「虚報の真犯人はエドガー・スノーだ」鈴木明氏(5)事件の鍵を握るエドガー・スノー

2015.03.14.16:49

〜〜〜〜〜
事件の鍵を握るエドガー・スノー

これは、まぎれもない事実で「東京裁判」であれだけ強いショックを日本人に与えた大事件を、中国人の、それも知識階級エリートに属する王若望氏のような立場の人が「戦争中は知らなかった」というのは、普通の感覚でいえば不自然である。


現に「南京大虐殺」という言葉が出れば、それに反応するように、第一次資料として出てくるのはオーストラリア人ティンパーリーが1938年に編集完成して出版した「日人在華的恐怖」或いは「中国人目賭中之日軍暴行」原文は「What war means: The Japanese Terror in China」日本語訳文として通常使われるのは「中国に於ける日本軍の暴行」で、僕もこの本の中国語訳原本は、エール大学の王正廷(1937年当時の、駐アメリカ大使)コレクションの中で発見しており、扉のところには、たしかに「1938年 漢口」の字が見える。 しかし、この本も、どこまで中国人に読まれたであろうか。

当時の一般的中国人は、まず字が読めず、読めても面白い小説本以外には殆ど売れることはなく、「日本軍の暴行」が何部出たかは不明だが、この本を出版した「庁」にいた郭沫若は、その日記の中で「不幸にしてこの本の多くが、長沙の大火で焼かれてしまったが、それでも探してみれば、いくらかは残っているかも知れない」と書いているところを見ると当時、4億数千万といわれた中国人の中でこの本を見つけるのは、砂丘の中に落ちた1円玉を探すほどの困難さであったと思われる。王若望がこれを知らなかったとしても、知らない方がむしろ自然である。

しかし、それはとんでもない錯覚である。瑞金は江西省の南、福建省との境にある仙霞嶺山脈の中腹にある貧しい町で、江西省はその北側に石炭のとれる坑山があったため、わずかにこの付近にまで鉄道は通っていたが、そこから瑞金までは、標高千メートルもある山々を越え、更に標高二千メートル近くの高地まで4百キロもの道を歩いてゆかなければならない。ー今回僕が書いた「新"南京大虐殺"のまぼろし」の主要登場人物の1人である潘漢年は上海から瑞金にゆくとき、まず便船で香港に行き、そこから更に船で汕頭(スワトウ)に逆行し、韓江を4百キロもさかのぼって、その上流から仙霞嶺山脈を越えて瑞金に着いている。瑞金と上海とを結ぶ唯一の線は無線による通信だったが、そのために上海の共産党地下党員は、いつも暗号表を持っていた。一般市民が「瑞金で共産党がどのようにしているか」などというニュースは、実質的には上海では誰も知らなかったのである。このようなニュース伝達の困難な状況は、日中戦が始まった1937年当時でも、基本的には変わっていない。

但し上海戦という舞台だけを見れば、日中戦を行った「上海」という場所は、いまわれわれ日本人旅行者が普通に「上海」と呼んでいる場所とは全く違っていた。上海市の中心部は、当時フランス租界、共同租界に分かれていたが、共同租界は、俗にイギリス租界と呼ばれていた地域と、上海北側に流れていた蘇州河(現在、呉淞江)を南北にわけて、その北側が俗にいう「日本租界」であった。そして、フランス租界は美しい石畳みとアカシアの並木に包まれており、下水道もあり、水道の水源地は黄浦江であったのに対して「日本租界」の大部分は泥道であり、雨が降れば足首までぬかるんでしまうという悪条件の下にあった。

しかし、水道のある場所は、大変少ない。それも、フランス租界の下水道から流れ出る汚い水を含んだ蘇州河を水源として利用しているので、真夏に行われた上海戦の日本軍の戦いは、文字通り泥沼との戦いであったことがわかる。一番重要であったのは、日本租界内で行われている「日中の戦い」で、双方の撃ち合う弾丸は、イギリス、フランス租界の中に絶対に落としてはならない、ということであった。上海の中国人市民、イギリス人、アメリカ人などは、蘇州河の「イギリス側」から日中の戦いを「見物」していて、中国側将官の中には、英仏租界区の中にいて、電話で蘇州河北部で戦っている部下に指令を出していた者もいる、と、新しく出版された中国側の本には書かれている。

