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鈴木明氏に届いた向井少尉らの南京戦犯拘留所での戦友からの手紙

2015.03.15.06:05

鈴木氏が「南京のまぼろし」を連載中に届いたようです。
それは向井少尉の日記や遺書を遺族に届けた方からのものでした。
そして、鈴木氏は連載の中でこの手紙を公開しました。

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「私は当時南京戦犯拘留所で、向井、野田、田中その他の人たちと一緒に生活し、彼らが内地から送られてきたときから、死刑になるまで、ともに語り合ったものです。

当時拘留所は木造の二階建てで、元陸軍教化隊のあったところとききました。一階が各監房、二階半分が監理室、半分が軍法廷あてられていた関係もあり、耳を澄ませば二階の裁判の模様がききとれるような環境でした。

谷中将と向井、野田両氏が何時送られてきたかのはっきりした記憶はありませんが、彼らが着いて直後、予審とも記者会見ともわからないようなものをやり、この人たちがはじめから異常な扱いをされていることはすぐにわかりました。『事実は明白である。如何なる証拠を出しても無駄である』といっていたそうで、大虐殺の犯人として事件に結末をつける政略的なものであろうと、我我も話をしていました。

彼らは死刑判決後、柵をへだてた向こうの監房に移されましたが、書籍や煙草を送ることや、会話は許されました。彼らは、この事件は創作、虚報であるとくり返し訴え、浅海記者がそのことを証明してくれるだろうといっていました。

判決後、その浅海記者の証言を取り寄せるため、航空便を矢つぎ早に出しました。その費用を出すため、私たちも衣類を看守に売ったりして援助しました。やがて待望の証言書が届き、その時は彼は声を上げて泣きましたが、この証言内容は、よく読むと老獪というか、狡猾というか、うまく書いてあるが決して『創作』とは書いてありませんでした。そして、彼らは処刑されました。

残された我々は当時、皆涙を拭いながら、浅海記者の不実をなじったものです。記者が、どういう思惑があったかは知りませんが、何物にもかえ難い人命がそこにかかっていたということを、知っていたのでしょうか。

たしかに、裁判もでたらめでした。二回の審議で、つぎは判決だったと思います。証拠も新聞記事が主なものでした。彼らは日記をつけていたので、私たちが遺族にとどけようということになり、私は向井、酒井隆、鶴丸光吉のものを引き受けました。向井の分は上海拘留所に移された時、無罪で三重県に帰る人がいたのでお願いしました。後に、確かに渡したという照会も致しました。

私はこの手紙を書くに当たって、今更このようなことを書いても、余りに空しいと思いましたが、刑の執行の朝、彼らが、軍事法廷になっていた二階で、”天皇陛下万歳、中華民国万歳、日中友好万歳”と三唱した声が今でもはっきり蘇ってくるので、あえてここに筆を執りました。まずは、ご参考までに。」

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『「南京大虐殺」のまぼろし』 鈴木明 p121

手紙を出した元軍人の方も、同じ日本人として、向井少尉らの無実を確信していました。
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