書籍「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド(上)【訳者まえがき】&一節

2014.10.16.21:51

【訳者まえがき】
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大東亜戦争は絶対的に勝てるはずの無い無謀な戦争であった、と思い込んでいる人が多い。確かに、昭和十九年後半以降の圧倒的な負け戦を見せつけられ、そして日米生産力、軍事技術力、戦力の差というものを見せられると、そう思い込むのも無理のないことではある。

しかしながら、例えば日米戦力の差といったものも、開戦時で見ると日本の方がかなり優位にあったのが事実である。また、「戦力は根拠地から戦場への距離の二乗に反比例する」というよく知られた戦いの原則からすると、たとえアメリカが日本の十倍の戦力を持っていたと仮定しても、戦場の選び方によっては、たとえば決戦場をアメリカから四、日本から一の距離にあるところに選ぶとするとどうなるか。アメリカは十の戦力が四の二乗=十六分の一、すなわち○・六二五となり、日本の一分の一=一の六割となって、日本は圧倒的に優位な戦力と化すのである。

そもそも大東亜戦争に対する日本の基本戦略は、東南アジアの資源地帯から米英蘭勢力を駆逐した後は、対米、すなわち太平洋は防御、攻勢の主方向は、インド洋と中国であった。開戦直前の昭和十六年十一月十五日の大本営政府連絡会議で採択された「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」にはこのことが明記されている。この基本戦略通りに戦ったならば、日本が負けることにはなりえなかったと思われる。何もワシントンに日章旗を立てる、などという勝利の話ではない。「腹案」はそのような愚かなことはこれっぽっちも考えていない。英を脱落させ、中を脱落させ、米をして戦争継続の意欲を喪失せしめる、という極めてまともな勝利を目指しているのである。

そして、こうしたことを私なりに研究していたところ、弁護士の高池勝彦氏から本書『Japanese Military Strategy In The Pasific War』の紹介を受けた。

私は、インド洋作戦こそが、第二段階作戦の中心であり、それによって英本国への豪・印からの原料・食料などの補給遮断、スエズ英軍への米からの武器補緒遮断、カルカッターアッサムから重慶への米の軍事補給(最後の補給路一の遮断、さらには対ソ米軍事援助の中心補給路(七割以上を占めていた)の遮断、などの莫大な効果をあげることができる、と結論付けていた。この場合、対米作戦は前方決戦を避け、防御に徹していれば、少なくとも昭和十八年後半までは、十分反撃できる、と考えていたのであるが、本書はまさに、それをきわめて本格的な分析によって証明してくれている。

本書はインド洋作戦のことには全く触れずに、ひたすら太平洋において日本軍がとるべきであった戦略とその効果について論じているが、その基本的な考え方はほぼ全面的に賛成できる、極めて説得力に富むものである。開戦についていうと、世界情勢もわきまえず自己の能力を過大評価した非合理的な決断であった、という世の常識化している考えを根本的に否定している。追い込まれた状況下で、考え抜かれたベストのタイミングでの開戦であったとしている。

大東亜戦争を見直すための非常に貴重な書籍であると考えて日本語訳に取り組んだのである。 幸い、WAC社のご理解を得て出版できる事になった。 優れた分析力に富む本書であるが、英文資料の偏りなどのために、 これはどうかと思われるような箇所もかなり無くはない。 これは著者の責任ではないが、読者のために、必要と思われるところについては、 <訳者注>でこのことを指摘し、説明した。なお、あの戦争は「大東亜戦争」と呼ぶのが日本にとっては正しいことは言うまでも無い。 しかし、著者はアメリカ人であり、また取り上げている分野はまさしく、 太平洋における戦いであるので、「太平洋戦争」という言葉を本書ではそのまま使用した次第である。 大東亜戦争の見直しに少しでも本書が役立ってくれることを願うものである。 最後になるが、いろいろとご指導をいただいた、高井三郎氏、中山隆志氏、 また訳を手伝っていただいた石黒則子さんに心から感謝申し上げる。

平成二十一年十月五日 茂木 弘道

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p37~38
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この戦争計画は重要な二点で、従来の伝統的作戦ーマレー半島とフィリピンにおいて、連合国軍に完勝し、同時に西太平洋においてアメリカ太平洋艦隊を大日本帝国艦隊で迎え撃つべく待機するーから逸脱してしまうことになった。最初の大きな逸脱は、その構想が過去に類を見ない規模で、帝国本土の外へ拡大し、それらの地域を統合、支配することを目的としていたからである。作戦の一番の目的は、南方の資源豊富な地域と住民を迅速に獲得し、ビルマーマレー半島-蘭印-北西ニューギニアー委任統治諸島-日本列島本土-千島列島と延びる防衛圏を形成することであった。

提案された作戦は、水陸にまたがる性格のものであり、陸海軍の緊密な協力体制と、軍事目的のために、日本の商船の総トン数の半分に相当する商船を臨時的に徴用することが必要になった。地上および空母を基地とする航空機によって制空権を獲得、維持していくこともまた、この作戦計画には欠かせなった。これらの作戦に着手するために、陸軍は一時的にソ連との戦争計画を棚上げにしなければならず、辛うじて十一個師団と航空部隊の半分、その他支援部隊を南方作戦に投入した。したがって、構想の初期の段階から、海軍はその全軍と海軍航空部隊の全戦力を、南方進攻と、最終決戦でアメリカ艦隊の西方進攻を阻止するための準備の双方に注ぐことを余儀なくされた。

