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東方会議 (1927年) Wiki.より

2015.03.19.11:55

東方会議(とうほうかいぎ)は、1927年(昭和2年)6月27日から7月7日まで、南京事件や漢口事件のように日本の既得権益の維持と在留日本人の保護すら十分にできない幣原外交を是正するとともに政府の対華政策を確立することを目的に、田中義一兼摂外務大臣主催の形式のもとに外務大臣官邸で開かれた会議。

7月7日の会議の最終日に、「対支政策要綱」が発表され、当該国に通知された。
通知された国からは一つの抗議もなかった。

1926年(大正15年)7月、蒋介石を総司令とする国民革命軍は北伐を開始し、9月初旬には漢陽・漢口を占領、10月には武昌に入り揚子江を制圧した。
翌1927年(昭和2年)3月には上海、南京が占領された。

3月24日南京になだれ込んだ北伐軍は在留外国人に対し暴行掠奪を行う南京事件が発生した。
米英の軍艦3隻は射撃をあびせ、陸戦隊を上陸させて居留民の保護にあたったが、日本海軍は幣原外交の指令にもとづいて、北伐軍兵士の暴行と狼藉を傍観するのみであった。
このため幣原喜重郎外相の弱腰外交は痛烈に批判された。

1927年4月に成立した田中義一内閣は強硬外交を推進し、居留民保護と、張作霖への間接的援助と、中国の権益強化と拡大のために山東省に兵を送った(山東出兵)。
そして同年6月、田中義一首相は東京に閣僚・外務省首脳陣、中国公使、軍部首脳陣などをかき集めて、対中国政策についての方針を決めるための「東方会議」を開いたのである。

そして、会議では次のようなことが決定された。
当時、中国は中国国民党と中国共産党が覇権を争って内戦状態であり、軍閥が各地に分散していた。日本政府ではこの機を見て武力による大陸進出を図るべきという意見と、あくまで現在の権益を守ることを第一とするべきという意見があった。
田中義一はこれに対して、日本の権益が侵される恐れが生じたときは、断固たる措置を採る。つまり、「現地保護」し出兵も辞さない。
そして満蒙(満州と内蒙古東部のこと)における権益は中国内地と切り離して(満蒙分離政策)、同地域の平和のため(治安維持にあたり)日本が責任をもって支配下に置くなどが決定された(対支政策綱領)のである。
また、万が一中国の内乱が激化した場合には中国国民党と結んで、中国共産党による中国の共産化を阻止する方針も定められた。

ちなみに満蒙は日露戦争後、日本にとって大きな権益を有する重要拠点として見なされていた。
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