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オセアド・ホワイト~国民党の戦時対外宣伝は虚報にまみえていた / 櫻井よしこ氏北村稔氏対談(2)

2015.01.18.12:13

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誤報が歴史事実に転化

櫻井: -1982年の「某教科書の記述で中国への侵略が進出に変えられている」との誤報によって、中国や韓国からの無用の反発を招き、教科書検定に「近隣諸国条項」が作られることになってしまいました。そのために、もっともらしい出典を明記すれば、南京虐殺の犠牲者の数もフリーパスとなり「中国側は30万人としている」といった記述が教科書に堂々と掲載されるようになり、それが今日の南京虐殺論争の火付け役にもなっています。-あってはならない事態が起き、確実に大きな影響を及ぼしています。

北村: 元来、中国側は南京事件について、国民党時代の話なので積極的にとりあげていたとは言いがたい。抗日戦争は共産党だけがやったというのがそれまでの「正史」だったからです。南京での中国人被害に話が及べば、国民党がそれなりに奮戦したと誤解されかねないという思いがあったのでしょう。櫻井さんがおっしゃるように、誤報事件以降は日本叩きのカードとして「使える」と考えるようになったのかもしれません。

意図的な情報操作以外にも、誤報が歴史事実に転化する実例があります。例えば、ティンパーリー同様、国民党の国際宣伝処に勤務していたセオドア・ホワイトというアメリカのジャーナリストが『歴史の探求』(サイマル出版会)という自叙伝で回想している例です。彼は、宣伝目的で作られた写真や誤記された数字が一人歩きして「事実」として定着してしまったことを紹介しています。先ず、当時の重慶に逃避していた国民党政府は「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい。それは必要なことだと考えられていた」と堂々と述べていたというのです。そして、その実例として、ホワイト自身が元の中国語の記事を少し脚色し、蔡黄華という架空の女性が日本軍兵士数人を殺して逃走し、反日ゲリラの首領となったという記事を作りあげた。すると、ほとんどの米人記者がこの記事にとびつき、この女性の写真を要求してくるので、国民党宣伝部が腰に二挺拳銃を下げた中国人女性の写真を用意したりしたという。その後、彼女は蒋介石夫人(宋美齢)に次ぐヒロインとしてアメリカで著名になっていったといいます。もちろん虚構のヒロインですが……。

他にも、難民の苦悩を強調するために、国際救済委員会が14ヵ月の間に難民に2500万食を配った事実を報道する時に、たまたま間違えて難民の数が2500万人にのぼると書いてしまった。そのために、その数字は新聞や雑誌に掲載され、学術的数値ともなってしまい、すでに歴史の一部となったと回顧しています。彼は一貫して中国贔屓で日本嫌いだったようで、1980年代になって「日本からの危険」という論文を発表して話題を呼びましたが、過去に中国との深いつながりを持つジャーナリストでもあったわけです。

櫻井: 中国との戦争は、時局、時局で、単なる現状追認のままなし崩しに拡大していきましたが、永田町の論理も政局が大事で、その場凌ぎです。慰安婦問題でも、“強制連行があった事実を何とか日本が認めれば、韓国側も好意的に対応してくれて後はおさまるだろう”という希望的観測で、政府は“政治的妥協”で半ば容認してしまいました。


それが将来どんなマイナスとなってはね返ってくるかを考える能力に欠けているのです。つまり、国家としての戦略的思考がまったくない。その点、中国は今も昔もそうした戦略に長けていたわけです。

北村: 国民党の戦時対外宣伝の基本方針は、日本軍の残虐性をことさら喧伝しアメリカの干渉を誘発しようとするものでした。個々の戦闘では日本には勝てないけれども、首都を重慶に移動して一歩一歩と後退し、やがておこるであろう国際情勢の変化を待つという持久戦の計画を蒋介石は明確に持っていた。そしてその成果は真珠湾攻撃となってあらわれます。蒋介石は、これにより勝利を確信しました。国民党にはアメリカ留学派の幹部が多く人的な結びつきが米中間ではあった。セオドア・ホワイトもハーバード大学を卒業してから中国研究のために中国にやってきて、いつの間にか国民党のスポークスマンのような存在になったのです。

櫻井: その先兵でもあったティンパーリーにしても、巧妙というのか狡賢いというのか、先の本の序文でも、見聞した日本軍の暴行記事をガーディアン紙に打電しようとしたら、上海の日本側電報検閲員に「内容が誇張に過ぎる」として発電を差し止められたので、本を書くことによって世界に公表しようとしたと記しています。しかし、根拠のない30万という死傷者の数を明記した記事を打電しようとしたら、非常識だとして日本側が差し止めたのは当然の措置ともいえます。むしろ、「差し止め」させる状況を意図的につくり、そのうえで「差し止め」の事実を誇大に宣伝することで、自分の捏造記事に逆の信憑性を持たせることに成功したのです。そして日本側の弾圧をくぐりぬけ、良心的ジャーナリストとして真相を発表し、告発しようとして本を書いたと自画自賛したわけです。そういった国民党とティンパーリーの手法は、ある意味では敵ながら舌をまくしかありません。どの国もそうした国家としての戦略性を持ち、宣伝活動に真剣に取り組んでいたのですから。-日本側の情報戦略の欠如は反省すべき点ですが、過去の失敗から学ばないまま、今も同じ失敗を繰り返しているのは残念です。

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「 『南京虐殺』の虚構 」 / 櫻井よしこオフィシャルブログ 2001.12.02
http://yoshiko-sakurai.jp/2001/12/02/108

北村稔著『「南京事件」の探求』より
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『日中戦争中の1939年4月から12月まで重慶の国民党国際宣伝処に勤務し、後に著名なジャーナリストとなったアメリカ人のセオドア・ホワイトは、『回想録』(堀たお子訳『歴史の探究』)の中で、国民党国際宣伝処の対外宣伝の実情を明らかにしている。ホワイトは重慶の政治状況や文化状況に対し鋭い批評を行っているが、国際宣伝処に関する部分だけを抜萃する。(中略)
ホワイトは国際宣伝処の特集記事監修を担当したが、当時の重慶では「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」と述べる。(中略)
ホワイトが重慶の国際宣伝処に勤務したのは1939年4月からであり、重慶滞在中にホワイトがティンパーリーに会ったという記述は見当たらない。しかし、次のように述べられている箇所がある。ホワイトが香港で国民党の情報局(国際宣伝処)の職員と接触し香港から飛行機で重慶に着く直前に、「宣伝局のオーストラリア人新聞記者が辞めようとしていた。その人は中国関係の記事を書く6人のスタッフの主任で、英米の新聞に記事を送っていた」。オーストラリア人新聞記者とは、ティンパーリーを指しているのであろうか。』
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セオドア・ホワイト『歴史の探求』より
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「こうして私は、中国政府向けアメリカ顧問団の一員となる」
「私はアメリカの世論を操るために雇われたのだ。日本に敵対するアメリカの支援は、政府が生存を賭ける唯一の希望だった

「アメリカ言論界に対して嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだということをアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた。私が重慶にやってきた一九三九年には、それが中国政府の唯一の戦術だったし、したがって私の仕事は、その戦術を履行するに必要なごまかしを行うことだったのである。」
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