その時点において、伝統的戦略からの二つ目の離脱が起きた。一九四一年一月という早い時期に、連合艦隊司令長官・山本五十六大将は、真珠湾においてアメリカ艦隊に奇襲攻撃を仕掛ける考えを持ち始めていた。これは、伝統的戦法からも、当時の海軍の計画からも全くかけ離れたものだった。真珠湾のアメリカ戦艦と空母に甚大な被害を与えれば、当然日本軍の東方進攻に対する東側からの脅威を取り除くことができ、新たに制圧した地域を掌握するのに要する時間を稼ぐことができる。

しかし、このような作戦の欠点は明らかであった。主要な水陸両用作戦である南方攻撃に必要な海軍の戦力を分断し、主要空母を不必要な危険にさらすことは、もし失敗すれば、開戦の初っ端から日本軍の防衛力を大きく損なうことになる。真珠湾攻撃は海軍軍令部が猛反対したにもかかわらず、最後には、山本提督が作戦前夜に連合艦隊司令長官辞任の意向をちらつかせることによ-って自説を押し通した。


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初期の勝利に酔い、絶好の機会を逃した
終戦後、拘置所内での面接聴取で、かつて陸軍大臣と首相を務めた東條英機は、日本の敗北の主要原因として次の三つの要因を挙げている。

1.日本軍戦力の中枢部分を迂回しながら進攻したアメリカ海軍の蛙飛び戦略
2.米軍太平洋艦隊高速空母部隊の広範囲にわたる作戦行動
3.米軍潜水艦による通商破壊

東條の分析は、日本の敗北を明白に太平洋での敗北と位置づけている。彼の説明は日本の軍事的失敗の核心をついている。つまり、大日本帝国の陸海軍が連携し、効果的な防衛行動をしたことは一度もなかったということである。一九四二年以降、米軍が水陸両用進攻作戦、空母艦隊、潜水艦によって日本の防衡線と補給路を貫通し、混乱させ、破壊していくのを日本軍は阻止することができなかった。

しかし、開戦の決断、戦う相手の選択、そして初期の戦争戦略もまた、日本の究極の完全なる敗北に寄与していた。特に、開戦後最初の二年問が、絶好の機会を逃した最たるものである。明らかに、日本がもっと首尾よく太平洋戦争を戦うとしたら、間における異なった資源の軍事的活用と指揮指導が必要であった。


(略)

この最初の二年日本の最高指導者たちは、確かに、当初の数々の成功の後、日本が直面していた主要な戦略的課題は、いかに帝国防衛圏を構築し、長期戦に備えて組織化することであることを一般的には認識していた。一九四二年三月、東條首相と参謀総長と軍令部総長は、天皇に「今後取るべき戦争指導の大綱」を上奏した。最初の二項で次のように述べている。

1.英を屈服し、米の戦意を喪失せしむるために、引き続き既得の戦果を拡充して、長期不敗の政戦態勢を整えつつ機を見て積極的の方策を講ず。

2.占領地域および主要交通路を確保して、国防最重要資源の開発利用を促進し、自給自足の態勢の確立及び国家戦力の増強に努む。

添付の報告書の中で、次のように説明している。短期間で米国と英国を屈服せしむることは、至難であることは勿論、妥協によってこの戦争を終わらせることもできないであろう。

長期戦を戦い抜くことができる政治的戦略的体制を構築するために、常時国防弾撥力を保有し、国家戦力を充実して情勢の推移に応じて、随時所要の方策を講じ得如くすることが極めて必要である。
もし、戦争遂行途上、国防弾擦力を喪失し国家が立ち直る力さえなくした場合、たとえ一時の戦果は得てもその結果は却って九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠くにいたるだろう。


(略)

フィリピンからだと、敵は南方資源供給地域を日本から遮断できるし、中国沿岸部、台湾、そして琉球列島に対して、航空攻撃をしかけ、さらには侵略することもできる。フィリピンを保持している限り、南方に拓ける日本の戦略的立場は安全であった。中部太平洋においては、マリアナ諸島が日本の最後の砦だった。日本本土を超長距離爆撃機の行動半径内に捉えることができるマリアナ諾島は、日本の都市や工業地帯に対して、連合軍が真に大規模かつ効果的な戦略爆撃作戦を敢行できる唯一の拠点であった。日本がマリアナ諸島を保持している限り、米軍が長距離爆撃機による空襲で日本本土を破壊することは不可能だったであろう。

一九四二年半ぱ、日本に戦勝をもたらし得る戦略
一九四二年半ばにおいて解決すべき問題は、非常に長く延びた交通線の先端で優勢な敵をいかに撃退するかではなく、むしろ敵が外郭防衛圏上の塞ぎようのない隙間をついて侵入してきた時に、それ以上の敵の前進を食い止め、そこで敵を包囲して撃退することができるようにいかに帝国の内縁防衛体制を構築するかだった。日本にとってより成功が確実で、戦勝をもたらし得る戦略はおそらく次のようなものであっただろう。

1・「勝利病」を退ける
2・効果的な縦深にわたる国家防衛圏を構築する
3・日本商船を護衛する
4・敵の戦略的爆撃を阻止する
5・敵の補給路へ潜水艦攻撃を続ける
6・敵に制空権を握らせない
7.温存艦隊(fleet in being)を保持する
8・敵にもっと沖縄型戦闘を強いる
9・米軍の出撃計画を中断させ、遅らせる
10・太平洋戦争の大終局を一九四六年~一九四七年まで引き延ばす

以上の目標は、すべて相互に関連した自力強化的な因果関係の連鎖の中で相互関連している。これらの目標の大半において部分的にでも成功していたならば、巡り巡って最後には連合軍の戦略を打ち砕き、その攻撃を不発に終わらせ、結果的に太平洋戦争の様相を変えていたかもしれない。

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