〈渡部昇一 富田メモの真相を国会も調査せよ〉

2015.09.24.17:36

【正論】上智大学名誉教授 渡部昇一 富田メモの真相を国会も調査せよ (産経 06/9/6)

■なお疑念残る文書鑑定の手続き

≪権威者ですら真贋を誤る≫
トレヴァ=ローパー卿といえば、オックスフォード大学の近代欽定講座教授という近代史の権威である。この欽定教授(リージャス・プロフェッサー)の席は、フリーマンやフルードのような巨大な名前の前任者を持つ名誉と権威のあるポストである。ところが、トレヴァ=ローパー卿はヒトラーの日記の真贋鑑定で大きなミスを犯した。筆跡や書かれている内容からみて、「ヒトラーの日記に間違いがない」と鑑定したのであった。しかし、後に鑑定の専門家が検討したところ、日記の背の糊は、ヒトラーの時代にはこの世にまだ存在しないことが証明されたのである。文書の鑑定には、さまざまな専門家が必要であるという一例である。


自身の残虐行為を告白した元中国戦犯の告白記-と話題になった曽根一夫氏の『私記南京虐殺』(正続)もそうであった。一時は「類書にない特色を持つ」と評価する南京問題専門家もいたが、後に曽根氏は兵士として南京戦に参加していなかったことまで明らかになったのである。偶然私の知り合った曽根氏の親類も、「あの嘘つきが困ったものを書いてくれた」と言っていた。

≪政治的意図ありの指摘も≫
文書の真贋を定めるには、いくつかの手続きがある。最近問題になっている富田メモを例にとって言えば、大体次のようになる。

第一に、外的証拠(エクスターナル・エビデンス)に関することである。先ず、その手帳はどこから誰の手に渡り、誰によって、まさにあのページが報道されたのか。手帳に貼られた糊はいつ頃、どの会社製のものであるのか。貼られた紙のインクは、そのページの手帳のインクと同じであるのか。もし違うのならば、貼られた紙のインクと同じインクで書かれている手帳のページの日付は、いつ頃のものなのか、などなど。

第二に、内的証拠(インターナル・エビデンス)である。先ず、あのメモの発言者が昭和天皇であることを示す言葉がついているのか否か。その紙や手帳の前後の全記述はどうなっているのか。そのメモの内容が昭和天皇のそれ以外の発言と整合性はあるのか。ないとすれば、その不整合性をどう説明するのか。富田手帳の、その他の部分の信用性はどうなのか(東京裁判で検察側が利用した『原田日記』の例もある)。富田氏自身のメモの信憑性は他のページでも証明されるのか。昭和天皇の言葉遣いが反映されているのか、などなどである。

今までの報道から私の知る限り、右のような文書鑑定の手続きを一切無視して発表が大々的に行われたようである。そこに政治的意図があったという指摘がなされるのも当然であるし、明らかに政治的に利用しようとして発言した政治家や、記事にした新聞があった。天皇陛下や皇族方のプライベートなつぶやきみたいなものまで、本人の同意なく発表され、政治的に利用されては陛下も国民もたまらない。

≪鑑定人も根拠を明らかに≫
国会の予算委員会は、この手帳と、あのページの出現のプロセスを究明する義務がある。二度と悪質な皇室利用で世論や政治を動かそうとする人間やマスコミが出ないようにするのは政治家たちの義務である。

また、鑑定を頼まれた人たちも、そんな重要な検定をするのに十分な時間や手段が与えられていたのだろうか。たとえば、この手帳に貼られた紙片を、近代史の重要な証拠とみて発言しておられる人たちがいるが、先に指摘したポイントに立って、その根拠を明らかにする責務があるように思われる。

トレヴァ=ローパー卿に限らず、マックスウェーバーのような学者も、脚注につけた文献の出典・内容がいい加減であることを羽入辰郎氏(第12回山本七平賞受賞者)が指摘するまで、マックスウェーバーの研究者たちは気がつかなかった。文献研究をやっている者なら修士課程の学生でも気づく程度のことである。富田メモを鑑定した人たちの名前に権威を置くことなく、国会が少なくとも外的証拠だけでも調査に乗り出すことを切望する次第である。
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