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尾崎秀実と支那事変 ~ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫 より

2014.10.13.19:26

ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)(1)

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一九四一年一〇月一五日、大東亜戦争開戦の二ヶ月前、近衛内閣のブレーンとして活躍した尾崎秀実がスパイ容疑で逮捕された。ゾルゲ事件の発覚である。その前日の閣議で日米交渉について意見が対立、一六日に近衛内閣が総辞職している。 - 日本側の主犯尾崎秀実は近衛内閣の最高ブレーンとして、機密事項を把握しているのみならず、政策の決定に大きく関与した大物である。又主犯のリヒァルト・ゾルゲは同盟国のドイツ大使と極めて親しいドイツ人記者でありながら、真実の彼はコミンテルンのスパイだったのである。彼と尾崎は共に共産主義を信じ、コミンテルンに忠誠を尽くす同士だったのである。

ゾルゲ事件に関連し、情報提供者として検挙或いは事情聴取された人・疑惑を持たれた人の中には、近衛の秘書・西園寺公一、戦後も政治家として活躍した衆議院議員・犬養健、等の名が見られる。西園寺に至っては有罪判決を受けている。軍部では武藤章軍務局長、影佐軍務課長等、統制派の政策決定に大きな影響力を持っていた人が含まれる。

武藤章は一九三七年(昭和一二)盧溝橋事件に際して参謀本部作戦課長として対中国強硬政策を主張し、中支軍参謀長を経て一九三九年(昭和一四)に陸軍省軍務局長に就任、陸軍を代表し国策に大きく関与した。ゾルゲ事件の発覚により、一九四二年(昭和一七)に近衛(第二)師団長(スマトラ・メダン)に左遷された。更にA級戦犯として処刑されている。


尾崎は世界を理想的な共産主義社会にするため、ソ連への忠誠を誓い、スターリンの指示「日本を徹底的に蒋介石と戦わせよ、その戦いに米英を引きずり込むのだ。その荒れ果てた土地をごっそり共産陣営に頂くのだ」に従った。

産業革命の進行と共に貧富の差が拡大した。それに対し、カール・マルクスは、貧富の差の拡大は資本家が労働者を搾取するためだとする、共産主義を主張した。更に共産主義の最大の悪は、暴力革命・独裁政権の許容であった。 第一次世界大戦の末、ロシア革命により初の共産主義政権が樹立され、全世界に共産主義思想が広まった。日本でも二・二六事件の青年将校の主張は、天皇制護持、国体の尊重を除けば、農地解放、計画経済、クーデターの許容等瓜二つである。又高級官僚、ジャーナリズムの間でも農林省を中心にクーデターや暴力革命を否定するものの、共産主義に好感を示すものが多かった。これは後の企画院事件や戦後の社会党の顔ぶれを見れば分かる。そして彼らは貧困の打開策として大陸進出を主張した。

まさに尾崎の主張と一致したのである。彼らは尾崎の真意を知っていたとは思えない。しかし尾崎は彼らを煽り、利用し、近衛内閣やその他の内閣の政策決定に大きく影響を与えたのである。


尾崎は一九二五年(大正一四年)東京帝国大学卒業、一九二六年朝日新聞社入社、一九二七年(昭和二年)一一月より一九三二年二月まで支那勤務、一九三八年朝日新聞社を退社し、近衛内閣嘱託となった。その後近衛の最高政治幕僚として朝飯会、昭和研究会等で活躍した。彼は大学卒業時から共産主義にかぶれ、上海在勤中アグネス・スメドレーの紹介によりゾルゲと知り合った。一九三四年来日したゾルゲと旧交を復活し、その諜報団の一員となった。しかし日本共産党とは一線を画し、公安当局の目に入ることを防いだ。

第一次近衛内閣の書記官長に就任した風見章は朝日新聞の先輩である。尾崎が昭和研究会に参加した当時の支那問題研究部会の責任者は風見章であった。その縁で尾崎が此の部会に参加することになってから極めて親しくなり、風見が近衛内閣内閣書記官長就任により、同研究部会の責任者の地位を去ったので、尾崎が同研究部会の責任者に指名された。尚風見は戦後左派社会党の代議士となっている。

又、彼を近衛に紹介したのは西園寺公一と言われる。一九二六年アメリカ・カナダ出張の際船室を同じくしたことから親しくなり、後に毎日のように行き来する親友となった。西園寺は西園寺公望の孫であり、近衛の最も寵愛する秘書であった。戦後共産党の参議院議員となったが、親中派として共産党を除名され中国に住み着いた。尚、この事件で懲役一年六ヶ月、執行猶予二年の判決を受けている。

朝飯会とは近衛の政治幕僚会議であり、当初は月二回、後に毎週水曜の朝、会食しながら時事問題を討議した会で彼はその中心メンバーであった。昭和研究会は蝋山政道・佐々弘雄、平貞蔵、風見章等が中心メンバーであったが、多くの論客が集まり、全部で一二の部会があったが、彼は支那問題研究部会、東亜政治部会、民族部会の責任者となっている。


尾崎は第一次近衛内閣の総辞職と共に内閣嘱託から、満鉄調査部へ移籍するが、東京支社勤務として、日本の政策決定に引き続き大きな影響力を保持した。一九四二年二ー三月頃書かれた、尾崎の獄中手記には次のように書いている。(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由社二二三ページ要約)

「昭和一二年北支事件が発生したとき、これは必ず第二次世界大戦に発展する。第二次世界大戦の結果、敗戦国は第一次世界大戦の時と同様プロレタリヤ革命に移行する可能性が最も高く、戦勝国でも内部疲弊により社会革命勃発の可能性なしとは言えない。特にソ連が中立でおればその可能性が極めて高くなると考えていたが、残念ながら独ソ戦が始まった。しかしソ連は必ずドイツに勝つ。その結果ドイツが最も速やかに内部変革の影響を受けると予想する。植民地・半植民地が独立し、その幾つかは共産主義の方向に進む。以上の考えを日本に当てはめると、英米との前面衝突は夙に予想していた。その場合日本は枢軸側につくことは既定の事実であった。日本が進むべく道は中国のヘゲモニーを握った中国共産党とソ連の三者が連携し、更に東南アジア諸国を独立させ、これら諸国とも密接に連携していくべきである。」としている。そして「最後はソ連の力を借り、日本自体の社会主義化を達成する」との趣旨のことを書いている。


この文章を読むとき、ソ連に対する幻想を除き、大東亜戦争は彼の書いた筋書き通りに動いている事に驚く。
しかし尾崎の影響力が如何に強かったにせよ、彼は立案者に止まり、政策の決定者ではない。シナ事変の開戦から大東亜戦争の開戦まで、幾つかの節目となった事件がある。これらの事件の真相について考察する。

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