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南京安全区と南京安全区国際委員会

2014.10.12.22:50

南京安全区とは日本軍と中国国民党軍による南京戦に際し、南京市民や難民を保護するために南京城内の一画に設置された安全区(難民区)のことです。

南京戦に先立つ第二次上海事変(昭和12年(1937)8月13日~)にて、上海に住むフランス人宣教師・ジャッキーノ神父が南市の30万人余の中国人住民のため大規模な避難区域を計画して日中双方に了承を受け、南市避難民救助国際委員会を設置しました。
区域内に武器を携帯する者が在住しないことを宣誓し、日本側は区域内の非戦闘性が持続する限り攻撃しないことを約束し、上海市長の受諾を得て11月9日正午から正式に定められました。南京安全区は、この海南市難民区に倣い、南京大学の米国人教授たちにより提案されました。

南京安全区設立、そして運営の委員会が南京安全区国際委員会です。
委員会はアメリカ人宣教師を中心に、アメリカ人7人、イギリス人4人、ドイツ人4人の15名で構成されました。


「世界と日本」(59・4・5、413号)前田雄二氏(元日本プレスセンター専務理事)内外ニュース社発行
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「いわゆる“南京大虐殺”というのは、2、30万人という数は別にしても、主として住民婦女子を虐殺したものだ。ところが殺されなければならない住民婦女子は(全部)「難民区」内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあり、入城4日目には私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。

すなわち難民区内が私たちの生活圏で、すでに商店が店を開き、日常生活を回復していた。住民居住区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。こういう中で、万はおろか、千あるいは百をもって数えるほどの虐殺がおこなわれるなど、あり得るはずはなかった。

すなわち「捕虜の処刑・虐殺」はあったが、それは戦闘行為の枠内で論ぜられるべきものであって、非戦闘員の大量虐殺の事実はなかった。それがさも事実があったかのように伝えられ、教科書にまで記載されていることは、見過ごしていいことではない。なぜ歴史がゆがめられたのか。それは、戦後の東京裁判史観によるものだろう。」

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