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日独伊三国防共協定~ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫 より

2014.10.13.19:37

ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)(2)
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日独伊三国防共協定の成立
発端は一九三五年一〇月リッペントロップ外交部長が大使館付き武官・大島浩少将に対ソ防御同盟を私的に提案したことに始まった。

当時のドイツは、一九三四年よりヒトラーが次第に独裁体制を固めつつあり、八月ヒンデンブルグ大統領が死に、人民投票で九〇%の支持を得、完全に独裁体制を確立した。一九三六年三月ベルサイユ条約の軍縮条項を破棄し、軍拡が始まった。国際的な孤立を恐れるドイツが日本と手を組もうとの思惑であった。

大島浩少将はこれに賛成し、陸軍部内を固め、三六年四月外務省の所管となった。同月中華大使から外務大臣になった有田八郎はこの協定に乗り気であり、駐独大使武者小路公共に命じ、一一月調印に持ち込んだ。日独防共協定である。首相は広田弘毅であった。

尚この協定の中身はゾルゲに完全に盗まれていた。(『海外交渉史の視点3』)

翌三七年七月シナ事変の勃発に伴う国際関係の悪化に対処するため、堀田正昭駐伊大使を介し、対英牽制を目標とする日伊協定を始めたところ、駐英ドイツ大使リッペントロップが日独伊三国間の防衛協定とするよう強く主張し、日独伊三国防共協定の成立に至った。大島浩は駐独武官として日本側の中心的な役割を果たした。

尚駐独大使・東郷茂徳は反対であったが、陸軍に押し切られた。外務大臣は広田弘毅。

まさに尾崎が描いた、日独伊枢軸と英米仏の対立の第一歩であった。
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