録のなかに、ダーディン記者やスティール記者の名前が見えた。(七)中央宣伝部は陥落後の宣伝工作として「首都陥落後の敵の暴行を暴く」ことに重点を置いていた。

極秘文書とは別の資料から判明したこととして、(八)ダーディン記者は中央宣伝部の副部長董顕光と旧知の親密な間柄であった。(九)ベイツ教授は中華民国政府の「顧問」であった。(十)ベイツ教授が特派員に渡した「レポート」は『戦争とは何か』の第一章を構成していた。そして極秘文書から(十一)『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した宣伝本であることが判明した。

どうであろうか。中央宣伝部の戦争プロパガンダという視点から改めて見直してみると、最初の(一)(二)(三)の疑問は中央宣伝部の宣伝工作という一本の線で繋がってくる。それ以外に疑問や矛盾の解き方は見出せないのではないか。本書の第一章から第七章にわたって、以上の矛盾と疑問の解き方については縷々詳説してきた。

以上のように、戦争プロパガンダの視点に立って最終的に見えてきたことは、次のようになる。
まず初めに「対敵宣伝本」を作るという中央宣伝部の計画があった。そして、そのためにさまざまな工作が行われた。そうしてできあがったのが『戦争とは何か』であった。『戦争とは何か』は、中央宣伝部の宣伝工作の総決算であったから、それが目的達成の成果として極秘文書には報告された。したがって『戦争とは何か』は中央宣伝部が総力を挙げて取り組んだ、ないものをあるかのように見せかけた巧妙な拡大宣伝の精華であった。あれもこれも、すべては、『戦争とは何か』の作成という目的に向かって統べられていたのである。

『戦争とは何か』が製作されていなかったならば、あるいは二十一世紀になるまで六十年以上も宣伝本と見破られなかったほど巧妙に作られていなかったならば、今日の南京大虐殺はなかったと言っても過言ではない。敵に知られてはならない大切なことを秘録した、極秘文書という玉手箱が、その形成過程を明かしていたのである。

しかしここで読者は戸惑いを覚えるのではないか。本書の言うように、南京大虐殺が戦争プロパガンダであったのならば、それは戦争終結とともに消えていくべきであったのではないか。つまり、南京大虐殺を報じたアメリカの新聞記事や『戦争とは何か』も戦争プロパガンダとして消えていくべきだったのではないか。ところが、東京裁判は南京大虐殺を事実と決定したではないか。あの東京裁判の断罪はどう考えればよいのか、と。

たしかに、それは誰もが抱く疑問である。したがって、本書は東京裁判の判決についても検証しなければ不十分となる。そこで、東京裁判を改めて眺めてみた。そうすると、不可解としか言いようのないことが見えてきた。本書が追究してきた、中央宣伝部の戦争プロパガンダの延長線上にあったアメリカの新聞記事と『戦争とは何か』に焦点をあてて、その一端を示しておきたい。
スポンサーサイト

comment

Secret

プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
南知隊ブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
通州事件の真実
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR