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「虚報の真犯人はエドガー・スノーだ」鈴木明氏(1)「アウシュヴィッツと南京の違い」の一節より

2015.03.14.16:06

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アウシュヴィッツと南京の違い

「南京大虐殺」という言葉を、いまでは老いも若きも、日本人の中で知らない人はいない。ー中国、韓国をはじめとして、多くのアメリカ人、ヨーロッパ人でも、知的階級に属する人なら、その名前ぐらいは知っている。「南京大虐殺」は「アウシュヴィッツ」と並んで、第2次世界大戦で起ったできごととしてはズバ抜けて世界中の人によく知られている。日本とドイツの恥部に当たる事件なのである。

ところが、日本には中国人に対する差別というものが、白人社会におけるユダヤ人に対するもののように存在していたわけではなかった。「中国人だから殺してもいい、或いは迫害してもいい」という考えは、一般日本人の中にも、或いは政府の政策としてもなかった。それにもかかわらず、盧溝橋事件をきっかけとして「日中の全面対決は、日本の強引な侵略的意図によって始まった」という風に日本人は信じている。ーそして、この戦いはやがて上海に「飛び火」し、上海戦をへて、日本軍は「南京攻略」へと、戦いを進めていった、というのが、一般の人たちが考える「日支事変」(或は、日中戦争)のはじまりである。

1972年、僕が始めて「"南京大虐殺"のまぼろし」という作品を書いたときにも、基本的にはこのような認識の上に立っていた。しかし、1980年代の後半になり、日本人の中国渡航が比較的容易になると、僕もその中の1人に交じって、まず上海へ、そして南京へと旅行するようになった。無論、いわゆる「南京大虐殺記念館」(1985年完成)にも行ったが、建物はアウシュヴィッツに対して、余りにもお粗末であり、展示品は「向井 野田両少尉(当時)」の事を書いた昭和12年の「東京日日新聞」と、郭岐という署名のある「西京日報」という新聞の一部分が展示されているだけで、他にはこれほどというほどの印象的な同時代記録が並べられていたわけではなかった。

「向井 野田両少尉」については、僕は1972年に60貢近くの貢数を割いて、「向井少尉はなぜ殺されたか」を書いて向井少尉の無実を立証したつもりだったが、それは、1972年は文化大革命のさなかであり、いまや文化大革命が完全否定されているとき、まさかあの話がまだ中国の中に残って「虐殺記念館」にあのような形で展示されているとは考えてもいなかったので、何とも複雑な思いを持ったことは事実である。

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「虚報の真犯人はエドガー・スノーだー私が「新"南京大虐殺"のまぼろし」を書いた理由」鈴木明(「正論」平成11(1999)年7月号)
http://www.history.gr.jp/nanking/books_seiron9907.html
本編は↑でご一読ください。

「百人斬り」についての言及は、当時の大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員全員が「百人斬り競争」は真実でなかったことを認め、作品を絶賛し、1973年に第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。(Wiki. 参照)
文芸評論家・故平野謙氏は「私はその克明な追跡ぶりに感嘆し、たとえば、南京虐殺事件の責任者の一人として処刑された向井少尉の無実などについては、一読者として肯定せざるを得なかったまでである」と評価しています。
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