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「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」の一節 その6◆東京裁判の根拠は「証人たちの述べるところ」であった

2014.10.12.18:01

◆東京裁判の根拠は「証人たちの述べるところ」であった

昭和二十年(一九四五)八月十五日、日本は「日本軍の無条件降伏」その他を条件として連合軍に降伏した。敗戦から四ヶ月にも満たない昭和二十年十二月八日、連合軍司令部は全国紙の全面二頁に「太平洋戦争史――真実なき軍国日本の崩潰――連合軍司令部提供」を掲載させた。

「南京における悪夢……日本軍は恐る可き残虐行為をやつてしまつた。近代史最大の虐殺事件として證人(しょうにん)達の述べる所によればこのとき実に二万人からの男女、子供達が殴殺(おうさつ)された事が確証されてゐる。四週間に亘(わた)つて南京は血の街と化し、切りきざまれた肉片が散乱してゐた」

ある事件が数年を経て右のような新聞報道にいたるには、通常、次のような流れが考えられる。
(一)南京陥落当時、南京大虐殺が知らされていた。
(二)それが調査されていた。
(三)検証の結果、それは事実と判明したので、世界各国は日本を非難していた。
(四)戦争が終わり、それが改めて俎上(そじょう)に載せられ、関係者が裁かれることになった。

たしかに、(一)はそうであった。陥落直後にアメリカの新聞が報じ、その後に出た『戦争とは何か』が南京大虐殺を知らせていた。(二)の調査は、公式にはなかったが、コーヴィル武官によって非公式にはなされていた。しかし(二)の結果としての(三)はなかった。中国やアメリカ政府をはじめとして、当時どこの国も日本軍の不法殺害、つまり南京大虐殺を事実と確認して、日本政府を非難したことはなかった。

それでは、何を根拠に、連合軍司令部は「二万人からの男女子供が殴殺された事が確証されている」と発表し、(四)のように、やがて東京裁判に持ち出すことになったのであろうか。一応ここで考えられることは、連合軍司令部が(一)のアメリカの新聞記事や『戦争とは何か』で南京大虐殺が知らされたことを思い起こし、(二)の調査が不十分だったので、戦後の四ヶ月間に国際調査団に検証をさせた結果、「二万人からの男女子供が殴殺された」という確実な証拠が得られたから、ということであろう。

ところが、そうではなかった。連合軍司令部の根拠は「證人達の述べる所」であった。では、その「證人達」とはいったい誰だったのか。陥落当時、南京に避難していた南京市民や欧米人だったのか。一一四頁で見たように、当時、南京市民が手袋やセーターを盗まれたと訴えた事例は、欧米人の手で「市民重大被害報告」として日本大使館に提出されていた。『戦争とは何か』の編者ティンパーリ記者でさえ「市民重大被害報告」について「日本軍南京占領の最初の二ヶ月間に報告された話を完全に取り揃えている」と述べているように、これが南京で起きた事件のすべてであった。ましてや殺人となると、目撃は一件もなかった。つまり当時、南京市民も欧米人も殺人を目撃したと言った人はいなかったのである。

それとも当時はそうであったが、戦後になってから新たに、南京市民や欧米人が訴えてきたのであろうか。一九四六年(昭21)二月付で東京裁判に提出された、南京地方裁判所付き検察官の「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」は、日本軍の虐殺行為を申告する者が「甚ダ少キ」と記している。南京の大残虐事件の聞き取り調査を受けた市民のなかには、「冬ノ蝉ノ如ク口ヲ噤ミテ語ラザル者」がいた。また、そんなものはなかったと「否認スル者」すらいたと報告していた。それとも南京在住の外国人に戦後、聞き取り調査がなされたのであろうか。しかしそれは分からない。
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