「南京事件はなかった」茂木弘道氏H25年講演録(4)

2014.11.16.16:47

平成25年8月25日『「南京の真実」パネル展』講演会
南京虐殺は中国国民党の戦時謀略宣伝である
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道

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10、希代のウソつきベイツ

・工作員ティンパーリに送った南京情報は国際委員会文書+ねつ造文書で、国民政府に協力するためのものだった。

・国際委員会文書では、最大でも殺人は27件であったが、ベイツは紅卍会埋葬報告書(遺棄死体の埋葬)4万のうち30%の1万2千は市民のものだという、およそかけ離れた数字を何の根拠もなく書き送った。

・これが東京裁判でベイツの虐殺証言となった。

・12月15日、南京を離れる記者たちに全くの捏造文書を渡していた。
 「2日もすると、度重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をも含む家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまった。

・市内を見回った外国人は、この時、通りには市民の死体が多数転がっていたと報告しています。・・・死亡した市民の大部分は、13日の午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたりしたものでしょう。」


11、同僚、同宿のスマイス(金陵大学教授、国際委員会事務局長)の家族への手紙と全く矛盾する内容

「12月13日(月曜日朝)宿舎へ帰る途中、午後1時に日本兵が漢中路に到達しているのを見つけた。我々は車でそこへ行き、約6名の小さな分遣隊に会った。それが最初だったが最後ではなかったのだ。上海路と漢中路の交差する角で、彼らはバスを調べたが、人々を傷つけることはなかった。」

「14日火曜日の朝。我々は目覚めて戦いは終わったと感じていた。・・・今は日本兵がいる。秩序ある体制と順調な事態が作られて、状況はバラ色になるだろう。」

≪もし、度重なる殺人などが行われていたとして、当然発砲音けたたましい中でこんな感じ方をして、家族に書き送るだろうか?≫

≪そもそも、安全区担当の第7連隊第1、第2大隊は13日午後は掃討作戦をせず、夜間に安全区を視察した後、市の東南部に宿泊している。13日には発砲など全くしていない。ベイツの言ってることは全てウソである。≫


12、結論


 1.『戦争とは何か』(ティンパーリ)の主たる情報源は、
   ベイツであった。
   フィッチ(YMCA主事で根っからの反日運動家)
   の捏造記事がこれに加わった。

 2、ニューヨークタイムズ、シガゴデイリ―ニュースなどの情報源も
   ベイツであった。
   
   『戦争とは何か』の出版予告の手紙「諸友宛」
   「その本には12月15日の南京を離れようとした
   様々な特派員に利用してもらおうと
   私が準備した声明が掲載されています。」

 3、東京裁判での架空の民間人虐殺1万2千の証言によって、

    南京虐殺を裏付ける役割を果す。


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