百人斬り訴訟での故佐藤振壽氏の訴え(上)

2015.02.26.05:29

南京の真実語った従軍記者 論説委員・石川水穂
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080927/trl0809270350001-n1.htm
≪“百人斬り”報道を否定≫
南京戦に従軍した元東京日日新聞(毎日)カメラマン、佐藤振壽氏が今月4日、95歳で死去した。佐藤氏は“百人斬り”の新聞記事の写真を撮影しながら、「記事は事実ではない」と言い続けた。神奈川県藤沢市で行われた通夜・葬儀には、百人斬りの冤罪で処刑された向井敏明少尉の次女、千恵子さん、百人斬り訴訟の弁護団長、高池勝彦弁護士、同訴訟を支援する会会長の阿羅健一氏らが参列し、佐藤氏をしのんだ。

問題の記事は、東京日日新聞の昭和12年12月13日付に「百人斬り“超記録”」「向井106-105野田」「両少尉さらに延長戦」という見出しで掲載された。「【紫金山麓(さんろく)にて十二日浅海、鈴木両特派員発】南京入りまで“百人斬り競争”といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田毅両少尉は十日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコードを作つて、十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した」この記事には、佐藤氏が撮った日本刀を手にする2人の少尉の写真が添えられていた。


2人はこの記事がもとで、1947(昭和22)年12月、南京の軍事法廷で死刑を宣告され、翌年1月、銃殺刑に処せられた。

だが、佐藤氏は平成6年5月の本紙連載「南京の真実」で、こう証言している。「浅海一男君(故人)という社会部の記者が2人から話を聞いて、私はそばで聞いていたんです。…これから南京に入るまでどっちが先に百人切るか競争するんだと。でも私には納得のいかないところがあった」「修羅場になったら(野田少尉が務める)大隊副官は大隊長の命令指示を受けて、何中隊はどうする、と命令を下してなくちゃいけないわけです。(向井少尉が務める)歩兵砲の小隊長は『距離何百メートル、撃てーッ』とやってなくちゃいけない。それなのにどうやって勘定するの。おかしいなと私は思ったんですよ」その後も、佐藤氏は「あれは戦意高揚のための記事で、軍の検閲も通っているが、あり得ない話。戦後、浅海君は“百人斬り”の件で市ケ谷の検事団に呼ばれたが、『あれはほら話』といえばよかったんです」と話していた。

南京事件-日本人48人の証言」にて故佐藤氏は次のように述べています。

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東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言

- 南京城内の様子はどうでした?「十三日はまだ戦闘があって、中国兵があちこちにいて危険でしたが、城内はおだやかでした。(略)」

-十四日はどうでした?「(略)もうこの日は難民区の近くの通りでラーメン屋が開いており、日本兵が十銭を払って食べていました。それと十四日頃は中国人の略奪が続いて、中山路を机を運んでいる中国人や、店の戸をこじあけ手を差し込んで盗んでいる中国人もいました。この日も一部ではまだ中国兵との戦いは続いてました。 (略)」


-十六日はどうでした?「(略)十六日は中山路で難民区から便衣隊を摘出しているのを見て、写真を撮ってます。中山通りいっぱいになりましてね、頭が坊主のものとか、ひたいに帽子の跡があって日に焼けているものとか、はっきり兵士と分かる者を摘出してました。髪の長い中国人は市民とみなされてました。」

-虐殺があったといわれてますが……。「見てません。虐殺があったといわれてますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。」

- 南京事件を聞いたのはいつですか。「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思いますが、NHKに『真相箱』という番組があって、ここで南京虐殺があったと聞いたのがはじめてだったと思います。たまたま聞いてましてね。テーマ音楽にチャイコフスキーの交響曲が流れた後、機関銃の音キャーと叫ぶ市民の声があって、ナレーターが、南京で虐殺がありました、というのですよ。これを聞いてびっくりしましてね。嘘つけ、とまわりの人にいった記憶があります。十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です。何故日本人に聞かないで、あの様な都合よく嘘を載せるのかと思いました。当時南京にいた人は誰もあの話を信じてないでしょう。(略)」

~~~~~

向井野田両少佐の百人切り話の側面を知る、また写真を残した当事者として、佐藤氏はこの冤罪に挑みます。
それは高齢を押し、息子さんと看護士さんに付き添われた車椅子での病身の姿でした。

週刊新潮「[特集]南京大虐殺『100人斬り訴訟』が暴いた大新聞の歴史的ウソ」2004.7.22日付号
写真説明:今も記念館に展示される“100人斬り”
向井(右)、野田両少尉と処刑直前に撮影された写真
現在の佐藤氏と従軍当時(中央。右端は従軍していた大宅壮一氏)

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南京大虐殺の象徴として、今でもことあるごとに引き合いに出されるのが、日本兵による『100人斬り』である。 大新聞が盛んに喧伝した、その「歴史的ウソ」が法廷で暴かれようとしている。創作された記事がもとで、戦犯として銃殺刑に処せられた日本兵の遺族が、昨年名誉回復を求めて提訴。裁判は山場を迎えた。

7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日日新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者といえるだろう。
佐藤氏は、巷間伝わる「100人斬り競争」などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。
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