スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

〈本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない 阿羅健一〉(2)「中国の旅」の虚偽を示す記録の数々

2015.09.25.17:39

「中国の旅」の虚偽を示す記録の数々

改めて「中国の旅」が虚偽に満ちた内容であることを示す。「南京事件」にしぼると、その冒頭で南京に攻め入った日本軍はこう記述されている。「日本軍がなだれこむ。大混乱の群集や敗残兵に向かって、日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。飢えた軍用犬も放たれ、エサとして食うために中国人を襲った。二つの門に通ずる中山北路と中央路の大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」

この記述が文字通りの虚偽であることはあまたの事実が示している。

日本軍が南京城内に入ったのは昭和12年12月13日で、城内の第三国人を保護するため、翌日には日本の外交官も入った。外交官の名は福田篤泰といい、戦後、衆議院議員となり、総務庁長官などを務めた人である。南京市民でごったがえす中心部で第三国人の応対に当たった福田領事官補はこう証言している。「街路に死体がごろごろしていた情景はついぞ見たことはない」(『一億人の昭和史』毎日新聞社)

南京市の中心には日本の新聞社や通信社の支局があった。同盟通信(現在の共同通信と時事通信)の従軍記者である前田雄二は15日に城内に入った。前田雄二記者は支局を拠点に取材をするのだが、そのときの支局周辺の様子をこう記述している。「まだ店は閉じたままだが、多くの生活が生き残り、平和は息を吹き返していた」(『戦争の流れの中に』)


死体もなければ、血にもおおわれていない。南京はまったくの落ち着いた街だった。

中国人の話だけで成り立つ「中国の旅」からすると、日本人の証言では不十分とされそうなので、第三国人の証言をあげる。南京には数十人の第三国人がいて、一部は南京安全区国際委員会を作って南京市民の保護に当たった。彼らは南京にやってきた日本の外交官に手紙や要望書を出すが、福田領事官補が南京に入った14日、さっそく手紙が出された。その手紙第1号の冒頭はこう書かれている。「謹啓 私どもは貴砲兵部隊が安全地帯に砲撃を加えなかった立派なやり方に感謝」(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』)

日本軍が南京市民を殺戮することなどなかったのである。

第三国人の証拠を持ち出すまでもない。14日の南京の中心の様子を朝日新聞がこう報道している。「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」(『東京朝日新聞 十二月十六日』)

死体と血におおわれた地獄というのはまったくの虚偽なのである。

軍用犬を放したという記述にいたっては腹を抱えて笑うしかない。軍用犬は、最前線と後方の連絡に使われるが、偵察に使ったり、傷兵を救護したり、軍需品の運搬にも使う。そのため飼育され、訓練が繰り返され、人間を食べることなどありえない。

虚偽の記述は冒頭で終わるわけでない。続いて「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」「どこへ行っても空気は死臭で充満していました」といった死の世界の描写が続く。「中国の旅」とは、冒頭からこのような虚偽と噴飯ものに溢れ、それが最後まで続くものであった。

本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない『月刊正論』 2014年10月号 阿羅健一(近現代史研究家)
http://ironna.jp/article/769
スポンサーサイト

comment

Secret

プロフィール

南知隊!

Author:南知隊!
~南京の真実を知らせ隊~
略称『南知隊』
『南京大虐殺』と言う歴史歪曲による不当な冤罪を多くの人達にしってもらおう!
そんな想いを持った人々の集合ブログです。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
南知隊ブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
通州事件の真実
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。