当時、この「上海戦」を、競馬場(現・市政府及び博物館)近くにある24階建の国際飯店の屋上から眺めていた欧米人の中の1人に、エドガー・スノーがいた。スノーは後にこの戦いの様子を、「それは世界最大のショウでもあった。いま思い出してみても、それはヒトラーの電撃戦ですら思いもおよばなかったほど、ユニークなものであった。何と百万に近い人間が参加する殺人試合を、何の心配もなくリングサイドで眺めることのできる大都会は、もうどの世界にも、二度とは出現しないであろう」と書いたのである。この文章を書いた本「アジアの戦争」は、日本が真珠湾攻撃を行った同じ年の春、つまり半年余り前に、アメリカの大出版社であるランダムハウス社から出版され、一部の知識人を中心にして、アメリカでは強い反響があった。ーアメリカに帰っていたスノーは新聞記者たちと何回もインタビューを行い、「ヨーロッパで起こっている事件は、やがてアジアに波及するであろう」「米日戦は、少なくとも1年以内に、必ず起るであろう」と、くり返しいい続けた。

無論大部分のアメリカ人は中国のことなどにはほとんど関心はなく、この年の3月、ルーズベルトは「武器貸与法」に署名し、日本流にいえば「金(武器)は出すけれども、人は出さない」という行動にふみ切ったが、その貸与した武器の97パーセントまでは対イギリスであり、当時、アフリカ系アメリカ人(黒人)のことなど眼中になかったルーズベルトは、中国に対しても同じように、パール・バックの描いた「大地」(ノーベル文学賞受賞作)の「チャイナ」のことは知っていても、エドガー・スノーが頭に描いていた「毛沢東・蒋介石の連合勢力による、日本との戦い」には、それほどの関心はなかった。

しかし、これも僕が感じていた「錯覚」の1つだが、エドガー・スノーのこのような言動は、日本には全く伝えられなかったし、日本人の誰1人として、スノーの「アジアの戦争」が出版されたことに対しての重大な意味を理解した人もいなかった。その最大の原因は、スノーの「アジアの戦争」が、日米戦のわずか数ヶ月前に出版され日本語としては全く伝えられなかったという偶然であろう。僕は今回「新"南京大虐殺"のまぼろし」を書くに当たって、その第1頁目の扉に当る部分に、本文より少し大きな活字で、こう書いた。


「日本、中国、アメリカという、東アジアだけではなく、二十一世紀の世界に最も大きな影響を与えるかも知れない重要な三つの国の中で、いまも喉もとに突き刺さったままでいるような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる"南京大虐殺論争"である。この不可解な事件の鍵を握っていた人物は一体誰なのか、僕は長い間考え続けてきた。そしてその人物こそは、実は二十世紀ノンフィクション文学の中でも特に名作として知られる"中国の赤い星"を書いたアメリカ人作家であり、第二次大戦のときには、アメリカ大統領ルーズベルトと数回にわたって、2人だけで、対中、対日に関する話し合いを持った著名なジャーナリストでもあった、エドガー・スノーであることを、僕は最近まで気がつかなかった」

スノーが日中戦のとき南京に行ったことは一度もなく、第一次資料を残したこともないことはよく知られている。 それにもかかわらず敢て僕がこう書いたプロセスが今回出版した「新"南京大虐殺"のまぼろし」に、5百頁以上の内容を必要とした原因であり、ここでは到底このことにふれることは出来ないので、すべて割愛することを許して頂きたい。
〜〜〜〜〜
「虚報の真犯人はエドガー・スノーだー私が「新"南京大虐殺"のまぼろし」を書いた理由」鈴木明(「正論」平成11(1999)年7月号)
http://www.history.gr.jp/nanking/books_seiron9907.html
本編は↑でご一読ください。
スポンサーサイト

comment

Secret

プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
南知隊ブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
通州事件の真実
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR