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渡部昇一「私と昭和史」南京の真実編

2010.11.28.21:39

 “戦前の日本は暗かったと決めつけるのは大間違い。南京から帰国した兵隊の様子、真珠湾攻撃時の心情など、体験を交えて昭和史の真実を語る!”

(前略)
 私の家が大金持ちだったり、貴族階級や華族だったり資本家だったりしたなら「戦前の日本はよかった」などと言うと、「そりゃお前のウチはよかっただろう」と信用できないかもしれませんが、私の家は貧乏でした。そして、私の周囲も貧乏人が多かったのですが、みんな「日本はいい国だ」と思いながら育ったと思います。
 私の通った小学校は市立の小学校でしたが、どう見てもリベラルな教えをしていました。いい意味でリベラルです。
 それでも私は、「日本人だ」「日本に生まれた」と思うだけで、胸の中が広がるような思いで育っていたのです。
 私はこのような戦前の日本文化を知っています。ですから、戦前が暗黒時代だったと言われても、それはないだろうと思うんです。決して暗くもなんともありません。どこか探せば暗いところもあったでしょうが、それは現在の日本でもアメリカでも中国でも同じでしょう。
 戦前が軍国主義だったと言う人もいます。
 私が小学校に入った頃、シナ事変が起こりました。
 私の家の近所に石川さんという人がいて、この人は上等兵でした。石川さんはシナ事変で出兵して、一、二年で帰ってきています。
 シナ事変は最初の頃は、出兵しても二、三年で日本へ帰したのです。その後、どんどん戦線が拡大し、アメリカと戦争をはじめて全然帰れなくなった。

陸軍は戦争に反対した

 「南京大虐殺」と言われるものがあります。当時は、たくさんシナから帰ってきている兵隊さんがいるわけです。私の同級生で若松さんという女の子がいて(小学校三年生までは男女共学でした)、彼女のお父さんは将校でしたが、この人がシナ事変でシナの軍旗を奪取してきたというので、学校で見せてもらったりしました。シナに出征した軍人は、帰ってきたのです。しかし、「南京大虐殺」があったような話を聞いたことがない。
 南京が陥ちたという時は、皆、大喜びしました。『南京陥落の歌』というのがありますが、「南京ついに陥落す/万歳の声どよもして/とどろけ凱歌/日の丸の/旗うちふりていざ祝え/わが一億の同胞(はらから)よ」という歌です。
 皆、旗振り、提灯行列です。なぜあんなに喜んだかというと、「これで戦争が終わりだ」と思ったからなんです。
 後から調べてみると、日本は戦争をしたくなかった。シナ事変も日本が始めたようなことを言う人もいますが、日本を裁くために始めた東京裁判でさえ、日本があの戦争を始めたということは立証できないと、途中で打ち切っているのです。東京裁判さえ、シナ事変は日本が始めたとは言えなかった。
 日本にとってはソ連が問題であって、シナなどにつき合っている暇はありませんでした。

(中略)

【南京大虐殺の嘘】
 私は昭和十八年に旧制中学に入りましたが、その前年、まだ小学校六年生の時、近所の高等小学校二年生の太田和男くんという男の子が、「日本の航空母艦は加賀も赤城も全部、沈んでいるんだってさ」と言ったんです。これには私はびっくりして、非常に不愉快だったことを覚えています。昭和十七年ですから、まだ周りは「勝った、勝った」と言っている時です。
 後から考えると、ミッドウェーの敗戦です。あれは海軍当局が完全に隠していたはずですが、ちゃんと情報が漏れていた。私の住んでいる辺りは、トップレベルの極秘情報が漏れてくるような場所じゃないにもかかわらずです。
 ここでおかしいと思うのが「南京大虐殺」です。先に述べたように、シナ事変に出征した人たちは、私の周りだけでも何人も帰ってきています。しかし、誰一人として南京での大虐殺の話などしていません。これはおかしいですよね。
 ミッドウェーの敗戦で航空母艦が沈んだことは海軍は徹底的に隠して、あの時、負傷した人たちは病院から出さなかった。それでも、情報は漏れてきたんです。しかし、南京で大虐殺があったなどとは、誰も話していませんでした。
 田中正明という東京裁判で南京虐殺の罪で死刑になった松井石根(いわね)大将の秘書をやっていた方がいます。この方が、戦後出された本『“南京虐殺”の虚構 松井大将の日記をめぐって』(日本教文社)の中に、南京の虐殺などなかったと書かれてありました。それを読んで、やはりなかったのか、それならわかると思ったものです。
 当時、南京が陥ちたのは昭和十二年で、日本は景気は悪くないし、物も不足していませんから新聞も雑誌もすごく厚い。そこには、南京が陥ちた話から戦争の話から詳しいことがたくさん出ています。南京には日本の新聞記者その他、百人もの報道関係者が行っていますが、誰一人、虐殺などについて報じていません。
 それが戦後、東京裁判で突如、南京虐殺の話が出てきた。東京裁判については進駐軍の報道規制によって絶対に批判できないため、あらゆるマスコミがその通り伝えました。そして、一般の人は、そんなことをやっていたのか、と思ったものです。
 それが田中正明さんの本を読むと、なかったと書いてある。私は、子どもながらに、南京が陥ちた頃の雑誌をたくさん持っていました。当時、南京や上海には日本人が自由に行き来できていましたから、写真もたくさん載っている。これはやはり、なかったのだろうと思っていました。

大虐殺はないと確信した

 そのうち、『「南京大虐殺』のまぼろし』(鈴木明著、二○○六年ワック出版より復刊)という本も出て、真実を知りたくなった私は雄松堂から出た『極東国際軍事裁判速記録』を買いました。全十巻の百科事典のようなもので、本当は私はそんな物を買う義理はないのですが(笑)、とにかく買いました。
 そして南京に関する部分を丁寧に見て、「大虐殺などない」という確信を得ました。

 というのは、マギーという牧師さんが証言しています。この人は、イェール大学を出て南京にずっと住んでいた人です。南京では日本が攻め入る時に、外国人たちが安全地区というものを造り、そこに一般の民衆も逃げ込ませていた。
 マギー牧師は南京の赤十字の責任者でアメリカ人です。ですから、日本軍が入城してからも、南京のどこでも歩き回れる人です。この人が証言台に立った。
 はじめのうちは、「あそこでたくさん殺されたそうです」「ここでたくさん殺されたそうです」と言っていた。そのうち、アメリカ人の弁護士が、「それは伝聞証拠である。あなた自身は何人見られましたか」と反対尋問をしたのです。
 するとさすがに牧師さんだけあって、聖書に手を置いたりしているのでしょう、嘘は言わなかった。「一人です」と言ったのです。「どういう状況でしたか」とさらに弁護士が聞くと、「安全地区の境に日本の歩哨が立っていた所を、一人の中国人の青年が駆け抜けようとした。歩哨が“止まれ”と言ったが止まらなかった。そして追いかけていって撃ち殺した」と証言したのです。彼はこれしか見ていないのです。
 戦場で歩哨に「止まれ」と言われて止まらないで逃げたら、どんな兵隊だって撃たれます。ニューヨークに行って、警官に止まれと言われて止まらなかったら、今でも撃たれるんじゃないですか。
 強姦についてはというとマギー牧師は、「ある空き家に行ったら、中国の女性と日本の兵隊がいた。私が行ったら、日本の兵隊はびっくりして銃剣を忘れて逃げて行った。私はその銃剣を拾って追いかけました」と証言しました。このたった一件です。
 強姦する前なのか後なのか、単に話し合っていただけなのかすらわからない証言です。しかも、銃剣を置き忘れるなどということは兵隊にとっては大変なことです。それだけ、「やるな」ということを上から厳しく言われていたのでしょう。
 日本軍の略奪について聞かれたマギー牧師は、「空き家から日本兵が氷を入れる箱をかついで出るのを見ました」とこれだけを言ったのです。
 南京を自由に歩ける立場にあって、日本兵も外国人には手出ししないよう厳しく言われていましたから身の危険もない、そして赤十字の責任者で牧師です。その人が見たのが、この三件なのです。大虐殺などあろうはずがない。

オープン・シティの問題

 その後、調べてみると、日本軍は南京入場の前にオープン・シティを勧告しているのです。抵抗するな、門を開けと、犠牲を最小限に押さえるためにオープン・シティを勧告している。抵抗すると街が戦場になるからです。それをシナ軍が無視したことに問題があります。
 オープン・シティというのは非常に重要で、日露戦争でも奉天大会戦などと言いますが、奉天で戦争をしているわけじゃありません。昔の軍隊は礼儀正しいですから、ロシアだって奉天の中で市街戦をやるという発想はない。すぐ奉天から逃げていくんです。
 旅順にしても旅順の要塞戦はありましたが、旅順の街中では戦っていません。ステッセルがオープン・シティしたからです。
 この前の戦争でもドイツ軍が入った時、パリはオープン・シティしました。だからパリは傷つきませんでした。その後、連合軍が攻め入った時、ドイツ軍の司令官はパリをオープン・シティしました。パリは二度、助かったのです。ただ、ヒトラーは野蛮人ですから、パリなんて焼いてしまえと言いましたが、ドイツ軍の司令官の方が教養があってパリは助かりました。
 オープン・シティしなかった例はベルリンです。戦場になって徹底的に破壊されました。街の中を戦場にしてはいけないのです。戦争するなら野原でやってくれ、ということです(笑)。
 北京はオープン・シティにしました。ですから、「北京大虐殺」などという話はない。保定というのは重要な街ですが、これもオープン・シティした。武漢三鎮もオープン・シティしました。
 だから南京もオープン・シティするべきだったんです。蒋介石は日本の陸軍の教育を受けていますから、するつもりでした。
 南京の外には中山陵があります。ここに孫文の記念碑があります。その記念碑のある丘に大砲をすえて撃つと、日本軍としては非常に都合がいいのですが、松井大将と孫文は非常に親しかったので、松井大将はそれを禁止しました。それくらい、日本兵は相手に対して気を遣っていました。

