告発本を書いたティンパーリーは何と国民党の広報活動員だった 北村稔(中)理解する国際友人を捜して我々の代弁者に

2014.11.02.08:21

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理解する国際友人を捜して我々の代弁者に

結論から言えば、「南京事件」を確定させた根幹、中国側が大虐殺の動かぬ証拠だとするティンパーリーのこの書は、第三者による中立的立場からの著作ではない。国民党の戦時外交戦略として、日本軍の非道ぶりを世界に訴えるために執筆されたものなのである。

これまでの「南京事件」研究では、『WHAT WAR MEANS』の中身については議論が戦わされてきたものの、彼自身の素性についてはほとんど考察されないできた。「オーストラリア国籍を持つ、マンチェスター・ガーディアン特派員」という共通認識はあるが、彼がどういう経緯でこの本を書いたのかという動機は本の「前言」に記された「日本軍の中国人市民に対する暴行を伝える電報が、上海電報局の日本人検閲官に差し止められたから」という理由が信じられてきていた。


その隠された素性を調べるために、私が最初に注目したのは、原著の赤色のハードカバーに刻まれていた「LEFT B00
K CLUB」という表記だった。「LEFT BOOK CLUB」とは1936年にイギリスで成立した左翼知識人の団体で、背景にはイギリス共産党やコミンテルンの存在がある。この事実から「ティンパーリーは一介の新聞記者ではなく、何らかの背後関係を持っている人物ではないか」と推測し、イギリスを中心に当時の人名録などにあたってみると、中国社会科学出版社から発行されている『近代来華外国人名辞典」の中に彼の名前があった。「第1次大戦後来華、ロイター社駐北京記者、後マンチェスター・ガーディアン及びUP駐北京記者。1937年盧溝橋事件後、国民党政府により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」とそこにはある。つまり、同書によれば、ティンパーリーは国民党の宣伝活動に従事する「広報活動員」だったということになる。


この事実を裏付けるために、次に私は当時の国民政府の対外宣伝工作の実態を中国側の資料から読み解くことにした。ティンパーリーが中央宣伝部顧問まで務めた人物であれば、必ず当時の資料のどこかに彼に関する記述があるはずだと考えたのだ。これを知るための資料として、中国から重慶抗戦叢書編纂委員会編『抗戦時期重慶的対外交往』が、台湾からは王凌霄『中国国民党新聞政策之研究』という2つの研究書が発行されていることを突き止め、それにより日中戦争当時の国民党の対外宣伝の実態が明らかになった。そして、王凌霄の書の中には、国民党中央宣伝部で国際宣伝処長を務めた曾虚白の自伝が引用されていた。

この曾虚白の自伝は1988年に台湾で出版されており、早速台湾の友人からこの書を手に入れ紐解いて見ると、そこにはティンパーリーやスマイス(当時、南京の金陵大学教授だったアメリカ人。南京市内の死者数に関する「スマイス報告」を記した。東京裁判でも証言者として出廷)と国民党国際宣伝処との関係が明確に記されていたのだ。「我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷し発行することを決定した」
 
つまり、虐殺が行なわれた証拠とされた『WHAT WARMEANS』も、大量の死体が存在した証拠とされた「スマイス報告」も、国民党の外交戦略に基づいて故意に歪められた情報であり、裁判において「大虐殺」行為を立証するに足るものではなかったのだ。
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