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「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」の一節 その7◆東京裁判に出廷すべき「証人たち」が出廷しなかった

2014.10.12.18:04

◆東京裁判に出廷すべき「証人たち」が出廷しなかった

そのような状況のなか、連合国はいったい誰を証人にして「二万の男女子供」が殺害されたという確証を得たのであろうか。連合国が南京大虐殺の「證人」として東京裁判に出廷させたのは、ベイツ教授、ウィルソン医師、マギー師であった。南京市民の中からは、許伝音、尚徳義、伍長徳、陳福宝、梁廷芳の各氏であった。

ここで読者は、おやっと思われないだろうか。連合国が「證人」として真っ先に立てるべきは次の五人ではないか、と。まず世界初の「南京大虐殺物語」を報じたスティール記者やダーディン記者である。連合国が彼らの新聞に目を通していなかったことはないであろう。次に三十万人虐殺を電報で打とうとした『戦争とは何か』の編者ティンパーリ記者と、そこに分担執筆したベイツ教授やフィッチ師であった。ところが、この五人のうち出廷したのはベイツ教授だけであった。

ダーディン記者、スティール記者、ティンパーリ記者、フィッチ師は、なぜ東京裁判に出廷しなかったのか。彼らにとって東京裁判は、当時の記事や報告を改めて国際的に認知させるうえで、またとないチャンスであった。彼らが当時書いたことは正当だったという自負があれば、歴史的な舞台で証言する好機到来と受け取られたはずだ。ところが彼らは出廷しなかった。

なぜなのか。まず考えられることは、彼らはみずからの記述を目撃証言として法廷で述べるだけの自信がなかった、つまりみずから虚報と認めていたのではないか。

二番目に考えられることは、彼らの記事や報告が中央宣伝部の宣伝戦上にあると露見することを恐れたからかもしれない。スティール記者、ダーディン記者は、アメリカの新聞に南京大虐殺の記事を書いた特派員として知られていたのだが、特にダーディン記者が中央宣伝部の董顕光副部長と旧友であったことは、知る人ぞ知るであった。フィッチ師は広東の呉鉄城省主席〔国民党香港支部主任委員〕たちとも交流があり、アメリカで南京大虐殺を講演して回っていることも日本側に察知されていた。彼の妻が蒋介石の妻の「親友」であったことも知られていたであろう。ティンパーリ記者は、同盟通信の松本重治上海支局長が回想しているように『戦争とは何か』の編者として知られていた。

こうみてくると、連合国はあたかも、当時南京大虐殺を知らしめた人、あるいは中央宣伝部と関わりがあった人を証人に喚問することを、あたかも避けていたかのようだ。しかし連合国としては、当時南京大虐殺を主張した人を出廷させることがどうしても必要であった。それは五人のうちでベイツ教授しかいなかった。ベイツ教授は蒋介石政府との関係を知られていなかった。べイツ教授は『戦争とは何か』の分担執筆者であったが、それが判明したのは最近になってのことである。匿名の執筆であったから、当時はまったく知られていなかった。
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