国際派日本人養成講座 (28)平気でうそをつく人々(承)毎日新聞浅海記者

2015.03.16.22:24

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_/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (28)
_/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座
_/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成10年3月14日 2,292部発行
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_/_/     Media Watch: 平気でうそをつく人々
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http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog028.html


■3.自己宣伝とゴマスリのための創作記事■

 山本七平は「私の中の日本軍」で、自らの従軍体験をもとに、これが完全な創作記事であることを、徹底的に暴いて見せた。曰く

 日本刀で3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は折れ曲がり、柄ががたがたになる。
  まして、「鉄兜もろとも唐竹割り」などということは、木刀でマキを割るのと同様に物理的に不可能。
  (従軍した軍刀修理の専門家の著書から)[「私の中の日本軍<下>」、山本七平、文春文庫、'83 ,p71]

 「鉄兜」などという言葉は軍隊にない。日本軍では「鉄帽」と言う[「私の中の日本軍<下>」、山本七平、文春文庫、'83 ,p96]。
  また「貴様」は兵隊用語であり、名誉や威厳にうるさい将校は絶対に使わない。「向井少尉、貴公は」と言
うはずである。[「私の中の日本軍<上>」、山本七平、文春文庫、'83 ,p307]

 向井少尉は砲車小隊長であり、野田少尉は部下を持たない大隊副官である。勝手に砲車や大隊長のそばを離れて、敵陣を襲ったり、「飛来する敵弾の中で」新聞記者と話をしていたら、「違命罪」で軍法会議にかけられる。[「私の中の日本軍<下>」、山本七平、文春文庫、'83 ,p179,p224]

 山本七平は、このような分析の後に、結局この記事は、浅海記者が「飛来する敵弾の中で」一生懸命取材していますよ、という自分の上司に対する自己宣伝と、「お宅の二少尉が日本刀を振りかざして駆け出せば、シナ兵の百人や二百人はバッタバッタでございますよ」[「私の中の日本軍<下>」、山本七平、文春文庫、'83 ,p202]という陸軍に対するゴマスリであると結論している。二人が浅海記者に何を語ったかは分からないが、こういう記者に出会ってしまったのは、二少尉の一生の不運であった。



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北京で会った「百人斬り」浅海記者の娘 (「週刊新潮」二〇〇九年九月三日号高山正之氏著「変見自在」より)

 向井敏明、野田毅の二人の少尉が南京の収容所に送られたときは異様な雰囲気だったと、当時の収容者の一人は語っている。米国は日本のイメージを「第三世界の解放者」から「残忍な侵略者」へと書き換えていた。
 それは難しくはない。日本人が千人否定しても、白人一人がそうだと言えばそれを真実にできた。実際、米国の宣教師とドイツの武器商人の証言だけで三十万人南京大虐殺があったことにされてしまった。バターン死の行進も同じで日本人が何を言おうと米国人の嘘が真実になる。
 ただ彼らも白人が創った嘘ばかりでは気が引ける。だから毎日新聞の「百人斬り」は日本人が自ら「残忍な日本人」を語ったと大喜びした。二人の少尉は日本認定の貴重な「残虐・日本」の象徴として扱われたというのが冒頭の異様な雰囲気の意味だ。
 二人はそんな米国の目論見を知らない。南京の獄中から記事を書いた浅海一男記者に真実を語ってと手紙をしたためた。浅海は記事で二人に無錫や丹陽など四か所で会って、その都度、関の孫六で三十人斬った五十人斬った、最後に紫金山で会ったときはとうとう百人を超えちゃったと二人で大笑いしたと書いている。
 しかし二人はこの記者に無錫で一度会っただけだ。向井はその後、負傷して病院に送られ紫金山にも行ってない。浅海自身も従軍記録によると激戦地の紫金山には行っていない。
 要は浅海のでっち上げ記事だった。状況証拠もある。彼はAP特派員との架空会見など他にも嘘を書いていた。嘘の常習記者だった。そんな男が真実を語るとも思えない。案の定、返信は「記事にした事実は二人から聞いた」と真実の一片も語ってはいなかった。かくて二人は浅海の記事を唯一の証拠に、その一か月後に処刑された。
 一方の浅海は戦後、新聞社で将来設計を考え、これからは「左」に活路があると読み、新聞労組幹部になった。中国に左の政権ができると彼も早速、毛沢東賛美に走った。中共の対日新聞工作は六〇年代廖承志を中心に活発化し、やがて日中記者交換が実現した。浅海は新聞労組委員長として北京に招かれ、廖に会い、廖はそこで彼があの「百人斬り」の浅海本人と知る。
 「残虐・日本」はまだ使いでがあると北京は読んでいた。カギとなる浅海を放置しておく手はない。廖は浅海の定年退職を待って彼を北京に招いて職を与え、娘の真理を北京大学に入学させた。やがて本多勝一の「中国の旅」が朝日新聞で始まり、浅海の「百人斬り」がもっとどぎつく再録された。
 山本七平がその嘘を糺し本多と論争になる。浅海も北京から戻ってきて他人事のように「二人は最期に日中友好を叫びました。その精神が大事です」とか。「日本軍は毒ガスの赤筒で敵兵をいぶり出して掃討した」とか。「敵兵」はトーチカに鎖で繋がれていた。いぶったところで外に出てはこれない。それに赤筒は催涙弾で毒ガスではない。
 浅海は世話になっている北京政府の思惑通りに日本を残虐な侵略国家として死ぬまで語り続けた。二人の少尉の遺族が浅海の嘘に関わった毎日新聞と朝日新聞を六年前に訴えた。
 しかし地裁も高裁も米国製の歴史観を覆す度胸はなく遺族の訴えを退けた。最高裁はもっと臆病に門を閉ざして国民を裏切った。判決のあと北京の国営友誼商店を訪ねた。日本からの旅行客が必ず連れて行かれる土産屋で、その一階左奥に浅海の娘が北京政府からもらった店がある。
 廖承志の額の下で彼女は「父は苦しんだ」という。
 自分の嘘で二人も殺したら誰だって苦しむ。でもその嘘のおかげで親子二代がこうして安穏と暮らしてきたことは語らない。
 ちなみに今回総選挙では最高裁判事の審査がある。百人斬り訴訟を棄却した判事は残念ながら対象外だが、彼らの不始末の責任をとる竹崎博允最高裁長官がいる。国民があの裁判をどう思ったか。×で示したい。

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