東中野修道氏著〈南京大虐殺は存在せず3 毛沢東は『虐殺』を否定していた〉

2016.05.12.19:21

新地球日本史149 南京大虐殺は存在せず3 毛沢東は『虐殺』を否定していた 平成17年1月5日産経新聞より
 
アメリカの新聞が「南京大虐殺」を報じてから、日本の陸海軍は、南京に将校を派遣して実情を調査している外務省の石射猪太郎東亜局長も、南京安全地帯国際委員会から南京の日本大使館に届けられた「市民重大被害報告」を見て、政府に「南京に入城したわが軍による強姦・放火・掠奪」を報告しているそこに「虐殺」という文字がないのは偶然であろうか
 
実際、石射が目を通したであろう「市民重大被害報告」の二ヶ月間の全報告を集計してみても、殺人は二十六件、婦女暴行は百七十五件、掠奪は百三十一件、放火は五件であったが、そのほとんどは目撃者を明記しない出所不明の「噂」である目撃されたのは、たとえば殺人は「合法的処刑」の一件であった南京市民と欧米人の訴えた事件を完璧に揃えていた「市民重大被害報告」は、南京の欧米人の共通認識であり、公式見解であったそれに基づいて石射東亜局長らの日本側関係者が、外国人の目撃した「頻発する殺人・・市民殺害」はなかったとみていたとしても、決して不思議ではない
 
アメリカの新聞が配布されたアメリカにおける反応はどうだったのか。スティールやダーディンの報じた二紙を基にして、他紙もまた同じことを報じ始めている。しかしアメリカ政府の日本に対する抗議は、パネー号誤爆事件とアリソン領事殴打事件であった一九三八年二月、ジュネーブの国際連盟で、中華民国政府代表は、アメリカの新聞の報じた南京大虐殺を取り上げて世界に訴えたが、そのときも国際連盟は、リットン調査団のような調査団を南京へ送ろうとする動きさえみせなかった
 
自国民が大量虐殺されたと主張する中国国民党の反応はどうだったのか。南京大虐殺が事実ならば今日以上に激しい日本非難が連日宣伝されたはずであった。ところが国民党宣伝部が一九三八年四月に創刊した『戦時中国(China at War)』を見ても、国民党宣伝部は南京に触れながら、その創刊号に「南京大虐殺発生」と発表していない共産党の毛沢東は五月末から九日間連続の有名な講義「持久戦について」のなかで、日本軍は南京で皆殺しの殲滅に出なかったから戦略的に拙かったと批判し、南京大虐殺そのものの存在を否定している
 
このように、アメリカの新聞が「南京大虐殺」を報じたものの、世界のどの国も「南京大虐殺」に公然と言及したこともなければ、公然と指弾したこともなかったしかし今から思うと、「南京大虐殺物語」がアメリカの新聞に出たとき、日本外務省は直ちに白黒を明確に公表しておくべきであった国際調査団を招聘し、世界に向けてアメリカの新聞報道の是非を明らかにしておくべきであった。しかしそうはしなかった。
 
それを奇貨として、日中戦争一周年のころ、つまりアメリカの新聞に南京大虐殺が出てから七ヵ月後の一九三八年七月のこと、ハロルド・ティンパーリ編『戦争とは何か―中国における日本軍の恐怖』がロンドンとニューヨークで出版される。この単行本は第三者的立場の編者が日中戦争を題材にして戦争の悲惨さを訴えるという趣旨に立っていたが、しかし全八章のうち最初の四章は、南京の外国人が友人あてに出したという匿名の手紙で構成されていたそして南京は「二日もすると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行・・」「完全な無政府状態が支配しており、さながらこの世の地獄だ」「四万人近くの非武装の人間が・・・殺された」と描写されていた英語版の『戦争とは何か』が出ると同時に、その漢訳版の『外人目撃中の日本軍暴行』も出た。やがてフランス語版も出たことが確認されている
 
抗議することに慣れていない日本は、『戦争とは何か』が出たときも、それを放置していた。これが日本の敗戦後に大問題になろうとは、当時、人々は、知るよしもなかった。

つづく(亜細亜大学教授 東中野修道)
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