「南京学」の功績

 一方、激戦が始まると敵の司令官である唐生智は、兵隊を放ったらかして逃げました。残された兵は、敗残兵です。世の中で虎が怖い、狼が怖いと言ったところで、何より怖いのはシナの敗残兵だと昔から決まっているんです(笑)。何だってやります。
 南京にとどまっていたアメリカ大使館の書記官が、シナの敗残兵は一般の市民を殺して服をはぎとって、安全地帯に逃げた例もあると書いています。それらが、すべて日本兵の仕業にされているのです。
 敗残兵になると降参が簡単にできません。ハーグ陸戦法規において、捕虜になる条件として重要な三つのものがあります。団体が降参する時は責任者がいなければならない、武器は必ず見えるように持たなければならない、必ず軍服を着ていなくてはならない。少なくともこの三つの条件を満たしていなくては捕虜になる資格はないのです。
 ところが敗残兵はそんなこと知ったことではありません。だから日本軍は、敗残兵掃討、残敵掃討を行うわけです。
 安全地区には絶対に武器を持った兵隊を入れないということになっていましたが、そこでは鉄砲とか大砲が見つかっています。ですから日本軍も大変で、いちいち探さなければならない。そんな時に間違って殺されてしまった市民もいるでしょう。しかし、それは決して大虐殺ではありません。
 捕虜も四千人くらいずつまとめておきました。しかし日本軍で捕虜を監督しているのは百人くらいです。捕虜が暴れ出して、怖くなって機関銃を撃ったという例もあるでしょう。しかし、組織的に市民に対して虐殺を行ったというようなことはあろうはずがありません。
 その証拠に、安全地区にいたマギー牧師のような人たちが郷里に手紙を書き送ったものがイェール大学などに残っています。それを今、調べている人たちがいますが、その中間報告を聞くと、マギー牧師たちは、自分たちは安全地区を作って何十万人かのシナ人の民衆を救ったと書いてあるそうです。当時、安全地区以外には兵隊以外の民衆はいません。ですから、こうした手紙からも大虐殺などなかったことがわかります。
 日本が南京を攻める時に軍事施設を爆撃しますが、その時、爆弾がところどころ外れたりします。それが民家に落ちたりもした。すると、蒋介石はすかさず、「民家に爆弾が落ちた」と国際連盟に日本を訴えるのです。
 日本が意図的に民家に爆弾を落としたわけではありません。当時の値段で爆弾は一発、五百円です。二発あれば、田舎なら総二階の家がたちます。そんな高価なものを、日本がアメリカみたいにばらまけるわけがない。
 それを蒋介石は、いちいち国際連盟に訴えた。しかし、「南京大虐殺」については一言も訴えていません。
 当時の南京についての状況は、最近では北村稔先生や東中野修道先生などが非常に詳しく調べていらして、もはや「南京学」と言ってもいいくらいになっています。東中野先生は、台湾にある国民党政府の秘密文書などに当たっていますが、こういうことがわかってきています。
 南京の落城から、蒋介石は漢口に逃げ、その後、重慶に逃げた。その間、累計何百人もの外国人記者からインタビューを受けています。その数、三百回です。その中で、日本軍の虐殺について述べたことは一度もない。
 ですから、「南京大虐殺」は東京裁判ではじめて、出てきたのです。なぜ出てきたかというと、ニュールンベルク裁判に合わせるためです。ニュールンベルク裁判には、ナチスのユダヤ人虐殺の罪を裁く「人道に対する罪」という項目がありました。東京裁判においては、それに類似するものがないので、「南京大虐殺」がでっち上げられたのです。
 南京が陥ちた頃に、無名の英文の本が出て、日本軍の残虐行為によって三万人くらいのシナ人が死んだと書いてあった。それは今では誰が書いたかは明らかで、ティンパーリという「マンチェスター・ガーディアン」紙の記者です。
 これについても、やはり北村先生や東中野先生が第一級の資料に当たって研究した結果、ティンパーリは蒋介石から金をもらって書いたことが明らかになっています。

「南京大虐殺」入門の入門 / ぼやきくっくり

【雑誌ネット】WiLL 2007/04月号渡部昇一「私と昭和史」〈24ページ〉全文一挙掲載
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~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

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