開戦、敗戦の責任者?~ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫 より

2014.10.14.06:39

ゾルゲ事件と大東亜戦争 杉本幹夫(自由主義史観研究会理事) (7)

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そもそも当初計画は真珠湾攻撃は入っていなかった。
これを変更させ、真珠湾攻撃を行わせたのは山本五十六連合艦隊司令長官であった。
この真珠湾攻撃は大成功とされ、一気に山本元帥は英雄となった。

しかし戦後、この結果アメリカ世論は激高し、戦略的にマイナスであったとの意見も多く出ている。
しかし数ヶ月対日反攻が遅れたことも間違いないと思う。どちらが良かったかは私には分からない。
しかし真珠湾攻撃後、海軍は直ちにとって返し、インド洋に進出すべきであった。

事実海軍はアンダマン諸島を占領し、セイロン島コロンボに停泊していたイギリス艦隊を攻撃している。
四月にはほぼインド洋の制海権を奪った。
当初方針通り、ドイツ軍と連携し、インド、スエズにいたイギリス軍に攻撃を集中すれば、イギリスの降伏も夢ではない。そうすればアメリカとの講和の可能性もあったかもしれない。
しかし山本はまたも、永野修身軍令部総長の意向に逆らい、アメリカ・オーストラリアの分断作戦として、ガダルカナルに進出し、インド洋から海軍を引き揚げた。
この結果インド洋の制海権を失い、ドイツ軍は敗退した。一方、この南太平洋戦線にかり出された将兵は敵との戦いではなく、飢えとの戦いとなったのである。この戦いでは五〇万人近くの死没しているが、その大半は餓死であった。これほど大きな作戦の失敗はない。

このような作戦の変更については統帥権の問題であるとして、東条首相も全く関与でなかった。又陸軍と海軍の統帥権は独立しており、全くバラバラであった。更に軍令部の方針と連合艦隊の方針も食い違った。
東条は陸軍大臣、参謀総長を兼務し、独裁者として非難されるが、このような実情から、四四年二月参謀総長を兼務したのである。

海軍の第二の罪は嘘の報道を次々と流したことである。海軍の報道を信ずれば、アメリカ海軍はとっくに壊滅していた筈である。
海軍の戦果の報道により、陸軍は戦術を間違えた。
一例として後期のフィリピン戦をあげる。この戦いでは、陸軍はルソン島に立てこもって米軍を迎え撃つ予定であった。
所が海軍の台湾沖海戦の大戦果により、レイテ島で迎撃することに作戦変更し、かなりの部隊をレイテ島に転進させた。所がアメリカ海軍は殆ど無傷だったのである。猛烈な艦砲射撃により、転進した部隊は壊滅させられたのである。
このような事例はここのみでなく、多数あるのである。

第三の罪は海軍は戦っていない。戦艦大和は第一線から引きこもったままであった。何故コレヒドール要塞の攻撃に参戦しなかったのか。艦砲射撃で参戦し、もっと早くフィリピンを陥落させ、蘭印の解放、インド洋の封鎖に廻るべきではなかったかと考える。

第四はレーダー技術の遅れである。シンガポールでイギリス海軍の艦船を捕獲したとき、レーダー技術に驚いた。その目となるアンテナの理論的根拠が全く分からない。図面からYAGIアンテナであることが分かったが、YAGIの意味が分からない。必死に論文を探したところ八木博士の発明した物であったとのことである。このレーダーの技術の差は夜や霧の中では目明きと盲の戦いである。
 
おまけに後期フィリピン戦で、陸軍が主張するマニラの不戦都市宣言を拒否し、徹底抗戦を押し通した。この結果一般市民に大変な犠牲者を出し、おまけに虐殺事件として国際的に非難する原因を作った。この事は開戦初期のマッカーサーの行動との比較で、大変残念な事であった。

天皇陛下の責任
この大戦で天皇陛下の戦争責任は問われていないが、敗戦まで一貫して詳細な報告を受け、重要な方針は御前会議で決定された。陛下は二・二六事件の時とボツダム宣言の受諾時以外、明確な指示は出されなかったとの事であるが、日本人の常識として、判をついた人の責任は免れない。
 
陛下が訴追を免れたのは、ボツダム宣言受諾の条件を連合国が守ったためである。
ボツダム宣言の受諾は一般に無条件降伏だと思われているが、日本は八月九日、「国体の護持」を条件に受諾を決定し、十日に連合国に伝達した。翌日返答したアメリカ合衆国は、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」「降伏の時より、天皇および日本政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従属する」と宣言の内容を繰り返してきた。国体がどうなるか曖昧なまま、一四日の御前会議であらためて宣言受諾を決定した。

連合国は天皇の詔勅一本で、あれだけ激しい抵抗をしていた日本軍が、ピシッと戦闘を停止し、整然と武器を引き渡したことに驚いた。
進駐してきて、天皇に対する非難が一つも聞こえず、会見した天皇の人柄にもマッカーサーは敬服した。
天皇を訴追する事の損得を考えれば、結論は明白である。まさに「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定された」のである。
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開戦・敗戦の責任者は誰か
やはり第一の責任者は、第三次近衛内閣を崩壊に追い込み、開戦の決断をした東条首相である。
それと共に四一年から開戦まで陸軍軍務局長として、陸軍強硬路線を引っ張った武藤章である。
次いでシナ事変から四一年一〇月まで大半の時期首相として政界をリードした近衛文麿である。

特に彼は尾崎がソ連のスパイであることに気づかず、重用した責任は大きい。
 
又国際連盟の脱退、日独伊三国同盟を主導した松岡洋右が此に次ぐが、彼は職を賭して南進に反対した。彼の主張通り、あの時点でソ連に開戦したらどのようになっただろうか。彼はアメリカとソ連は不仲であるから、参戦しなかっただろうと読んでいた。日本が参戦すれば、モスクワは陥落し、ソ連が崩壊した可能性もある。するとドイツは対英戦争に集中でき、米国参戦の前に勝利した可能性も出てきたかも知れない。

しかし敗戦責任の点では、総理大臣・陸軍大臣と言えども作戦上のことには関与できず、参謀本部総長・軍司令部総長の専管事項であった。
特に海軍は米国が急激に軍拡をを行っていることから、早期開戦を強く主張していた。杉山参謀総長・永野軍令部総長の責任である。
又敗戦の責任としては、陸軍より海軍にある。陸海軍合同で、御前会議まで開いて決めた作戦計画をねじ曲げた山本五十六、面子のために嘘の報道を流し続け、陸軍の作戦まで狂わせた海軍の罪は東条首相に匹敵する。
組織上の問題として、陸軍と海軍の意思の統一が出来ず、統制部の独立は陸軍大臣、海軍大臣も作戦計画に関与できず、連合艦隊と軍令部の作戦の相違、参謀本部の机上プランと現場指揮官との対立等、反省材料は多い。

終わり

尚、 A級戦犯として死刑になった木村平太郎は四一年一〇月、開戦を必至とした時の陸軍次官としての責任を問われた。
板垣征四郎と土肥原賢二は満州事変、シナ事変の責任を問われ、松井石根は南京事件の責任を問われた者である

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