虚報にまみえていたトリックの数々 / 櫻井よしこ氏北村稔氏対談(3)

2015.01.18.16:02

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巧妙なトリックの数々

北村: -戦争報道に関しては、何が真実で何が宣伝なのかということを見極めるには、慎重で客観的な調査が必要です。ただ、「火のない所に煙は立たない」とも言います。そうした「針小棒大」とはいえ、日本軍の残虐さを伝える虚報が受け入れられた背景は何なのかという自省も日本側には必要です。闇雲に単なる民間人を虐殺したということはなかったのでしょうが、便衣兵など逃亡兵や捕虜扱いにすべき兵士をどう扱っていいのか、混乱の果てに処刑してしまったという事実は否定出来ません。

櫻井: 日本の場合、当時も今も長期的な戦略思考や対外宣伝力が欠如しているわけですが、偕行社の『南京戦史』を見ても、捕虜をどうするかという方針すら満足に確立していないまま戦争をしていたことがよくわかります。ある参謀長は積極的に捕虜を取るべしと言い、別の師団長は捕虜を取るなと言い、適宜処置せよと言ったりもする。兵站も間に合わないほど予定より早く南京が陥落したために、日本軍は自分たちの食料も満足に確保できないまま大量の捕虜を抱えてしまった。そのために、運のいい中国人兵士は捕虜収容所に入れられたりもしましたが、処刑された兵士もかなりいました。

しかし、それでさえ、東京裁判の判決のように「日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であった」とか、中国の言う「日本侵略軍は南京を占領してから、公然と南京人民に対して6週間にわたる血腥い大虐殺を行った。……日本軍の南京での大虐殺中に、殺害された中国人民は合わせて30万以上に達した」(『小学課本・歴史』)という、いわゆる“massacre”的な虐殺とは全く違います。つまり、ドイツのユダヤ人虐殺と南京事件とは全く次元が異なるわけです。この事実はきちんと何度でも日本は主張する必要があります。

北村: ティンパーリーの本でさえ、そんな形での組織的な虐殺があったとは実は書いていません。そもそも、“massacre”という言葉をティンパーリーは使っていません。この本の中で紹介されている欧米人の報告にしても、略奪や強姦は偶発的なものであったとみなしています。つまり、当時にあっては、国民党にしても、その依頼を受けたティンパーリーでさえ、日本軍が組織的な大虐殺をしていると伝えたのではなく、軍律厳しいはずの日本軍が南京で無秩序な行動をしていると批判しているだけなのです。


また、これも誤訳、虚報と関連しますが、ティンパーリーの本には、根拠なしのまま、「中国中央部の戦闘だけで中国軍の死傷者は少なくとも30万人を数え、ほぼ同数の民間人の死傷者が発生した」と出てきます。この元となった電文は日本側の検閲で差し止められたわけですが、その電文がロイター通信などを経て回り回って、中国の新聞「漢口大公報」に転載される段階になると、「英国記者ティンパーリー氏の報告によれば、敵軍が南京上海戦で殺戮した平民は少なくとも30万人に達した」となるんです。つまり、「中国中央部」という広い地域が「南京上海」に限定され、「死傷者」が「殺戮」になっていく。

櫻井: ティンパーリーの数字にしても、当時の蒋介石・国民党の一方的な主張を書いただけのようですが、恐るべき相乗効果です。巧妙なトリックというしかありません。でも、その記事が『英文中国年鑑』(1939年版)という歴史書に収録されて、「定説」化していくわけですね。

北村: そうです。彼の本の悪影響はまだあります。東京裁判に先だつ中国での裁判では、ティンパーリーの本の中で「殺人競争」として報じられた、向井、野田少尉のいわゆる百人斬りの記事(東京日日新聞の記事を、東京の英字紙であるジャパン・アドバタイザーが転載)が戦争犯罪の証拠とされます。向井、野田の二人はこの記事が証拠となってC級戦犯として死刑になります。

しかし、この記事にしても、鈴木明氏が『「南京大虐殺」のまぼろし』(文春文庫)で指摘していたように日本の報道はいささか大袈裟なものであったが、あくまでも戦闘中に中国軍兵士をどれだけ殺したかという武勇伝だったわけです。

ところが、ジャパン・アドバタイザーでは、そうしたニュアンスが減殺されてしまい、あたかも戦闘以外で民間の中国人を殺害していったという記事になってしまった。さらにティンパーリーが、この記事に「殺人競争」(Murder Race)というタイトルを付けて自分の本に収録したのです。

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「 『南京虐殺』の虚構 」 / 櫻井よしこオフィシャルブログ  2001.12.02
http://yoshiko-sakurai.jp/2001/12/02/108

ティンパーリはフィッチやベイツら南京城内安全区委員会らの報告や文書、その他各地の日本軍の暴行に関する取材記事をまとめて『What War Means: The Japanese Terror in China(戦争とは何か-中国における日本の暴虐)』を1938年(昭和13年)出版し、南京での攻略戦や事件を欧米諸国に誇大喧伝しました。

北村稔氏著『「南京事件」の探究』(p.43-44)にて、中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代来華外国人名辞典』(1981年)に、ティンパーリが「1937年盧溝橋事件後、中国国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と記述されていることや、台湾で刊行された王凌霄『中国国民党新聞政策之研究(1928–1945)』(近代中国出版社、1996 年)および国際宣伝処処長曽虚白の回想記(『曽虚白自伝(上集)』)に「ティンパーリーとスマイスに宣伝刊行物の二冊の本を書いてもらった」と記され、国際宣伝処が関与していたことが示されています。
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『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
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